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奨励会員が受けた研修

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将棋世界1983年9月号、滝誠一郎六段(当時)の奨励会熱戦譜「第1回研修会始まる」より。

 今月より新たに月に2回の奨励会に加え、研修会の1日ができた。どういう行事かというと、朝9時までに集合して、午前中は各部屋の掃除、盤駒の手入れ、一流棋士による奨励会時代の体験談と将棋に対する考え方のお話をしていただくというものである。

 どうしてこのような行事を加えることになったかというと、従来だと奨励会員は、まず例会以外に全員顔をそろえることは、ほとんどなかった。そこで研修会を行えば、先輩、後輩のつながりを深めること(段位者と級位者は対局部屋が違うため、一緒にいる機会が少なかった)にもなり、また先輩棋士(普段は話す機会がまずない)に講師になってもらい、聞きたいことを質問する場を与えた。

 今回は二上九段にお願いした。

 九段は、最初に内弟子時代のことを話された。当時は比較的内弟子が多く、皆師匠宅の家事の手伝いをすることによって、他人の家で飯を食うことがいかに大変であったかをユーモアを交えながら話された。

 現代は時代も変わり、内弟子をしているものはほとんどいない。地方より上京して来た者は、時間にも余裕があって誘惑されることも多く、より強い意志が求められる。(自分一人だと親身になってくれる人も少ない)

 次に反骨精神と素直さについて話された。盤に向かった時(特に感想戦)自分の考えを貫くのも大切なことではあるが、時には、相手(周りにいる者)の考えを素直に聞くことも大切であると言われた。

どのようなことかというと、勝負の原点は己れ自身の戦いである。第三者に何かを言われて、すぐ矛先を変えるようではいけない。しかし、自分だけだと盲点に陥ることもある。

 間違いに気づいた時は素直に認め、自分の肉として行くことも必要である。また間違いということにこだわらず、自分と違う考え方も当然あるのだから、参考にすべきであろう。

 最後に辛抱について話された。

 何をしても行き詰まることは必ずある。そういう時、自分はあと少し頑張ろうと思い努力した。そして、またもう少し頑張ろうと歯を食いしばった。少しずつ限界に挑戦した。

 将棋に例えると、いくら考えてもわからない局面があったとする。(特に形勢のおもわしくない時)その時にすぐあきらめないで、突っ込んで読むことが大切であり、将来必ずプラスになる。

 どうにもならない局面ならば、投げ出したくなりがちだ。しかし、そのようなことでは上は望めない。上位者の人達は、それを乗り越えてきた。

 話は40分程続いた。奨励会員は、真摯な態度で食いいるように聞いていた。参考にもなり、大変勉強になったと思う。

 話の後、奨励会員達の質問に二上九段はきさくに答えられていた。

 質問の内容は、

  1. 一局の勝負にこだわるか、長い目で勝負を見るか?
  2. 平手全盛の時代にあって、奨励会での香落ちは役に立つか?
  3. 昇降級リーグ4組になぜ降級制度がないのか?(奨励会では降級制度がある)

 などであった。

 最初の質問には、君たちはこれから伸びていくのであるのだから、目先の勝負にこだわることなく、力をつけることの方が大事だと思う。

 2の質問には、これは伝統的なものであるが、さばきの勉強方法によいのではないかと思う。

 最後の質問には、君達は、そんなことを考える必要はないのだから、早く棋士になることを考えてほしい。

 午後からは、スイス方式トーナメント戦。A~Fまで6クラスにわけて、月1回の研修会の日に将棋を指すのである。半年単位で戦い、優勝者には賞金も出る。

 この日は、非公式戦ながらも、時間を一杯使った熱戦が繰り広げられた。

(以下略)

——–

先崎学2級、羽生善治3級、森内俊之5級、郷田真隆6級の頃に行われた研修会。

第1回目の講師が二上達也九段というのも、非常に考え抜かれていると感じさせられる。

反骨精神と素直さのバランス、行き詰まった時のあと少しの頑張り、奨励会員のみならず誰にでもためになる話だ。

頭では理解していてもなかなか実行が難しいことも、将棋に関連付けて話をされるとより説得力が強くなる。

講演とは違う切り口での棋士の話も非常に面白いと思う。

 


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女流棋士対各界将棋天狗

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将棋世界1983年8月号、「女流棋士対各界将棋天狗 お手並み拝見」〔山田久美女流初段VS森本レオさん〕。解説:森雞二八段(当時)、記:たつの香太さん。

 森本レオさん―二枚目でもなく、それでいて三枚目でもない。ちょっととぼけた、味のある演技でテレビや映画に大活躍している俳優さんだが、このレオさんが芸能界では一、二を争う将棋の強豪であることは知らない人が多いかもしれない。

 そもそも、昔から芸能界には将棋を指す人は多い。緊張の続く出演の合い間の空き時間などに将棋はかっこうの息抜きになるのがその理由らしい。

 萩本の欽ちゃんに丹波哲郎さん、小松方正さん……みんな立派な有段者である。その他にも新沼の謙ちゃんに牟田悌三さん、吉田拓郎さんに井上陽水さんと、将棋ファンを数えたらきりがない。

 それどころか、伊藤果五段によると(伊藤五段は芸能関係の交際が広く、レオさんの将棋の師でもある)なんと、女優の木内みどりさんや烏丸せつこさんまで将棋を指すのだそうだ。

(中略)

 それはともかく、伊藤五段の話では、現在の芸能界の強豪といえば、荒木一郎さん、森本レオさん、岡田裕介さんといったところがトップクラスで、みなさんアマ四段くらいは指すそうだ。

(中略)

 レオさんは10年ほど前まで、名古屋で深夜放送のDJをやっていた。中部地方だけだったけれど、高校生などにはけっこう人気があったものだ。その後俳優として東京に出てくることになるが、将棋もその時に始めたのだそうだ。

 当時将棋の好きなシナリオライターの友人が、ノイローゼにかかってしまい、その友人と少しでも話をするためにレオさんも将棋を指すようになったのだという。見かけのとおり、やさしい人なのだ。

 そしてレオさんを強くしたのが長門裕之さん、長門さんの麻雀好きは有名だけれど、将棋もアマ三段の腕前。その長門さんがレオさんの将棋好きを知って喜び、毎日のように将棋を教えてくれたのだそうだ。

 ただし「長門さんには3ヵ月でトントンになりました」とレオさん。この間のレオさんのうち込み方はなんとなく想像がつく。

(以下略)

——–

1999年と2000年に将棋ペンクラブ主催で「文壇将棋名人戦」が開催され、1999年に森本レオさんが優勝している。

フジテレビ系の人気ドラマ「ショムニ」に森本レオさんが出演された翌年のことだった。

——–

森本レオさんを初めて見たのはTBS系ドラマ「好きすき魔女先生」。

最初は学園ドラマ風だったのが、後半から変身アクションヒロイン系ドラマに変わった作品だった。

私は個人的に主人公の菊容子さんのファンだったのだが、放送の3年後の1975年、菊容子さんは結婚を前提に交際していた俳優に殺されている。まだ24歳の時。当時はかなりショッキングな事件だった。

——–

荒木一郎さんは昔の人なら誰でも知っている歌手・俳優。

現在は、音楽プロデューサー、実業家、小説家、マジック評論家、カードマジック研究家などとして活躍をしている。

「日本将棋用語事典」をプロデュースしたのも荒木一郎さん。

編集委員、編集強力、監修がそれぞれ超豪華布陣。

日本将棋用語事典

荒木一郎さんが作詞した曲に「負犬の唄(ブルース)」がある。作曲は平尾昌晃さん、編曲は竜崎孝路さんで川谷拓三さんが歌っている。

TBS系ドラマ『必殺からくり人』、『必殺からくり人・血風編』の主題歌だった。

哀調を帯びた曲調もさることながら、歌詞が泣かせる。

1番も泣けるし2番も泣ける。

 

北野新太さん・瀬川晶司五段・本田小百合女流三段ライブトーク

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北野新太さんの『 透明の棋士 (コーヒーと一冊) 透明の棋士 (コーヒーと一冊) 』(ミシマ社)の刊行を記念して、『透明の棋士』にも登場する瀬川晶司五段、本田小百合女流三段、そして著者・北野新太さんによるライブトークが行われる。

日時:10月21日(水)18:00~

場所:紀伊國屋書店新宿南店3階イベントスペース〈ふらっとすぽっと〉

入場無料、予約不要

10月21日(水)18:00~『透明の棋士』(ミシマ社)刊行記念
瀬川晶司五段、本田小百合女流三段、著者・北野新太さんライブトーク!!(紀伊國屋書店)

スタジオ・アルタの並びの紀伊國屋ではなく、タカシマヤタイムズスクエアにある紀伊國屋。

——–

北野新太さんなど5人でカラオケのある店へ行った時のこと。

北野さんが歌った曲のうちの一つが「千の風になって」。

これが、秋川雅史さんが歌うバージョンをデフォルメしたような雰囲気で、店内中が大ウケだった。

ジャンルで言うとモノマネになるのだろうが、このような芸もあるのか、と感心させられた深夜だった。

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透明の棋士 (コーヒーと一冊) 透明の棋士 (コーヒーと一冊)

 

推奨株にあげられると伸び悩む、というジンクスを持つコーナー

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将棋世界1984年6月号、銀遊子さん(片山良三さん)の「関東奨励会だより」より。

 いま一番強いのは誰かと問われたら、私は、中田功二段だと答えたい。とにかくすごい終盤の馬力でなんでもかんでも勝ちまくっているという感じである。

 今年に入ってから、◯◯◯●◯◯◯◯◯二段昇●◯◯◯◯◯◯という成績。これはどう見ても並ではない。本誌推奨の羽生初段がもうひとつパッとせず、ひと休みしている間に、中田がグングン伸びてかわりにスターダムにのし上がったようだ。

 どうも、この欄で推奨株にあげられると伸び悩む、というジンクスができつつあるようだが、この中田は大丈夫、本物と見た。

——–

将棋世界1984年7月号、銀遊子さん(片山良三さん)の「関東奨励会だより」より。

 推奨株、中田功二段は今月も勝ちまくった。他とは勢いが違い過ぎるようである。将棋が多少悪くてもなかなか決定打までは浴びずに終盤戦に持込み、ちょっと混戦模様になったところで悪力を発揮して、相手をねじ伏せるがごとくに逆転勝ちというのがこの中田のパターン。正統派とは言えないのかも知れないが、勝つのだからいいと思う。型にはまった将棋よりも、ファンから見ればこの方が面白い。

 1図は斎藤三段との平手戦。両者とも1分将棋。斎藤三段の△2六歩は好手で、中田陣の最弱点を突いている。本来なら決め手となるべきところなのだが……。

中田功1

 中田の▲3五歩。これに対して△同桂▲3六銀△2七歩成▲同銀△2六歩と攻めればわかり易かったのに、斎藤は△2七歩成▲同玉△2六歩と誤まり、▲同玉△2五金▲1七玉△5五桂▲2三歩(A図)と進んでわけがわからなくなった。以下は△同玉▲3四銀△2四玉▲2五銀△同桂▲2七玉△2六歩▲3六玉(B図)で逆転気配がただよいはじめ、△4三金▲3二角△4四桂▲2六玉△3三金▲5一竜(C図)となって、中田がこの難しい終盤を競り勝ったのである。指し手が多くなって申しわけないが、ここのところは是非盤上に再現して迫力を味わっていただきたいと思う。

 中田はこの次の北島二段戦にも逆転勝ちをおさめ、9勝1敗と昇段をほぼ確実にした。遊んでばかりいるのに、というウワサも聞くが、きっとどこかにかくれて修行しているのに違いない。そうでなければオバケだ。

中田功2

中田功3

中田功4

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将棋世界1984年10月号、銀遊子さん(片山良三さん)の「関東奨励会だより」より。

「今、一番強い」と書いた中田(功)は、あと3勝3敗でいいところまできて2勝4敗と乱れ、昇段はご破算となってしまった。どうも、当欄で推奨した株は上がらない。困ったものである。すこし口をつぐんでいるべきだろうか。

 中田と入れ替わりに浮上してきたのが高田。7連勝中で、通算では11勝3敗。二番連続の昇段のチャンスを迎えているわけである。「ベルサイユのばら」といわれ、少女漫画の主人公のような瞳を持つ美少年高田も、いつの間にか22歳になった。数ヶ月前に、今回と同じようなチャンスを逃しているだけに、ここはなんとしてもモノにしたいところであろう。

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ベルサイユのばら・高田尚平二段(当時)も、この後、成績が伸び悩んでしまう。

銀遊子さんの「関東奨励会だより」で推奨株にあげられると、その後不調になる、というわけではないのだが、昇段するような勢いが止まってしまうという現象。

これは、「関東奨励会だより」を読んだ他の奨励会員たちが、「負けてなるものか」と推奨株とされた奨励会員に対し闘志を燃やした結果とも考えられ、またそういう流れこそが奨励会らしい雰囲気と言えるのかもしれない。

——–

「遊んでばかりいるのに、というウワサも聞くが、きっとどこかにかくれて修行しているのに違いない。そうでなければオバケだ」という銀遊子さんの感想が絶妙だ。

しかし、中田功二段(当時)は、この頃は本当に遊んでばかりだったようなので、中田功二段はオバケだったという結論になる。

中田功奨励会員の下宿

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「ベルサイユのばら」は少女漫画の代名詞ということで用いられたのだろうが、高田尚平三段(当時)とベルサイユのばらのオスカル(男装の麗人)を並べて見てみたい。

写真: ベルサイユ高田尚平三段(当時)

ベルサイユのばら(1)

タイプと方向性は違うが、たしかに高田尚平三段は少女漫画に出てきても全く不思議ではないことがわかる。

 

『将棋家元』大橋家断絶す

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将棋世界1983年9月号、加藤久弥さんの「『将棋家元』大橋家断絶す」より。

 将棋史の幕を開けた初代名人大橋宗桂につながる江戸時代の「将棋家元」大橋本家がついに断絶した。本家十五代を継いだ大橋京子(東京都江戸川区)さんが跡継ぎのないまま7月1日夜心筋梗塞で亡くなったのである。行年81歳。法名=蓮華院妙浄日京大姉。遺志により同家に残っていた江戸時代の古文書、駒つくりの字母などが日本将棋連盟に届けられた。大山康晴日本将棋連盟会長はさっそく丁重に弔意を表したが、家元三家のうちただ一つ家名を残していた大橋本家だったので将棋家元の名跡はこの日をもって完全に消えてしまった。

家元三家始末記

 慶長17年(1612)徳川幕府にはじめて「将棋所」が設けられ、寛永12年(1635)にはそれを預かる世襲の「家元三家」(大橋、同分家、伊藤)の制が定まった。以来凡そ230年、三家は幕府の保護をうけて”御城将棋”に栄光を誇り江戸の棋界に君臨して来たが、明治維新の変革で「将棋所」が潰えた後は厳しかった。

 野にくだった三家の棋士はいままでほとんど顧みなかった市井に棋界の再興を求めたのであるが道は遠く、また三家とも跡継ぎに恵まれることも不幸であった。

 まず大橋分家の九代宗与七段(養子=前名・勝田仙吉)が身の不始末を責められるなかで明治14年(1881)11月死亡(年齢不詳)し後継者もなく絶える。

 次に伊藤家は八代宗印が十一世名人に登って棋界再建に尽力したが明治26年(1893)1月6日志なかばにして逝った。行年68歳。法名=王照院清常宗印日修居士。嗣子印嘉初段は父に先立ってすでに亡い。当然、伊藤家も絶えることになり、宗印の次男渡辺富三郎が長男高政を養子に入籍させて家名再興を図ったが希望は実らなかった。宗印名人の血をひく孫、渡辺高康氏(富三郎の三男=74歳)は千葉県船橋市に健在であるが、同家に位牌を残して伊藤家はとうに消えた。

 両家のあと大橋本家だけが生き残ったのであったが、当主十二代宗金五段が明治43年(1910)11月17日、奇しくも御城将棋の日に亡くなって事実上絶えた。行年72歳。法名=真如院宗金日歓居士。

本家は家名再興

 大橋本家十三代にあたる宗金の長男五郎の消息はよくわからないが、同家の法名禄にも十三代の名はなく中断したらしい。しかしここ群馬県下仁田町に嫁した宗金の長女有賀みよが名跡の絶えることを惜しんで必死に立ち向かい、大正初期に孫娘静子を十四代に送って家名再興の望みをとげたのである。

 昭和3年(1928)6月、そのころ芝区(現・港区)二本榎の上行寺にある大橋本家歴代の「駒形墓碑」が東京府の史跡指定をうけその機に大橋本家の近況が浮かび上がったことがある。十四代静子の女学生姿も新聞に紹介され「大橋家の再興成る?」を思わせたが、彼女は2年後の昭和5年(1930)11月28日17歳で早世してしまった。法名=昌山院妙純日静大姉。

 そこで有賀家はみよの三女京子を次の養女に送って十五代を継がせあくまで再興を期した。まさに執念である。ところが京子さんは生来の病弱、のちに思い余って従妹の井岡登喜子(宗金の孫)さんを口説き落とし井岡家の愛娘を養女に迎えることになる。三代目の養女に望みを託したのであろうが、お目あての少女は二人まで相次いで早世して終う。このため悲しみの母登喜子さんは在家得度して妙浄と名乗る尼僧になった経緯がある。

永代供養に後図

 大橋京子さんの病院通いは老境に入っていっそうはげしくなり三家の菩提寺詣りもできない。と言って無縁仏にされては困る…病床に悩み抜いた京子さんは昨年3月、前記井岡さんを通じて日本将棋連盟に「三家菩提寺の永代供養に対する強力」を求めて来た。

 これをうけた連盟は先師への慰霊と将棋の史跡を保護するために全面的な強力を快諾、京都の霊光寺と教行院、伊藤宗印の墓所・東京の本法寺、大橋家歴代の「駒形墓碑」を移した伊勢原市上行寺、以上四ヶ寺の永代供養を引きうけすでに実行されている。

 京子さんもこれに心を安じ同家に古くから伝わる江戸時代の古文書、大量の棋書などを将棋連盟に寄贈、さっそく大阪の将棋博物館に飾られたのであった。

遠祖年忌の後に

 初代大橋宗桂は寛永11年(1634)80歳で亡くなった。法名=玉浄院宗桂日龍居士。京都市伏見区深草の霊光寺境内に建てられた巨大な「駒形墓碑」はいまも厳として始祖の偉徳をたたえ、この春3月9日の祥月命日には350年祭が行われた。この知らせに喜んだ京子さんは従妹妙浄尼に霊光寺の厚意に感謝する伝言を頼み、間もなく入院したというがそのまま帰らなかった。

 血脈が全く絶えたわけではなく、宗金の四女井岡豊(90歳)さんが長女妙浄尼のもとに老いを養っているが大橋家の十六代を継ぐ人はもういない。

 将棋界が花を盛りに謳歌しているとき、都の一隅でかすかに明滅していた江戸の家元の最後の灯がひっそりと消えた。

——–

家を継ぐ、家系を絶やさないことが、いかに大変かを痛いほど感じさせられる。

大橋家、伊藤家の子孫の方はいらっしゃるが、別の家に嫁いだり別の家を興したりしているので、「大橋家」、「伊藤家」ということにはならないところが辛い。

——–

逆に考えると、源氏、平家ともに滅亡しているが、例えば源義経が奥州で知らぬ間にできていた子などもあったはずで、血筋が連なる人が現代に存在する可能性も残されている。

私も幼い頃、父に「森家の先祖は平家の落武者だ」と聞いて、それ以来、平家のファンになったほどだ。

今考えれば、父が子供相手に適当な冗談を言ったとしか思えないが、それはそれで楽しい想像だ。

 

対局時の2人前の食事の元祖

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今週のB級2組順位戦で、田村康介七段が昼食に「レストラン イレブン」の

  • サービスランチ(豚ロース肉しょうが焼き)
  • サービスランチ(海老フライ・クリームコロッケ盛合せ)

の2つを注文して話題となっている。

今年の2月には、C級2組順位戦で加藤一二三九段が夕食でみろく庵

  • チキンカツ定食
  • カキフライ定食

の2つを頼んで、これもまた非常に大きな話題となった。

対局時の2人前の食事というのは非常に珍しいことだが、今日はそのルーツを探ってみたい。

将棋世界1983年9月号、産経新聞の福本和生さんの第42期棋聖戦第4局〔中原誠棋聖-森安秀光八段〕盤側記「森安の粘力、最終局にもつれこむ」より。

 中原誠棋聖の2勝1敗で迎えた棋聖戦第4局は、7月19日、神戸市有馬温泉の「陵楓閣」で行われた。

「1勝して地元でタイトル戦を…」の森安秀光八段の念願が実現した。

(中略)

 第4局は居飛車穴熊であった。中原が23手目の▲9九玉としたところで、昼食のメニューを聞いた。

中原「関西は、うどんがおいしいですから肉うどんと、きざみうどんにします」

森安「二つは多すぎるし…。いや、私も肉うどんと、きざみうどんにしましょう」と、一瞬硬い表情をみせた。その直後に森安も△9二香~△9一玉の穴熊であった。新聞記者は、すぐに話を面白くするクセがあるが、中原が肉うどんだけの注文だったら、森安は穴熊にしなかったかもしれない。うどん二つで持久戦辞さず、が森安の闘志を燃えあがらせ”負けるものか”の相穴熊となった。ちょっと考えすぎかな。

(中略)

 中原の43手目▲8七銀で昼の休憩になった。

 さて、問題のうどんである。中原は二つを食べたが、森安は「ちょっと多かった」と少し残した。

(中略)

 104手目の森安の△7七桂が厳しく、中原も懸命に頑張ったが及ばず、150手目の△9九金をみて「これは負けました」と投了した。午後10時14分、残り時間、中原3分、森安2分の熱闘であった。

 相穴熊戦とは思えぬ、動きの激しい将棋であった。

 これで戦績は2勝2敗のタイとなった。戦前に「今期の棋聖戦はもつれそう」の声があったが、遂に最終決戦である。

(中略)

 それにしても、森安の”四間飛車宣言”は大胆不敵である。作戦は密なるをもってよし、とするのが常法であるのに、これ以外はやりません、というのだからおそれいる。こんな挑戦者は、棋聖戦はもちろん他のタイトル戦でもいないはずだ。

 森安が棋聖位を獲得すると、これは「四間飛車棋聖」である。

「棋士になって初めてといってもいいスランプに襲われ、めためたに負けています。絶不調ですわ。それが棋聖戦だけ妙に勝つんですよ。準決勝で内藤先生に勝ったときは、これはひょっとするとひょっとかなと思いました」

 ”ひょっとすると”がホントになって、森安は4度目の正直で挑戦者になった。そして対中原に2連敗から2連勝―。森安ムードの展開になっているような気がする。

 中原が週刊誌を見せてくれた。「HEIBON」と書かれた表紙に、女優の十朱幸代と並んで谷川名人の顔が載っていた。内容をみると十朱の記事はあったが、谷川の名人のことは一行も触れていない。

 将棋界が新しい時代を迎えようとしていることを、この表紙は敏感にキャッチしている。いろんなことを考えさせてくれた表紙であった。

——–

2人前の食事を自らの意志で注文した場合、田村康介七段、加藤一二三九段、中原誠棋聖とも、敗れている。そこが残念なところだ。

ちなみに、きざみうどんは味付けをしていない油揚げを刻んだものと九条ネギが入ったうどん。

——–

2人前の食事、と聞いて頭に浮かぶのはキッチンジロー

これは、量が2人前というわけではなく、おかずが2人前のメニューに相当するということから。

基本はセットメニューで、

メンチカツ、ハンバーグ、チキンカツ、チキン南蛮、海老フライ、スタミナ焼き、帆立ミルクコロッケ

から2~3種を組み合わせたものとなっている。

若い頃、東銀座の裏通りの更に奥まった所にあったキッチンジローにはよく行っていたものだが、メンチカツ+ハンバーグをまた食べたくなってきた。

 

将棋関連書籍amazonベストセラーTOP30(10月10日)

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amazonでの将棋関連書籍ベストセラーTOP30。

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先崎学2級(当時)「チビだけど、タコじゃないぞ」

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将棋世界1983年10月号、信濃桂さんの「東京だより」より。

 いつの間にかチビっ子の奨励会員が隣で将棋を指している。米長門下の先崎学2級だ。相手はカメラマンの弦巻さん。

 飛車落ちでいい勝負をしているから、この人もなかなかの腕だ。

 先崎君は13歳だが、一見したところは小学生。普段大人と付き合うことが多いのか、こまっしゃくれたことをいうのが面白く、奨励会のアイドル的存在だ。

 30代半ばのカメラマン氏との舌戦もどちらが勝ちかは容易に判定できない。とうとう業を煮やしたカメラマン氏、

「このチビダコ!」

 先崎君、すかさず、

「チビだけど、タコじゃないぞ」

 一同爆笑したところで、ちょうどいい時間となった。

 大島四段とカメラマン氏を誘い、生ビールを求めて会館を辞す。

——–

写真家の弦巻勝さんの日本将棋連盟特設サイト「弦巻勝のWeb将棋写真館」に、先崎学九段が奨励会に入ったばかりの頃の写真が載っている。

先崎九段の子供の頃

弦巻さんが「このチビダコ!」と言ったのは、この写真の2年後くらいのこと。

偶然発見したことですが、上の2枚の写真をビートルズの「ペニー・レイン」を聴きながら見ると、自然と涙がこぼれてくるので、ぜひ試してみてください。

「ペニー・レイン」は、ポール・マッカートニーが過ぎ去りし日々を思い出し作曲した曲。

——–

将棋世界1983年10月号、「将棋まつり見て歩き」より。

 次のプログラムは大山十五世名人の講演。これを聞き逃すわけにはいかない。人もどんどん集まってきた。

 さすがに名人の講演は慣れたもの。これからの棋界の事にも触れ、谷川名人についても「上に立つ人は人が真似できない将棋をつくらなければならない。谷川さんもこれからが大変でしょう」と後輩にアドバイス。また三笠宮殿下との二枚落ちの話が面白かった。

「勝つわけにはいかないし、あまり早く負けるのもおかしいので困りました。結局殿下が勝たれたのですがその後で殿下が言われるのには『大山さんは強いね。他の棋士と指すと私が中飛車で30手位で勝ってしまうのに大山さんの場合100手もかかったもの』。負けて初めてほめられました」。場内もこの話には爆笑。名人はこの後すぐサイン会。まったく年齢を感じさせないタフネスぶり。サインをもらった人は宝物を扱うような手付きで持っていた。

(以下略)

——–

10月5日に更新された「弦巻勝のWeb将棋写真館」では寛仁親王が将棋を指している写真が掲載されている。

局面は2枚落ちで寛仁親王が中飛車の構え。

この時の将棋まつりで語られた、大山康晴十五世名人との対局だった可能性が高い。

大型カメラと35ミリカメラ

弦巻さんならではの、寛仁親王の非常に貴重な写真だと思う。

——–

今日、「ねこまど将棋教室・四ッ谷校」で、写真家の弦巻勝さんによる講演会が開催される。

☆10/10(土) 16:00~17:30
対 象:一般
定 員:24名
受講料:4,000円
内 容:弦巻勝 講座 「弦巻勝氏に聞く将棋界の写真」

10/10(土) 弦巻勝 講座「弦巻勝氏に聞く将棋界の写真」(ねこまど)

今日は残念ながら行くことができないが、次に機会があったらぜひ行ってみたいと思っている。

 

モバイル端末VSデスクトップ

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Googleが、今年の夏に初めてモバイル端末(タブレットを除く)での検索数がデスクトップ(ノートPC含むPC全般)からの検索数を上回ったと発表した。

Google、モバイルからの検索がデスクトップからの検索を初めて超えた(TechCrunch)

このブログでも、この30日間で見てみると、Googleについてはモバイル端末からが50.32%、タブレットからが5.46%、デスクトップからが44.22%となっている。

このブログで、Googleからの検索がいつ頃からモバイル端末がデスクトップを抜いたか調べてみると、昨年の11月から(モバイル47.69%、デスクトップ47.66%)。

モバイル端末+タブレットがデスクトップを抜いたのは昨年の10月から。(2014年9月はデスクトップが53.01%、10月は49.60%)

——–

同じ検索でもYahooからの検索の場合は、この30日間では、モバイル端末43.98%、タブレット6.71%、デスクトップ49.31%。

——–

ブログのアクセス全体で見てみると、この30日間のセッション数は、モバイル50.23%、タブレット5.89%、デスクトップ43.88%。

モバイルとタブレットを合わせて56.12%と、Googleからの検索のモバイル率とほほ同じような傾向。

昨年の9月は、モバイル39.08% タブレット5.45% デスクトップ55.47%(モバイル率44.53%)だったので、この1年でモバイル比率が急速に高まってきたことがわかる。

デスクトップが決して減っているわけではなく、セッション数ではデスクトップが前年同月比(9月)比116%なので、モバイルの伸び方がそれだけ大きいことになる。

——–

このブログを見に来ていただいている方のOSの分布は次の通り。(2015年9月)

  1. Windows  39.41%
  2. iOS  31.14%
  3. Android  24.63%
  4. Macintosh  3.69%

iOSとAndroidがモバイルOS。

——–

Windowsのバージョンは、

  1. Windows 7 62.67%
  2. Windows 8.1 21.15%
  3. Windows Vista 6.46%
  4. Windows 10 5.80%
  5. Windows XP 2.88%
  6. Windows 8 0.98%

私は早々とWindows 10にバージョンアップしたのだが、切り替え率はまだ5.8%。8月が1.9%だったので、毎月4~5%ずつ増えるペースなのかもしれない。

iOSのバージョンは、

  1. 8.4.1 36.37%
  2. 8.4  12.41%
  3. 8.3  29.26%
  4. 7.1.2  5.90%
  5. 9  5.89%
  6. 8.1.3  3.68%
  7. 8.2  3.18%
  8. 9.0.1  3.14%
  9. 8.1.2  2.86%
  10. 7.0.4  2.45%

私には未知の世界だが、奥が深そうだ。

Androidのバージョンは、

  1. 4.4.2  25.67%
  2. 4.2.2  21.42%
  3. 4.4.4  17.75%
  4. 4.1.2  8.11%
  5. 5.0.2 5.55%
  6. 4.0.4  5.32%
  7. 5.1.1 3.52%
  8. 5 .0 2.02%

ブログのSSL化(http:→https:)に伴い、古くないバージョンのAndroidでの稼働を確認するために、私は先週4.0.4にバージョンアップしたばかり。今までAndroidのバージョンには全く無頓着だったが、システム開発などをされる方は本当に大変だと思う。

——–

モバイルからの利用率はこのブログに限らず、今後も高くなっていくと思われるが、ある段階でモバイル対デスクトップはある比率に収束していくのではないかと予想される。それが60:40なのか75:25なのかはわからないけれども、どうなっていくのだろう。

 

羽生善治竜王・名人(当時)「将棋を考えていると頭が痛くなってくるので、実はユル目にかけてます」

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将棋世界2004年1月号グラビアより。

 メガネが最も似合う人を各界から選ぶ第16回日本メガネベストドレッサー賞表彰式が10月28日、東京ビッグサイトで開かれた。文化界部門からは我らが羽生善治竜王・名人が受賞である。

 表彰後、テレビ取材の女性レポーターから、メガネを下にかけてますね(ホントにそうです)と鋭く指摘され、「将棋を考えていると頭が痛くなってくるので、実はユル目にかけてます」と羽生さんが答える場面もあった。やっぱり棋士にメガネは似合いますね。

写真: DSC_0194
将棋世界2004年1月号掲載の写真

——–

この年の受賞者は、政界部門が塩川正十郎さん(前財務大臣)、経済界部門が浜田広さん(リコー代表取締役会長)、文化界部門が羽生善治竜王・名人、芸能界部門がhitomiさん(歌手)、スポーツ界部門が蝶野正洋さん(プロレスラー)、サングラス部門が長瀬智也さん(俳優)、特別賞がSHIHOさん(ファッションモデル)。

将棋界では1993年に米長邦雄永世棋聖が受賞している。(米長名人誕生の年)

写真を見ると、たしかにレポーターから「メガネを下にかけてますね」と聞かれても全く不思議ではないこの当時の羽生竜王・名人のメガネのかけ方。

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今年の日本メガネベストドレッサー賞受賞者は、政界部門が岸田文雄 外務大臣、経済界部門が見城徹さん(幻冬舎代表取締役社長)、文化界部門が歌舞伎俳優の片岡愛之助さん、芸能界部門が桐谷美玲さんと又吉直樹さん、スポーツ部門が該当者なしで、サングラス部門が中村アンさん、特別賞が乃木坂46メガネ選抜。

第28回 日本 メガネ ベストドレッサー賞

特別賞は、「今後メガネをかけて欲しい人」に贈られるという。

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文化界部門、芸能界部門では、普段メガネをかけている女性は少ない。そのため、メガネ姿にこだわって選出するのは難しいとも言われている。

そういう意味では、女流棋士はメガネベストドレッサー賞の候補としてはピッタリなわけで、近い将来、女流棋士が受賞する日を心待ちにしたい。

 

先崎学少年

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近代将棋1988年2月号、炬口勝弘さんのアマプロ勝ち抜き戦〔先崎学四段-金子義之アマ五段〕観戦記「三度目の決戦」より。

 先崎君に初めて会ったのは、今からもう8年も前になる。昭和54年の秋、奨励会入会試験の受験生、たしか47人だったと思うが、その四十七士の中に先崎君の姿があった。まだ小学校の3年生、もちろん最年少の受験生だった。ちっちゃくてあどけない顔だったが、そのくせ態度はデカく、ペタンと胡座をかき、扇子を一丁前に使いながら、相手が考え始めると周囲を見わたしたりしていてひときわ目立ったものだ。早指し早見えで、ほとんどノータイムで指していたから、いつもあたりを見わたしているように見えた。しかし結果は不合格。もう一歩というところだった。

「先崎が負けて帰ると、お母さんがメソメソ泣くんでね、困るんですよ」

 師匠の師匠にあたり佐瀬八段のボヤキを、いまでも鮮明に覚えている。ちなみにこの年は”福岡の天才少女”林葉直子女流アマ名人(小学5年生)も受験し、こちらはみごと合格した。先崎君が晴れて入会できたのは3度目、その翌々年、昭和56年の秋だった。

 そんな少年も今では17歳。あどけなさはそのままながら、すっかり背も伸びて、9月には三段リーグを抜け、晴れて四段になった。

「お祝いにはソープランドへ連れて行ってあげるんだ」冗談ともつかずそんなことを言っていた先輩棋士がいたのを思い出し、今回、対局の後でだが、さりげなく訊ねたら、

(以下略)

——–

切れ目は悪いが、先崎学四段(当時)の回答は次の中のいずれか。

  1. 「あれは冗談だったんだと謝られて、かわりにフグを御馳走になりました」
  2. 「師匠にバレて、無しになっちゃいました」
  3. 「付き合っている彼女に悪いと思い、申し訳なかったんですが断りました」
  4. 「え、そんなことを◯◯さんが言ってくれていたんですか?」
  5. 「ええ、駄目でした。ワリカンにさせられました」

——–

DSC_0160
近代将棋1988年2月号、昭和54年の奨励会入会試験の時の先崎学少年。撮影は炬口勝弘さん。

 

順位戦の悪夢

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将棋世界1995年5月号、鈴木輝彦七段(当時)の「矢倉中飛車の美学」より。

 3月17日のA級プレーオフをもって1年間の順位戦は幕を閉じた。正に悲喜交々といった所だが、正月からの2ヵ月、特に2月から3月初旬までの1ヵ月をこれ程長く感じた事もなかった。

 と言うのも、終盤戦に連敗を続け、最終局には降級点が絡む事になってしまったからだ。

 勝ち負けは兵家の常とはいえ、これ程露骨に関係した事はかつてなかった。B1から降級の時は正月前に大勢が決まり、すっきりしたものだった。

 昇級とは違い、下に行く戦いは妙なもので、漠然とした不安感を持つようだ。

 奨励会の頃から25年近くプロの世界で生きてきて、「勝負の結果は仕方がない」と割り切っているけれど、現実となれば、また別かもしれない。

 そして、これが最後ではなく、始まりになるだろう事は容易に察しがつくのである。

 こんな時に、棋士人生のよすがとなるような文章はないのだろうか。

 トップ棋士の事は、あふれるように伝えられているが、並棋士の40、50代の心情を素直に吐露した文は残されていないような気がする。

 周りも本人も書く気がしないのは判るが、後輩のためになると思うがどうだろうか。

 私自身は文を書く機会もあるので、できるだけ40、50代の並棋士の気持ちを書き残していきたいと思う。

 前述した降級の頃だから4年前の事になる。

 この年、親族に不幸のあった棋士に米長先生が食事をふるまわれた事があった。河口、野本のお二人に、私は関係なかったが、成績は喪中のようなものだったからと想像する。

 会も終わって、河口、野本の両先輩と喫茶店に入った。

 その時、親しさもあって、二人に「決まってはいませんが、降級の夢を見ます」と正直に言った事があった。

 河口さんは無言だったが、野本さんは私の顔を見て一言「まだ甘いね」と笑った。

 確かに、私クラスがそんな愚痴を言うようでは甘いと言わざるを得ない。何しろ、野本さんは6年連続降級点の大記録を作りつつある時だったのだ。

 そして、野本さんは如何にも大記録者らしい一言を言った。

「本当に落ちるのが怖くなると、昇級する夢を見るんだよ」と。

(以下略)

——–

社会人になってからのことだが、学生時代にやっていた家庭教師の教え子の家へ行かなければと思いながら、既に大遅刻をしていて焦っている夢を何度もみた。

最近はみることがなくなったが、あれは何だったのだろう。

 

渡辺明六段(当時)の竜王戦第1局

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近代将棋2005年1月号、相崎修司さんの第17期竜王戦第1局〔渡辺明六段-森内俊之竜王〕の観戦記『挑戦者の「余裕」竜王の「気負い」』より。

この対局はソウルで行われた。

10月18日

 9時半、対局場の新羅ホテルをバスで出発する。

 まず向かったのは14世紀末に建造されたという李朝の王宮、景福宮。ここで記念撮影を行う。

 600年の歴史がある建造物は対局者の目にどのように映っただろうか。

 今回は各将棋誌、NHK BSの他に「小学五年生」(森内竜王監修の漫画「マサルの一手」の掲載誌・小学館より出版)と「情熱大陸」(人物クローズアップ番組。今度渡辺六段が取り上げられる。毎週日曜23時よりTBS系で放映)のスタッフの方々も同行している。

 続いて土産物店が並ぶ鐘路街に。ここでの散策の様子をBS放送でご覧になった方も多いだろう。

 昼食は韓定食の最高フルコース。「辛いのが苦手」という挑戦者だが、ここではさほど苦労はしなかった模様だ。竜王も「こんなに食べたら体重増えちゃいますねぇ」と言いつつもご満悦の様子。こちらでは「来客に満足していただくため」に残すほどの食事が出てくるのが普通のようだ。

 なお、キムチと並ぶ韓国名物の焼肉は前日(入国日)にそれぞれが堪能したようだ。

 食後はソウル屈指の市場、南大門市場で買い物。竜王は韓国海苔を買っていた(買わされていた?)が、挑戦者は何も買わず。

 対局場の新羅ホテルに戻って盤駒検分が行われる。検分そのものはつつがなく進んだが、2日制対局初体験の挑戦者が封じ手について質問をしていた。対して立会人の加藤一二三九段が自身のエピソードを交えて丁寧に解説。勝負前日の対局室は和やかな雰囲気となる。

 続いて前夜祭だ。後援の日本大使館広報文化院長の大沢公使、韓国将棋協会の朴副会長の挨拶を経て、対局者双方が明日からの意気込みを語る。参加者が100名を超えたことからも、この対局が日本のみならず韓国でも注目されていることがうかがえる。

10月19日

 対局室一番乗りは立会人の加藤一二三九段。前日改めた盤駒を鋭い視線で改める。その姿はさすがの迫力だ。

 挑戦者が竜王に先んじて入室し、着座する。取材陣の他、竜王戦観戦ツアーに参加されたツアー客にも対局室入りが許可されており、対局室はカメラフラッシュの渦が起こる。

 竜王が悠然と対局室入り。フラッシュの方向が変わる。両対局者に緊張の色はさほどない。

 記録係の千葉幸生五段が振り駒。敷かれた布の上を5枚の歩が跳ねる。数枚が布から飛び出し、出たのはと金が3枚。挑戦者の先手となった。

 対局開始は9時、それまでの数分の静寂が対局室を包む。

「時間になりましたので対局を開始して下さい」という加藤九段の言葉とともに両対局者が一礼し、対局開始。挑戦者は1分の時を経て▲7六歩と突いた。一度は途切れたフラッシュの渦が再び巻き起こる。

 竜王は少考し、△8四歩と突いた。これを確認後、ツアー客及び取材陣は退室。対局室に静寂が戻った。

 挑戦者の先手番なら矢倉だと双方が予想していたのだろう。1日目の午前中にしては非常に早い展開となった。

 ▲7七銀と上がった1図。加藤九段は「急戦を誘う手じゃないの?」と推測する。対しての△6四歩を「さすがだ。こうじゃなくちゃいけない」と満足そうな加藤九段。

渡辺森内1

 △6四歩は後手が△7三桂からの急戦を見せた手段。この急戦を局後「趣向です」と竜王は語っている。

 午前中、両対局者がそれぞれ控え室に顔を出す。竜王は関係者と二言三言の言葉をかわしてすぐ対局室に戻ったが、挑戦者は控え室のテレビでメジャーリーグのワールドシリーズ、ニューヨークヤンキースVSボストンレッドソックス戦を観戦している。いくら野球観戦が趣味とはいえ、2日制の1日目とはいえ、悠然としている挑戦者だ。NHK解説の深浦康市八段も感心していた。

挑戦者「あまり進めたくないけど、(竜王が)ピシピシ指してくるから」

 昼食に竜王はプルコギ定食、挑戦者は海老入りうどんを注文。前日の前夜祭後にも、挑戦者は海老うどんを食べていた。うどんが気に入ったのだろうか?

 再開後、△6五歩と開戦。やはり指し手がポンポン進む。同日行われていた持ち時間4時間の女流王位戦第3局よりも速いんじゃないのかと言われたくらいだ(控え室は女流王位戦のインターネット中継も確認していた)。もっとも開戦からの手順はほとんど変化の余地がないのでテンポよく進むのもある意味当然か。△6五歩からの仕掛けは田丸昇八段がよく採用する仕掛けである。

 再び指し手が止まり、37分の時を刻んで指された△2六歩(2図)。副立会人の富岡英作八段は「△2六歩は研究手でしょうね」という。▲2六同飛には△4四角が後手の狙い。

渡辺森内2

 この△2六歩は富岡八段自身が指されたことがある。2年前のNHK杯戦、富岡-米長戦で米長邦雄永世棋聖が指した手だ。もっともNHK杯の将棋では▲3六歩△5三銀左の交換がない。この違いが大きいのだ。

 NHK杯の形では▲2六同飛△4四角に▲2五飛と立つ手がある。△3三桂には▲6五飛と桂を取り、△2八歩に▲6四桂と打って以下攻め立てた先手が制勝した。ところが本局ではそうはいかない。▲6五飛には△6四歩と打たれて以下どのように応じても先手の飛車は死ぬことになる。かといって△2六歩を放置しては△6六角~△2七銀でやはり飛車が死ぬ。これは先手がまずい。

 控え室では▲2六同飛△4四角▲2八飛△2七歩▲3八飛(▲2七同飛は△2六歩~△6六角~2七銀)として先手が歩得を主張するのではと見ていた。また▲3七桂と桂を活用しつつ△2七銀に▲2九飛を用意する手も考えられた。

 ところが挑戦者は44分の考慮で全く別の手をひねり出した。

 ▲5九銀! △2七銀の筋を防ぎつつ玉の守備を固めた手だが、ここでの最善手だったようだ。

 感想戦で△2六歩に▲3七桂だと△8八歩▲同金△6六角▲同金△2七銀▲2九飛△3八銀成▲2六飛△2三歩▲7九角△4八成銀という変化が示された。これは先手が悪い。また▲2六同飛から歩得を主張する順は飛が使えず、先手から攻める展開にならない。

 続く△7五歩に今度は63分と▲5九銀を上回る長考。▲4六角と引いて次に▲5五歩を見せた。▲5五歩とされては後手の角が働かない。ここで竜王は73分という本局最大の長考に沈む。このあたりは中盤の勝負どころなので、腰を落として考えたか。果たして竜王は思い切った決戦策に出る。

 △6六角!(3図)

渡辺森内3

 挑戦者は▲5五歩があるので△6六角は予想の範疇だったというが、封じ手前に指されるとは思っていなかった。▲6六同金は絶対手。対しての△5七銀もほぼ絶対手だが、この手を封じ手にすると控え室はみた。ところが竜王は△5七銀を決め、ここで挑戦者が封じた。1日目に局面がここまで激しくなるとは観戦者を含め思いもよらない。

 控え室には△6六角~△5七銀の手順を「森内らしくない」とする雰囲気があったように思える。

 森内らしくない、というより挑戦者に対する反語の意味で「竜王」らしくないということだろうか。確かにこの仕掛けは明らかな駒損で、一目無理筋の恐れを知らぬ若者の仕掛けと言ったほうが雰囲気には合う。ただ竜王が、可能なら一切の無駄を省いて挑戦者を力で叩きのめす、という策をとったようでもある。

 挑戦者が初めて行う封じ手の行方に注目が集まりつつ、1日目の対局は終わった。

10月20日

 この日も先に入室したのは挑戦者。竜王を悠然と待つ。傍らでは千葉五段が丁寧に自身の眼鏡を拭き、記録に備える。

 竜王、立会人がそろって2日目が始まる。千葉五段の読み上げる棋譜を盤上に再現する対局者二人。封じ手の局面ができあがる。

 加藤九段が封を切り、読み上げる。

「封じ手は▲6五金です」

 桂得になるので自然な一着だ。控え室での予想もこの手で一致したが、一人だけ異なる予想をした棋士がいた。他ならぬ加藤九段その人である。

「封じ手が予想と違ったので)読むのが2、3秒遅れちゃいました」

 加藤九段が推す手は▲9一角成。△同飛▲6五金で「先手が指しやすいと思います」

 ▲6五金以下は△6四歩▲7五金△2七角▲3九角△8八歩▲同金△3六角成▲5七角△2七歩成▲6八飛(参考図)が予想される展開。挑戦者は「と金を作られて容易ではないと思った」という。

渡辺森内4

 本譜は△4六銀成▲同歩△4七角▲5八銀△5六角成(△3六角成は▲1八角が好手で先手指しやすい)と進んで4図。

渡辺森内5

 ここでの金の始末が難しい。▲5四金△同銀▲7二角が利けばよいが後手の5筋の歩が切れるため、後の△5七歩が激痛になる。▲4七角△4六馬▲3七銀が控え室の予想だが、またも挑戦者は予想外の手を捻り出す。

 なんと▲6六歩と受けた。△6四歩と打たれたらますます金の始末に困るのではなかろうか?

 竜王は腰を落として考える。その様子を控え室のモニターで見た加藤九段は次のように言う。

「森内さん、余裕のよっちゃんだもんねぇ(笑)」

 これが引き金になったか、控え室では加藤九段が引き続き自身の昔話を披露する。新聞観戦記担当のベテラン記者、山田史生氏も話に加わり盛り上がった。特に「小学五年生」及び「情熱大陸」のスタッフの方々が熱心に聞き入っていた。

 ところが感想戦では、控え室の評判が悪かった▲6六歩が好手だったという結論になった。

竜王「▲6六歩が冷静な好手で以下はダメです」

 どうにも以下の▲2三歩~▲1五桂の攻めが厳しかったようだ。以下進み5図で昼食休憩。

 

渡辺森内6

 昼食は竜王がビーフカレー、挑戦者は野菜カレーだったが、担当記者の方から面白い話を聞く。

「森内竜王は2分の”長考”の末に『ビーフカレー』、渡辺六段はそれを待っていたように『野菜カレー』と言ったんだ」

「やはり竜王のほうが先に注文するんですか?」

「大抵はそうだけど、昔の竜王戦で挑戦者が先に注文したことがあったなあ。そのときの竜王は明らかに『エッ』って感じだった。当然その将棋は挑戦者の勝ちだったよ(笑)」

 食事の注文でも勝負の火花は飛ぶことがあるか。

 再開後、すぐに挑戦者は▲7四金と指した。

竜王「金逃げられたのがつらかったですね」

 ▲7四金に△2四馬と受けるが▲同飛と切られての▲2二歩が急所。先手陣は4筋と5筋に歩が立つので飛車を渡してもさほど怖くない。

(中略)

 ▲2二歩には△7七歩▲同桂△8九飛と攻め合うが▲7九角が堅い。以下△2二金▲2三銀△3三金▲2二歩△1四歩▲2一歩成△1五歩と進んで6図。ここで▲2二銀不成は△3二金ではっきりしないが、挑戦者は目の醒めるような好手を用意していた。

渡辺森内7

 ▲3四銀成!この手を指して挑戦者の背筋が伸びた。終局後には取材陣が入るから背筋を伸ばして姿勢を正すのは終局近しの合図だという。

「ダメだなこりゃ」

 控え室の継ぎ盤もサジを投げた。ここで投げるかもしれないとまで言われた。△3四同金(△3二金なら▲7三桂~2三歩の挟撃)▲2三角△5一玉▲3四角成△7一飛▲8三金と進み、

「飛が両方取られそうになって嫌になりました」

 竜王が周辺を片付け始めた。取材陣に対する配慮だろう。挑戦者もそれに習う。

渡辺森内8

 投了図から△5七桂の王手は▲同銀△同銀成に▲2四馬の王手成銀取りがある。

 また△7二飛▲同金△5九金と迫っても▲6八玉でこれ以上続かず、後手は受けが利かない。

 挑戦者の巧い指し回しが光った一局だった。

 関係者の方々に本局についてのコメントをいただいたので紹介する。

 

正立会人・加藤一二三九段
「封じ手の局面に興味がありました。私も20歳で名人に挑戦しましたが、そのときと比べて研究が行き届いていますね。時間をあまり使っていないことから、本局の形も研究が行き届いているのではないでしょうか」

副立会人・富岡英作八段
「△6六角以降のどこかに竜王の誤算があったのでしょう。▲2三歩~▲1五桂の攻めが巧かった。以降は完璧な手順です。1局目を挑戦者が完勝したことでシリーズの行方が面白くなりました」

記録係・千葉幸生五段
「△6六角~△5七銀の攻めが印象に残りました。実は封じ手の局面を作り始めていたのですが、ここでぽんぽんと進んだので書き直しました(笑)。森内竜王は対局中動かずというイメージでしたが、渡辺六段は2日目になってから動きが出てきたと思います」

主催紙観戦記者・山田史生氏
「森内さんが仕掛けたということは研究範囲かと思ったら、どうもそうではなかったようです。この辺に竜王の気負いが感じられました。しぶとい挑戦者のさすがの受けですね。2局目以降も竜王から積極的に動いていくのではないでしょうか。どのような作戦になるか注目です」

——–

相崎修司さんの現地レポートが盛り込まれた形の観戦記が面白い。

この時は、窪田義行五段(当時)が現地への普及業務などで日本将棋連盟から派遣されており、また、中倉宏美女流初段(当時)がNHK BSの解説でソウルへ来ている。

——–

この第1局のスケジュールに合わせ、友人から一緒にソウルへ旅行しようと誘われていたので、私もソウルへ行っている。

竜王戦ツアーではなく、激安の39,800円で3泊4日のようなパック。

この時の模様は、以前の記事で書いている。

森内・渡辺物語(前編)

 

——–

明日から竜王戦第1局が始まる。

渡辺明棋王にとっては、この時以来の竜王戦挑戦。

糸谷哲郎竜王と渡辺明棋王の戦いがとても楽しみだ。

 

第28期竜王戦第1局対局場「宇奈月国際ホテル」

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糸谷哲郎竜王に渡辺明棋王が挑戦する竜王戦、第1局は、富山県黒部市の「宇奈月国際ホテル」で行われる。→中継

宇奈月国際ホテル」は、日本でも指折りの峡谷美と湯けむりただよう温泉情緒が満喫できる温泉リゾートホテル。
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〔宇奈月国際ホテルの料理〕

山間に位置する宇奈月だが、日本海まで30分。

富山湾の海の幸と黒部の山の幸の両方を楽しむことができる。

〔宇奈月国際ホテルでの昼食実績〕

将棋棋士の食事とおやつのデータによると、宇奈月国際ホテルでの昼食実績は次の通り。

2011年竜王戦

渡辺明竜王 ●
一日目 ポーク丼
二日目 ポーク丼

丸山忠久九段 ◯
一日目 ポーク丼
二日目 松花堂弁当

〔渡辺明棋王と宇奈月〕

宇奈月では竜王戦が何度か行われているので、そちらも調べてみた。

2006年竜王戦 宇奈月温泉「延対寺荘」

渡辺明竜王 ●
一日目 カツカレー
二日目 ざるそば

佐藤康光棋聖 ◯
一日目 天ざるそば
二日目 野菜天ざるそば

2013年竜王戦 宇奈月温泉「延楽」

渡辺明竜王 ●
一日目 地物ぶりの照り焼き御膳
二日目 うな重

森内俊之名人 ◯
一日目 うな重
二日目 ビーフカレー

なんと、渡辺明棋王は宇奈月温泉で行われた竜王戦では白星がない。

なおかつ、2013年に竜王位を失冠したのも宇奈月温泉でのこと。

しかし、2014年に、竜王戦ではないが、渡辺明棋王は宇奈月温泉で初白星をあげている。

2014年棋王戦 「宇奈月国際会館 セレネ」

渡辺明棋王 松花堂弁当 ◯
三浦弘行九段 松花堂弁当 ●

宇奈月温泉での今までの流れを断ち切った形の渡辺明棋王。

竜王を失った地で、竜王への挑戦が始まる。

〔昼食予想〕

ポーク丼が台風の目になりそうだ。

糸谷哲郎竜王

一日目 松花堂弁当

二日目 ポーク丼

渡辺明棋王

一日目 ポーク丼

二日目 松花堂弁当

 

 


藤井猛九段「こっちは優秀かどうかで戦法を選んでない。指してて楽しいかどうかなんだから」

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将棋世界2004年5月号、山岸浩史さんの「盤上のトリビア 第2回 居飛車党と四間飛車党は別の人種である」より。

四間飛車が嫌いだ!

お互いを理解しあえないのは、男と女だけではなかった、という報告である。もともと私は四間飛車党を、同じ将棋を趣味とする人間とは認めていなかった。

何より四間飛車のズルさが許せない。居飛車の攻めを待ってるだけで自分から仕掛ける手順はほぼ皆無。△4二飛の上に△4三銀が乗ったあんな重い形でじっとしているふざけた戦法が、ほかにあるか。(藤井システムは居飛車が角道を止めたときだけ成立する特殊戦法である)

さらにその精神構造が理解できない。居飛車が急戦でくるのか穴熊なのか、やってみるまでわからないのだ。これから指す一局をどんな展開にするか相手まかせなんて、いい加減にもほどがある。

なぜ彼らは四間飛車を指すのか?

「そりゃ美濃囲いがかっこいいからですよ。ほら僕、名前がミノでしょ。子供の頃から、美濃囲い、ミノ、カッコイイ!と思って」(東京都在住の三野正勝さん)

そんな連中に、四間飛車のある重大な欠陥を突き付けてやろうというのが、今回の調査のそもそもの目的だった。

「初歩」の本に書かれた欠陥

 松田茂行八段著『初歩の振飛車戦法』(日東書院)。初版は昭和48年。振り飛車党を志した紅顔の美少年をアンチ四間飛車に転じさせた運命の一冊である。

 その四間飛車の章に、いわゆる▲4五歩早仕掛け作戦が解説されていた。読者にもおなじみの▲4五歩と仕掛けて▲4四歩△同銀とする順のあと、松田八段は▲4五歩の決戦より、▲4六歩(1図)と控えて打つ手を推奨しているのだ。

トリビア21

「これは、▲4七銀~▲2九飛と陣形を強化してから▲4五歩を突こうという手渡し戦術です。しかし、手を渡された後手には有効な攻めも、さばきもありません。つまり、待機の姿勢しかないのです」(解説を要約)

 なんだよ、それ……。

「待機しかない戦法」に大きく失望した少年はやがて、ある悪知恵を思いつく。

 だが、相手に怒られそうなので実戦で試す勇気はなかった。定跡書やプロの棋譜で見ることもないまま、歳月は過ぎる。

 出っ腹を揺すって中年男がテレビにかじりついたのは、30年後のことだった。

出た!淡路システム

 淡路九段が△6四歩と控えて打ったとき、かすかな期待に胸が高鳴った。はたして淡路九段は2図まで組み上げてから、△8三飛~△8一飛とひたすら飛車の上下運動を繰り返し始めた。

トリビア22

 で、出た~っ!昨年8月3日放送のNHK杯、中村修八段VS淡路仁茂九段戦。先手中村八段の四間飛車に対して後手の淡路九段がみせたこの「手渡し戦術」こそ、『初歩の振飛車戦法』を読んだ少年の頭をかすめた「悪知恵」だった。

 千日手模様に苦しむ中村八段は3度目の△8三飛にあえて▲2七銀と玉の横腹を開けた。その瞬間、△8六歩からの攻めが炸裂し、淡路九段の快勝譜となった。

 解説の井上慶太八段いうところのこの「淡路システム」は、当時「老獪」などと評されはしたが注目は浴びなかった。だが老獪なんて冗談じゃない。これこそは待機しかない老獪きわまる戦法の根本的欠陥をつく、若々しい覇気にあふれた作戦に違いない。淡路九段は狙っていた。先手四間飛車など、千日手になるだけのバカげた戦法だと暴露する機会を―。

「その場の思いつきですわ」

 あれ、そうなんですか?電話口の穏やかな声に椅子からずり落ちかける。

「相手が先崎さんだったらやりませんでした。少々無理でも、えいやっと暴れられると、玉が薄いから自信がない。中村さんには悪いけど、慎重な人やったら短時間の将棋で打開するのは大変やろうと思ったんです。先手だから千日手にはしにくいし。そういう意味では、心理的なハメ手みたいなもんかなあ。ズルイといわれても仕方ないかもしれません」

 あああ先生、ズルイなんて……。

「真似する人もいないから、評価されてないんでしょう。やっぱり去年僕がやった相居飛車の一手損戦法は、青野さんが真似して流行しましたけど。手損してもいいという発想は同じなんですがね」

 最近、手損戦法がブームノプロ棋界においても、淡路システムの露骨な手渡しにはさすがに抵抗があるということか。

 だが問題は、30年前の初心者向けの本に書いてある作戦に対する答えすら用意していない四間飛車の側にある。

 そうではありませんか?

 と、いきなり『初歩の振飛車戦法』を見せられた中村八段もいい迷惑だが。

「いやーっ、こういう急戦形は、じつは知らないんですよ。私だけじゃなくほとんどのプロが。田中(寅)先生がイビアナで勝ちまくったあとプロになった棋士は急戦を研究する必要がなかったんです」

 居飛車穴熊の出現はそれほど革命的だった。反面、四間飛車が先制攻撃を狙う立場に回ったため、みずから動けないという欠陥が隠れてしまったのではないか。

 だが半年ぶりに2図に向かった中村八段は、しばし検討したあとでいう。

「今度やられたら、打開できそうだな。▲5五歩△同歩▲7五歩として、△同歩なら▲5五銀から▲7四歩。うーん、なぜこうやらないかなあ」

 あれ淡路システム敗れたりですか?だが中村八段は、先手四間飛車を千日手に追い込む手段がほかにないか、いろいろと考えてくれた。居飛車が右玉にして棒金、なんて珍形も出た。結論はどれも実戦でやってみなけりゃわからない、だったが、十分可能性はありそうだった。そもそも、こんなことを真剣に考えたプロはほとんどいないだろう。

 さらに中村八段はこう告白した。

「じつは、もう四間飛車はやめようと思ってるんです。ええ、居飛車に戻します。本当は対淡路戦に負けたときにそう思ったんです。知らない形にされると、とっさに対応するのが難しいので……」

 かつて居飛車で王将のタイトルも取った棋士に受け身の戦法はやはり合わなかった、と見るのは勝手すぎるだろうか。

理解を超えた「四間飛車魂」

 決戦の日はきた。わが30年の疑問をぶつける日が。さあ、どう答える。現代四間飛車党の総帥、藤井猛九段は―。

 のっそりとした威圧感に対面した瞬間、一杯引っかけてくるのだったと後悔したが勇を鼓し、声を震わせながら私の”ここが嫌いだ四間飛車”をぶちかます。

「ズルイ?たしかにズルイかもしれません。ズルイと思って相手がカッカしてくれればありがたいくらいです。そんなことは疑問に思ったこともない」

 総帥は、まったくよどみがない。

「気持ちがわからないというなら、居飛車党の気持ちこそ僕にはわかりません。以前、島さんが何かの原稿に”振り飛車は相手が何をやってくるかわからないから自分は指す気がしない”とお書きになっているのを読んで、ホーッ、居飛車の人はそういう考え方をするのかと驚いたことがあるんです。

 なぜなら僕は四間飛車を、よほどのことがないかぎり指せるわけです。相振りとかを別にすれば。でも居飛車党は、自分が先手のときは矢倉しかやらない人でも、後手のときは相手が▲2六歩としたら△8四歩と相掛かりにする。絶対に勝ちたい将棋でふだんやらない戦法をやるほうが僕には不思議でならないですよ」

 う、なにか説得力がある気も……。

「僕は最初に読んだ本で、美濃囲いが断然かっこいいと思った。でも、舟囲いのほうを選ぶ人が世の中にはいる。これもいまだに不思議でならないことです」

 この人もミノカッコイイ派だった。

 だが、次の質問は好き嫌いではすまない。四間飛車が自分から動けないなら、先手四間飛車は論理的にダメなのでは?

「ふふっ、そういえばこの間もらった新しいソフトと指してたら、こんなことをやられたんですよ。僕が先手です」

 藤井九段が並べたのが3図である。

トリビア23

「こっちがここまで組む間、△8一飛~△8三飛をずっと繰り返したんですよ」

 なんと!まだ淡路システムの話をする前である。で、どうしました?

「頭にきて、来るなら来いと▲5八銀~▲4九銀と隙をつくってやったら、本当に大苦戦するハメになりました(笑)」

 では藤井九段でもこうされたら打開は難しいということですね。だったら実戦でこれをやられたらどうするんですか。

「千日手にします」

 えっ、だって先手番ですよ?

「すみませんが次までの宿題にします、といって千日手にします。そのあと後手番でねじ伏せるだけのことですから。

 だいいち、この局面(3図)は研究する気がまったく起きませんね。千日手にされてもべつにくやしくない。自分の将棋人生には関係ない局面です」

 私の30年はバッサリ斬り捨てられた。藤井システムの数理的なイメージからかけ離れた、三野さん顔負けのクレージーな四間飛車オヤジがそこにいた(★注1)。

「このところ勝ってないからいろいろな方がアドバイスくださるんですが、”ゴキゲン中飛車は優秀なのに、なぜやらないの”といわれたときは、カチンときました。こっちは優秀かどうかで戦法を選んでない。指してて楽しいかどうかなんだから。いい悪いは二の次なんです(★注2)。最近は居飛車党でも四間飛車を指す人がふえましたが、戦法の好き嫌いがないっていうのがまた、僕には不思議です。しかも、にわか四間飛車党が結構いい味出すんですよ(笑)。でも、こっちは鰻しか出さない鰻屋だからね。ファミレスの鰻に負けるわけにはいかない」

 私は急に心配になった。四間飛車党の読者にとっては藤井九段の話は「へぇ」でも何でもないのではないかと。だとしたら申し訳ないが、私などはあまりの考え方の違いに、あの四間飛車への敵愾心が、きれいさっぱり消えてしまったのだ。

 いつか先手四間飛車を千日手に追い込む手法が発見されても、生粋の四間飛車党ならいうのだろう。それがどうした?後手四間で勝てばいいのさ、と―。

 

★注1:ぼくはオヤジじゃないよ!(藤井九段談)

★注2:こういう発言があるとゴキゲン中飛車やりにくくなるなあ。そのうち指すかもしれません(藤井九段談)

——–

藤井猛九段の名言「でも、こっちは鰻しか出さない鰻屋だからね。ファミレスの鰻に負けるわけにはいかない」が世に出るきっかけとなった歴史的な記事だ。

——–

四間飛車はプロ、アマチュア間では最も多く指されている振り飛車戦法であり、最古の棋譜とされている初代大橋宗桂-本因坊算砂戦も居飛車対四間飛車。

大山康晴十五世名人の最も得意とする戦法も四間飛車だった。

藤井猛九段を含め、森安秀光九段のダルマ流四間飛車、佐藤大五郎九段の最強四間飛車、小林健二九段のスーパー四間飛車、櫛田陽一六段の世紀末四間飛車、鈴木大介八段の四間飛車、窪田義行六段の四間飛車など、四間飛車を核としている振り飛車の名手は多い。

——–

一方、振り飛車の神様と呼ばれた大野源一九段は、四間飛車は捌きづらいということで、四間飛車の採用率は高くない。(大野流は三間飛車>中飛車>向かい飛車>四間飛車の採用率)

振り飛車の基本的な方針は、

居飛車側から攻めてこなければ駒組みをどんどん充実させますよ(美濃囲い→高美濃→銀冠)→居飛車から攻めてきたら反撃。

大野流の考え方は、

居飛車側から攻めてこなければ振り飛車から攻めますよ→居飛車から攻めてきたら反撃。

この方針の違いがあるのだと思う。

——–

私も振り飛車党だが、実は四間飛車はほとんどやったことがない。(最近の角交換四間飛車は何度か指している)

いつの日か、四間飛車の楽しみを味わってみたいと思っている。

 

NHK将棋講座2015年11月号「佐藤天彦八段-郷田真隆王将戦」

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明日は、NHK将棋講座2015年11月号の発売日。

◯表紙は、永瀬拓矢六段。

◯グラビアは、「第49回東急将棋まつり 見て、指して楽しむ将棋界のライブ」。7月30日から8月2日まで行われた東急将棋まつりの8月1日の模様。(渡辺明棋王、加藤一二三九段、戸辺誠六段、野月浩貴七段、中村太地六段、佐々木勇気五段、増田康宏四段、伊藤明日香女流初段などが出演)

◯「あなたの知っている/知らない」は、永瀬拓矢六段の登場。編集部からの永瀬六段への質問、前回登場の鈴木大介八段から永瀬六段への質問、次回登場の佐々木勇気五段が永瀬六段を語る、の三部構成。永瀬六段が非常にしっかりとした考え方と意志を持っており、とても頼もしい。

◯渡辺明棋王の「渡辺流 勝利の格言ジャッジメント」、11月は、金、銀にまつわる格言と格言プラスアルファ。格言と実戦例を通して現代将棋の考え方を自然と学ぶことができる講座。その中に、「銀がいちばん好きだという棋士が多いのもうなずける話です(自分は飛車)」などの笑えるような文章が盛り込まれているのも嬉しい。

◯佐藤天彦八段の「『貴族』天彦がゆく」は、王座戦挑戦にあたって和服を作った時の話。和服は初めての佐藤天彦八段だが、和服に対する愛情がどんどん増していく過程が描かれており、とても微笑ましくなる。

◯ルポルタージュ激戦の軌跡は、いしがわごうさんの「将棋とサッカー、異色の席上対局が実現」。東急将棋まつりでの渡辺明棋王VSサッカー元日本代表・小村徳男さんの席上対局(飛車落ち)の模様。最終盤の渡辺棋王の絶妙手がすごい。

◯後藤元気さんの「渋谷系日誌」は、羽生善治名人の対局中の「そうか」というつぶやき、千田翔太五段の自戦記、将棋会館耐震工事中の対局場だった都市センターホテルのことについて。この号掲載の千田五段の自戦記では非常に率直かつ冷静に千田五段の気持ちが語られており、後藤さんも「長い目で見れば将棋界の貴重な財産になるんじゃないかと思います」と高く評価している。

◯この号では糸谷哲郎竜王-井上慶太九段戦の観戦記が掲載されているが、リバイバル NHK杯伝説の名勝負は、井上慶太八段(当時)と糸谷竜王の師匠の森信雄六段(当時)の一戦(1997年度1回戦)。解説も両方の対局とも内藤國雄九段。井上八段の自戦記がとても温かい雰囲気。

◯棋戦プレイバックは、藤田麻衣子女流1級による第86期棋聖戦五番勝負。第2局の前夜祭での羽生棋聖のスピーチが伏線となるようなシリーズの結末。物語のようだ。

◯付録は、武市三郎七段の「序盤の急所 ②対振り飛車編」。わかりやすい次の一手形式。振り飛車党にとっては、あまり覚えてほしくないような、振り飛車泣かせの基本手筋が満載。

NHK杯戦観戦記

◯2回戦第3局 糸谷哲郎竜王-井上慶太九段

「長蛇を逃す」 観戦記:小田尚英さん

◯2回戦第4局 千田翔太五段-阿久津主税八段

「コンピューターに触れた者たち」 自戦記:千田翔太五段

◯2回戦第5局 阿部光瑠五段-深浦康市九段

「進撃のホープ」 観戦記:君島俊介さん

◯2回戦第6局 佐藤天彦八段-郷田真隆王将

「郷田の新手」 観戦記:私


ということで、今月号には私が書いた観戦記(佐藤天彦八段-郷田真隆王将戦)が掲載されています。

角換わり腰掛銀、プロ間でも注目されている課題局面からの展開で繰り出された郷田王将の新手。

対局前の佐藤天彦八段のエピソード、対局後の郷田真隆王将のエピソードも盛り込んでいます。

(観戦記には盛り込むことができなかった、解説の三浦弘行九段のエピソード)→三浦弘行九段が少し心配したこと

NHK将棋講座2015年11月号、面白い記事が満載ですので、ぜひご覧ください。

 

NHK 将棋講座 2015年 11月号 [雑誌] NHKテキスト

 

羽生善治六冠(当時)のスーパー俗筋にしか見えなかった鮮やかな決め手

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将棋世界1995年5月号、中野隆義さんの第20期棋王戦第3局〔森下卓八段-羽生善治棋王〕観戦記「真空の刃」より。

 定刻の5分前。駒の積み重なりをさらさらと解き、ピシリと羽生が所定の位置に王を据えるのを待って森下が5九に玉を発止と打ちつけた。

 王様の後は、左金右金、左銀右銀の順で香まで。次に角飛と二門の大砲を設置する。歩は、5筋を起点として左右左右と端まで並べていくのが「大橋流」と呼ばれる由緒ある初形の誕生のさせ方である。並べる動作は、玉側が”おゆき”のように、少し遅れてついて行くのが上品とされている。

 対局開始の儀式を執り行う両雄を盤側から眺めやると、一つ一つの駒を置いてゆくペースが森下の方が少し早い。これは、と思っていると、案の定森下は左桂の辺りで羽生に追いついていた。止まるのか、差し切るのかと目を凝らす中、森下の手は左香を並べる所で羽生の先をつっと走っていた。そこに一瞬のためらいがあったか、なんのこだわりも持たずにいたのか、記者の凡眼では見極められなかったが、強敵・羽生に対して森下が自らが持つリズムを保持して戦っていこうという態度は頼もしく感じられた。

(中略)

 1図▲3七銀までは、最近の大流行形。3七銀の形は加藤一二三九段が数十年来愛用しているものである。今ではその積極的な意味を持った手がほとんどの棋士の賛同を得ているということで、神武以来と言われた才の一部がここに証明されているのであった。

羽生森下1

1図以下の指し手
△8五歩▲6八角△4三金右▲7九玉△7三銀▲4六銀△7五歩▲同歩△同角▲5五歩△4五歩▲同銀△5五歩▲3五歩△同歩▲同角△4四歩▲3六銀△7四銀▲4六角△6四角▲7六歩△3一玉▲8八玉△2二玉▲3七桂(2図)

 1図。▲3七銀に対して△8五歩は以前からある手である。これまでは△6四角と早めに出て後手番らしく先手の攻めを牽制しようとする指し方がもっぱらで、△8五歩はしばらく鳴りを潜めていたのだが、後手番だからといっておとなしくしていたのでは幸せはやってこない、というのが今はやりの思想のようだ。

 王将戦第5局にて谷川が△8五歩を採用するのを見たある棋士が「この形は谷川が本気を出したときに使う戦法なんです」と言った。理由を聞けば「オレとやったときにも、そうやってきましたから」とのこと。手順がどうのこうのと教えてもらうより、この手の解説の方が記者には余程すっきりと納得できる。

羽生森下2

 ▲3七桂と跳ねた2図を見て、何かを感じませんか。

 数分間眺めて、何か変だなと引っかかるものがあれば相当な棋才を認めたい。もし、すぐさま分かるようなら、現在のプロ棋士達は貴方が棋士にならなかった分だけ幸運に恵まれたということになる。

 2図では、後手の方が手得をしているのである。ほとんど同形の両軍だが、飛車先の歩の形が違っている。

 控え室では、飛車先の歩が伸びている後手に不満なしと見ていた。

 しかし、森下は独自の大局観で2図を先手がやれる局面だと判定していた。

(中略)

羽生森下3

3図以下の指し手
▲5三歩△4六金▲同馬△6九飛成▲2五桂(4図)

 △6六飛と走って後手が好調かと見えるも、森下の▲5三歩が好手。対して△同銀や△同金とこの歩をはらうのは大変な利かされで、薄くなった3筋めがけて▲3三香と爆弾を落とされてひとたまりもない。また、△5一歩と受けるのもこれまた大変な利かされで、控え室の検討を一手に引き受ける青野照市九段のお言葉もない。オコトバモナイというのは、ようするに、問題になりませんよということである。

 とすると先手には次のと金製造が約束されているわけで、それを上回る攻めが要求される後手は手駒の少なさもあってかなり大変な局面になっているのである。

羽生森下4

4図以下の指し手
△8五歩▲7七銀△5四角(5図)

 森下の▲2五桂(4図)は、後手の第一本線の狙いである△8五歩▲7七銀△1九竜に、▲7八飛(竜取り)△3九竜▲5二歩成の逆ねじを食わせようというものだ。こんな切羽詰まった最終盤で相手の最強手段を殺しながら敵玉に迫る手があれば概ね勝ちとしたものである。

 本譜、△8五歩▲7七銀と進む盤上を目の前にして森下は、手応えありの感触を心に感じていたに違いない。

 △5四角は、それをモニター画面で目撃した控え室も「はああー」と首を傾げた一手であった。

羽生森下5

5図以下の指し手
▲7六歩△3六角▲同馬△1九竜▲7八飛△8六香▲同銀△同歩▲同金△6七銀▲4六馬(6図)

「一体何をやってくるんだろうと思いましたよ」と局後の森下。それはそうだ。△8七角成の筋は簡単に受かるから5四の角は瞬時に打ち損になる運命にある。

 1分の考慮で、当然と見える▲7六歩は打たれた。羽生はどうするんだろうと訝る控え室同様、森下も次の相手の手が分からなかったと言う。さもあろう。つと、羽生の手が伸びて△3六角だが、こんな遊び形の銀を取るなどというのは先手にとって有り難いような一手である。

 記者はこの瞬間、羽生変調!森下勝ちを思ったのだが、驚いたことに事実はまったく逆であったのだった。

羽生森下6

6図以下の指し手
△7八銀成▲同玉△7七歩▲同桂△9九竜▲3三香△8八飛▲6七玉△6九竜▲6八歩△同飛成▲同馬△6六香(投了図) まで、106手で羽生棋王の勝ち。

 △7八銀成以下、先手の玉はあっと言う間に寄ってしまった。△8八飛からは即詰である。

 恐ろしいことだ。△5四角のようなスーパー俗筋が実は鮮やかな決め手であったという将棋を記者は、初めて見た。また、決め手を見た瞬間、それが決め手どころか敗着にすらなりかねない凡手ではないかと感じたことも。

 敵の目の前にありながら、それを凶器と悟らせない刃を羽生は持っている。

「銀を取られて負けと分かっていれば当然(7六)歩と受けずに▲5二歩成を考えていますよ」と森下。

 ▲5二歩成以下△8七角成▲同玉△8九竜▲7六玉で先手玉は容易には寄らず、大変な勝負将棋である。

 また、△5四角自体を警戒していれば▲2五桂では▲1八飛という頑張りも考えられるところであった。しかし、それは通常の将棋感覚ではけっして乗ることのできない路線であろう。

 打ち上げの席では、当日の将棋のことに自分からは極力触れないようにしている記者であったが、フト気が付くと懐から棋譜を取り出して眺めていた。数メートルの至近距離に両対局者はいることを頭のどこかで承知してはいたが、それでもなお、たまらず棋譜を見つめ、隣席の写真家・中野英伴氏に向かって呻いたのだった。

「あの角打ちは読めるというたぐいの手ではありません。その発見に羽生が要した時間は△8五歩の時の僅か13分です。読んだのではなくて、まるでその手を既に知っていたかのような気がします。羽生を倒すのは本当に大変です」

羽生森下7

——–

羽生善治六冠(当時)の△5四角(5図)。

▲7六歩と受けさせてから角を切りつつ3六の銀を取って先手の馬の筋を変え、安心して△1九竜と香を取る。

先手の馬の筋がずれたので、先手が飛車を逃げた時に竜取りにならず、すぐに△8六香と攻撃を続けられるのが大きい。

目の前で賑やかなお祭りをやっているのに、山を2つ越した湿原に倒れている木の枝を取りに出かけるような、非常に不思議な感じのする一手。

私など、一生かかっても考え出せそうにない手だ。

——–

「この形は谷川が本気を出したときに使う戦法なんです」~「オレとやったときにも、そうやってきましたから」がワイルドでたまらなくいい。

誰が言ったのか、今度、中野さんに聞いてみよう。

「オコトバモナイ」も一度使ってみたい言葉だ。

 

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amazonでの将棋関連書籍ベストセラーTOP30。

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団鬼六さんが見た先崎学四段(当時)

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近代将棋1988年2月号、団鬼六さんのアマプロ勝ち抜き戦〔先崎学四段-西山実アマ〕観戦記「秀才は天才に勝てず」より。

 先崎四段は私の家でこれまで本誌のアマプロ戦、3局を戦いました。私の家が彼にとって方角がいいのか、彼はそのいずれにも快勝し、そして、今回、西山実君と対戦する事になったのです。

 西山君は月に何度か私のヘボ将棋のコーチをつとめてくれているのですが、18になったばかりの少年で、しかし、アマ名人戦の神奈川県代表になった事もあり、勿論、高校将棋選手権でも神奈川の代表、県最強戦では優勝したというのですから大したものです。少年だとはいえ、近将のアマプロ戦に登場しても決しておかしくないアマ強豪だと私は思いました。

 それで、この所、ずっと人相のよくないアマ強豪がつづいているようだからたまには美少年を起用してみませんか、と、森編集長に西山君を推薦したわけです。

 西山君は堀の深い、メランコリックな顔立ちの典型的な美少年で、うちのカミさんなんかは将棋なんかにあんなに凝らずテレビタレントになればいいのに、と洩らした事があります。棋士の骨相というのは時々、うちに遊びに来る碁の高木九段みたいなのではないとうちのカミさんは納得出来ないらしい。そういえば一度、拙宅に女流プロの林葉直子さんに来てもらって一局、指南してもらった事があるのですが、うちのカミさんはテレビ女優が遊びに来て私と将棋を指し始めたと思ったようです。女流棋士というとうちのカミさんなんかは社会党の土井委員長みたいなタイプがイメージとして浮かび上がるようです。

 それはとにかく、西山君の登板はきまりましたが、その代わりにこの観戦記を押しつけられたわけで、どうも、この観戦記というのは私は苦手で、というのは私のようなヘボが一局の将棋を分析して、ここでこう指せば有利であったとか、不利になったとか、説明するのは照れちゃうし、例によってごまかしの観戦記で御免蒙らせて頂きます。

 観戦記は作家が書く方が適当などという人もいますが、それは嘘で、ものかきというのは一局の将棋をものとして見るよりも心の風景で対処したがるというか、つまり要領のいいごまかしの術を心得ているという事で、そうなると棋譜が粗悪であろうが、上等であろうが、そんな事は問題ではなくなってしまう。まあ、そこがミソだという事になるのでしょう。

 先崎学四段17才、西山実18才。

 この若い二人、というよりは少年といった方がいい両人と私は対局が始まる前に30分ばかり雑談をしたのですが、彼等が指した将棋よりもその雑談の方が実は面白く感じました。ま、その事をくわしく書くのはやめますが、両者の性格は対照的で、これが当節の少年気質を代表するものではないかと興味深く感じました。

 西山君は万事、控え目で、口数が少なく、華奢で繊細な身体つきだから、何となく少女的になよなよした所があり、目上の人にはちゃんと敬語を使用して育ちの良さを感じさせるが、こっちが話しかけるまで自分の発言をさし控えるという謙虚さが何だかちと若人らしい溌剌さに欠けている感じがするのです。

(中略)

 それとは対照的なのが、先崎四段で、これはどう見ても17才の少年とは思われぬふてぶてしさが感じられます。こまっしゃくれている、と感じるのも彼がまだ17才という少年期にあるからなのでしょうが、そんなのは対局態度などによく現れていて、片肘を脇息に乗せ、身体を斜めにくずし、片手に持った扇子をパチリ、パチリと指先を使ってかき鳴らすなど、如何にも場馴れしたベテラン棋士の風格を感じさせるのです。さすがに容姿だけは少年期のあどけなさはごまかせず、態度と風貌のバランスが全くとれていない感じなのですが、それでもうちのお手伝いさんが対局中、お茶とお菓子をお出しすると、彼は軽く会釈したまではよかったが、観戦している人々の方を扇で指し、皆様にもお茶とお菓子をお出しして下さい、と指示したそうです。

 そんな事はいわれなくたってわかっているのですが、とにかくお手伝いさんは面食らったそうで、それにしても17才の少年棋士が対局中、観戦者にそんなに気くばりを示すなど、これはもう将来、大物間違いなし、と台所でお手伝いさんは笑いながら語っていました。

 私が盤側に観戦に行くと、西山君の方は地震が起こっても気がつくまいと思われる位、熱心に読み続けているのですが、先崎四段はよき話し相手が現れたといった風に、林葉直子ちゃんの小説が今度、映画化されるのですよ、その事、知ってますか、といった風に盛んにこっちに語りかけてくるのです。ペラペラしゃべりかけてくるのは自分の手番になっている時で、西山君の手番の時は彼の思考をさまたけないようにおしゃべりは差し控えるといった風にその点の気くばりはちゃんといきとどいています。

(中略)

 ところが先崎四段の場合は既成の事実を承認し、それに自分を同感させようという感覚がないわけで、従って刺激や変化に対して不安感が生じるという事もないわけです。

 天野宗歩の棋譜をまだ並べた事がないといった西山君に対して私は、将棋を指す人間が天野宗歩の棋譜を見た事ないとはけしからん、と以前、説教したのですが、すると彼はあちこちかけ回って宗歩の棋譜を集め、研究したわけで、それを雑談の場で先崎四段に彼が語ると、この少年四段はそんな努力が将棋の強さにはつながらない、と、まあ、何とも情趣のない結論を口にするわけです。先崎四段に、そこで問題です、といった調子で、木見金治郎やら大崎熊雄やら、神田辰之助やら、そんな昔の棋士、知っとるかと聞くと、名前は聞いたけれど興味はない、などというし、私が将棋覚えたての頃、大橋柳雪の棋譜を並べて感動したというと、一度、僕も柳雪の棋譜を見た事があるけれど、ありゃ、そんなに将棋強くないですよ、と、ケラケラ笑いながらいうわけで、何というか、先駆者に対する思いやりの念がないわけです。しかし、プロセスを通り越して結論だけいえばたしかに彼のいう通りであって、既成の概念に同感しない所は老成しているともいえるわけですが、17才にして、兼好法師みたいによく覚り切れたものだとその点、感心させられます。先崎四段が兼好法師でない所はスタンダールみたいに自分の才能に絶対、自信を持っている事でしょう。何故、自分に自信を持つかというと、それは彼は将棋の天才だから仕方のない事で、羽生にしろ、村山にしろ、森内にしろ、こんなの新々人類というのかも知れないけれど、何だか、最近、クモの子を散らすようにこの種の十代の天才が飛び出して来たような気がするのです。そして、これらの連中は絶対に俺は名人になる、とまで自信があるかどうかは知らないけれど、その場限りの小さな幸せだけを狙ってこせこせ立ち廻る人間でない事はたしかです。

(中略)

 打ち上げの席で先崎四段は私に、いや、僕の完敗で、拾わせてもらったようなものです、というのです。この言葉は謙遜なのか、皮肉なのか、ちょっとわけがわからない。以前、私の将棋の師匠であった富岡英作君は四段当時、アマプロ戦に勝った彼に感想を求めるとアマの相手には悪いけど平手の手合いじゃありませんね、と、何とも憎たらしい事をいいましたが、新々人類はそれより辛辣になってきたのかも知れません。何やら複雑な構造も含まれているようです。

 打ち上げの席で、私は永井社長やら作家の山村さんやら女流棋士の谷川治恵さんやらとワイワイガヤガヤ将棋の話をくり返して酒を飲んでいましたが、先崎四段はほとんど聞き役に廻って口をはさまず鷹揚にうなづいてばかりでチョコンと坐ってました。しかし、山村さんがお土産に持参した高級ブランデーの口をあけ始めると、先崎四段は、明日は対局があるといってアルコール類には手を出さなかったのに、また、こっちも17才だから当然だと思っていたのに、彼は新しいコップを手にしてついと立ち上がり、私の前にやって来ました。そして、僕にも一杯下さい、といって、彼は私の鼻先にぬーとコップを突き出したのです。こんな所などは全く子供に見えました。

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この日は、団鬼六さんの家で作家の山村正夫さんと谷川治恵女流二段(当時)の対局も同時に行われている。

鼻血が出そうになるほど賑やかな団鬼六邸の一日だ。

大胆不敵な観戦記

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大橋柳雪は、「近代将棋の祖」と言われ家元制で最強の名人とされる大橋宗英(九世名人)の晩年の弟子で、「近代将棋の父」と呼ばれる天野宗歩の実質上の師匠。その実力は非常に高く評価されている。

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大橋宗英の嫡子の七代大橋宗与は棋才には恵まれなかったが、大橋宗英の著書の出版事業や将棋の普及に尽力した。

そして大橋宗与は、大橋宗英の死後の1818年、柳雪を養子として迎え、1828年に大橋宗英を襲位させる。

いずれは八段として大橋分家八代目を継承すると思われた柳雪だったが、2年後の1830年、突如として廃嫡となり野に下ることになる。

理由は病がちであった為とされているが、「将棋営中日記」によると、重度の梅毒で聴力を失っていたという。

大橋柳雪は将棋家を去ってからは京都に住まい、そして天野留次郎(天野宗歩)と出会う。

大橋柳雪は45歳の若さで亡くなったと伝えられるが、棋譜以外には文献があまり残されていないため、その生涯は謎に満ちている。

大橋宗英-大橋柳雪-天野宗歩のラインが、将棋の戦略面、戦術面を大きく発展させたわけで、私もいつか、この3人の棋譜を並べてみたいと思っている。

 

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