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「貴方を見ていると勤勉という言葉は罪悪だと思えてくる」

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将棋世界1997年10月号、先崎学六段(当時)の連載エッセイ「先崎学の気楽にいこう」より。

 竜王戦で、ついに近藤君が負けた。松本、行方と、得意のいい加減な中飛車(これは褒め言葉である)で連破したところまでは良かったが、佐藤康光君には通用しなかった。まわしをガッチリ引かれて押さえ込まれ、途中からは大差だった。近藤君は、最後、かけられるだけの王手をかけて、刀折れ矢尽き、玉砕した。

 その数日後、将棋会館へ行くと、近藤君が事務所でニコニコしている。日焼けした顔にピンクのポロシャツなんか着ちゃって、早くも遊び人の雰囲気が漂っている。

「おう近藤君じゃないか、なんだい元気そうじゃないか、俺はてっきり打ちひしがれて憮然としているかと思ったよ」

 背中をポーンと叩いていうと、近藤君は、相変わらずの脳天気な口調で喋り出した。

「いやあ先崎さん、序盤では勝てるかなと思ったすけど、本気を出されたっす。新潟の柏崎高校が甲子園でPL学園と闘ったようなものですよ」

「へっ柏崎高校?」

「僕は柏崎出身なんすよ。冬は雪が深くて練習ができないんです。見たこともない140kmのストレートでビビッちゃうんですよね。こちらは盗塁とか足で必死にかきまわそうとするけど、相手はホームランでカッキーン」

 言うやいなや、本当にバットを持つかまえをしてくるんと回ってみせた。

「最後ね、代打攻勢をかけたっすよね。最後の夏、って思って思いきり振ったらなんとピッチャーゴロっすよ。しょうがないから、一塁にエイッと頭から滑り込んだっすよ。アウト!試合終了」

 今度は頭から滑り込む真似をした。どこまでも脳天気な奴だ。

「涙が出たっすよね。仕方ないから甲子園の砂のかわりに特別対局室の空気をいっぱい吸って帰りました」

 負けはしたものの、新四段で、あそこまで勝ったのだから大したものである。なんでも天から金がふってくるようだと、どこかでいったそうだが、ついこの間まで、無給の奨励会員だったのだから、素直な感想だろう。

「財布を開けたら諭吉さんがいっぱいあるっすよ。ついこないだまでは青い札だけだったのに夢みたいです」

 こういう姿を見ると、やっぱり棋士は浮草稼業だと思う。一番勝つか、負けるかで、ガクンと収入も異なるわけである。自然に、お金に対する感覚もおかしくなっていく。

 昔、20歳ぐらいの時に付き合っていた彼女は働き者で、2つのバイトをかけ持ちして、週に6日働いていた。時給は700円ちょっと、1日働いて5、6千円である。

 ある時、僕がちょっと仕事をして、彼女の2週間分の収入を得たことがあった。いや驚いたのなんのって。

「でいくら貰ったの?」

「10万円」

「で何時間くらい仕事したの?」

「3時間」

「なにそれ……」

 さらに彼女が呆れたのが、僕が、そうして得た金を、競輪で、1日で全部すってしまったことだった。

「こないだも半日で5万円の仕事をしたっていったわね。じゃあ、あれも―」

「あれ?あれはその日に飲んじゃった。パーッとね」

 僕はその時の彼女の表情を今でも覚えている。口は半開きでパクパクし、目はうつろ。やっと出た言葉は「貴方は狂ってる」だった。

 今にして思えば、純粋で、いい女の子だった。後日、お金の有難味について、こんこんと説教されたのである。

 結局、しばらくして別れてしまったのであるが、彼女の言葉の中で一番印象に残っているのは「貴方を見ていると勤勉という言葉は罪悪だと思えてくる」だった。

 (以下略)

——–

この時の近藤正和四段(当時)は、竜王戦決勝トーナメントで2勝し、3戦目(位置的には準決勝に進む一歩手前)で佐藤康光八段(当時)に敗れている。

先崎学六段(当時)は準決勝で、挑戦者となることになる真田圭一五段(当時)に苦杯を喫している。

——–

近藤四段の高校野球での例えが絶妙だ。

「最後ね、代打攻勢をかけたっすよね。最後の夏、って思って思いきり振ったらなんとピッチャーゴロっすよ。しょうがないから、一塁にエイッと頭から滑り込んだっすよ。アウト!試合終了」

なかなか熱血スポーツ根性ドラマのような展開にはならない。

本当に思いがこもった言葉だと思う。

——–

先崎学九段が20歳の頃に交際していた女性との話。

「貴方を見ていると勤勉という言葉は罪悪だと思えてくる」という言葉が発せられた段階で、黄信号あるいは赤信号が灯っていたと考えられる。

お互いが理解しあうことは難しいケースもある。

なかなか、当時流行っていたトレンディドラマのような展開にはならないのが現実の世界だ。

 


将棋関連書籍amazonベストセラーTOP30(9月19日)

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棋士が文章を書く時(前編)

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将棋世界1983年5月号、故・能智映さんの「碁盤が机がわり」より。

タイプライター

 本誌とライバル関係にあたる「近代将棋」誌のことをいきなり書くと、この原稿はボツになってしまうかもしれない。だが堅いことはわたしの性に合っていない。

 以前、同誌に芹沢博文八段の「呑む、打つ、書く」という随筆欄があった。その名のとおり人気を博した文だった。いまは一般の雑誌や新聞にじゃんじゃん原稿を載せている。なのに「この人は決して文章を書かない」といったら、首をかしげる方も多いだろう。最初から横道にそれるが、最初のエピソードから入ろう。

 ご承知のように芹沢は昨年暮れに胃を3分の1切って、いまは呑んでいない。実際、いっしょに旅をしたことがあるが、汽車の中でわれわれにウイスキーをすすめるが、当の本人は安倍川もちをパクパク食べている。以前を知っているだけに気持ちが悪い。その旅の途中で芹沢に聞いた話だ。

「こないだ、カミサンと旅をしたんだ。帰りに甘いものが喰いたくなって、キオスクでプリンを2つ買ってきた。あれうまいね」というのがまた気持ちを悪くする。「それを2つとも喰っちゃったら、カミサンのヤツ プリンプリン怒ってるんだ。『どうして、わたしに1つくれないのか』というんだな」

 それはホワイトデーに近かったのか。和子夫人の怒るのはよくわかる。だが芹沢にはそれなりの理屈がある。「カミサンには、マネージャー料、タイピスト料として月に30万円払ってるんだ。なのに、プリン1つを喰わしてやらないからって怒り出すこたあねえじゃないか。そんなもん、100円玉出して、自分の金で買やあいいんだ」

 喰い意地の張った汚い抗争が芹沢らしくなく、ユーモラスなところが芹沢夫妻らしくて大笑いした。だが、ここでは、このタイピスト料というのが問題なのだ。

 芹沢家に出入りしている新聞記者や雑誌の編集者はみな経験しているはずだ。

「ウチのタイプライターがこわれちゃってね。原稿はあしたにしてくれよ」ということばだ。なんのことはない、奥さんが風邪をひいただけの話だ。

 ここでようやく、本論(?)の”書く”に入る。彼は決して自分で原稿を書かない。しゃべることをすべて”タイプライター”の和子夫人が口述筆記すえる。―仲の良い記者たちのみながいう。「頭の中で文を作り、それを一気に吐き出すのは至難の技だ」と。しかし女性には女性の味方もある。「この原稿、きれいな字ね。テレビで見る芹沢さんが書く字とはとても思えないわ」。わが社の女性社員から何度かきいたことばだ。

なんでも机

  東に芹沢がいれば、西にも大物がいる。

「芹沢さん、月に200枚ぐらい書いているかな」とこともなげにいい出した。「わたしも詰将棋1本を1枚とかぞえれば、200枚は書いてますねえ」―歯切れのいい神戸弁、神戸組組長の内藤國雄王位の”挑戦状”だ。責任感の強い人だ。この人の男らしさを2回見た。これぞ書き屋という、わたしたちが真似をしなくてはならない姿勢だ。

 以前から王位戦の立会人になったときなど、用のないときにすっと消える。「なにかやってるな」と思っていた。内藤とNNコンビを組んでいる神戸新聞社の中平記者(現論説委員)にきいてみると、「自室で原稿を書いているんやろ」ということだった。

 そうした現場を実際に見たのが第23期の王位戦で内藤が挑戦者になったときだから、すごく驚いた。内藤が3勝2敗として、中原の無冠に王手をかけた一局の1日目指しかけの夜だった。東京湾を見渡す木更津市の「八宝苑」だった。1日目の封じ手が終わると、関係者はへべれけに呑む。当然わたしも酔いしれた。しかし、少々内藤に用事があった。部屋のブザーを押したら、すぐにやわらかい声が返ってきた。

「能智さんでしょ。実は待ってたんです。ちょっと上がって見てくれませんか?」

 なんと内藤は、あの大激闘の途中に、いま戦っている王位戦第5局の模様を原稿にしていたのである。いわば同時進行のナマナマしい原稿だ。「ちょっと見てくれんか?」と、原稿用紙をさし出した。きれいな字だ。―「初めて来たわ」という木更津の情景から歓迎の模様、中原の姿まで、実にきちっと表現されていたように思う。

 その翌日の午後、「週刊現代」の村岡記者がきて原稿を受け取り、「内藤さんは、どんな忙しいときでも遅れたことがないんです」と封筒を大事そうにポケットに入れて帰っていった。男っ気を大事にする内藤ならではのやり方だ。

 もう一つある。この原稿を書くちょっと前だった。わたしと、同じ王位戦の観戦記者の信濃桂君は、観戦のあと将棋会館に泊まった。ともに締め切りぎりぎりの原稿を持っていたので、8時ごろに起きてばんばん書いていた。

 そこへ内藤がのっそり現れた。所在なさそうなので、「どうぞ!」というと、「悪いな、じゃまして」といって、すぐに座り込んだ。

 ふたこと、みことあいさつしたあと、内藤がなにをやったか。日本棋院の人が読んだら怒り出すかもしれないが、この場合はわたしと信濃君が机を占領しているから仕方がない。彼は部屋のスミにある碁盤をさっとかかえてきた。将棋盤はごろごろしているが、目もくれないところが、さすが将棋指しだ。

 そして、その上に原稿用紙を広げる。「いままで、ホテルニューオータニにおったんやけど、まだ原稿を書き残しておるんや。能智さん、原稿用紙を4、5枚くれんかな」。―そのお返しに高級ウイスキーのシーバスリーガルをもらったんだから損得ははっきりしている。それから20分ほどだったか、内藤は「見てや」といって原稿を見せてくれる。あけっぴろげの人だ。その文はすぐに週刊現代に載ったはずだ。

(つづく

——–

ワードプロセッサーはPCの文書ソフトの出現によりほとんど死語になっていると思うが、タイプライターはワードプロセッサーの登場によって死語になっているという歴史を持つ。

この頃はワープロ専用機が企業や個人に普及する直前の頃だった。

だから、能智映さんはタイプライターという言葉を使ったのだろう。

——–

タイプライターと言うと思い出すのが、映画「シャイニング」。

霊か何かに取り憑かれ狂気を帯びた小説家志望の夫(ジャック・ニコルソン)が、タイプライターで一心不乱に”All work and no Play makes Jack a dull boy”と同じ文を何行も何枚も打ち続ける超不気味なシーン。

All work and no Play makes Jack a dull boyは、映画では「仕事ばかりで遊ばない。ジャックは今に気が変になる」と訳されていたが、これは英語のことわざで「よく遊びよく学べ」ということらしい。

なぜこの言葉が選ばれたのかはわからないが、「シャイニング」はとにかく怖い映画だった。

 

棋士が文章を書く時(後編)

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将棋世界1983年5月号、故・能智映さんの「碁盤が机がわり」より。

書きたいよ

 ベストセラーといえば、いつか佐藤大五郎八段が自慢気にいっていた。「わたしの著書出版点数は大山先生に次いで第2位だ」と。

「大五郎って名が受けるんだよ。親に感謝しなくてはね」とつぶやいたことばに、わたしは感銘した。だが、その大五郎さん、3年ほどあとの最近、こんどは不満気につぶやくのである。「最近はだめになってきた。中原と米長がじゃんじゃん出すんで、オレは4位に落っこちちゃった」

 明るい彼らしい。

 たしかに中原の本は出ている。わたしが共同執筆で出版した「名人・中原誠」(新潮文庫)だって、10万部は軽く超えた。しかし、この人たちはべらぼうに忙しい。だれもかれもが、自戦記などでゴーストライターをつかっている。これは囲碁の世界でもそうだ。

 しかし、それはそれ。中原といっしょに旅をしていて面白い話をきいたことがある。

 将棋世界誌だったと思う。静かにゆれる汽車の中で読んでいた。隣では中原がまったく静かに読書している。そんな図を想像してほしい。

 わたしの見ている雑誌に中原の自戦記が載っていた。じっくり読んで、隣に話はけた。

「これ、やわらかくて面白いじゃない」

 読んでいた本から、やんわりと目をはずした中原、にこっと例のきれいな笑いを見せていう。「えっ、わかりますか?忙しいときには口述筆記でだれかに書いてもらっているんですが、これは自分で書いたんです。ほめてもらってうれしいな」

 いかにも実直な中原らしい感想だ。その微笑みが今でも脳裏に残っている。

 棋士たちは忙しいから、けっこうゴーストライターを使っている。将棋の世界はまだ及ばないが、囲碁界では年収1,000万円を越えるライターが「6人ほどいるよ」ときいた。

 これも木更津対局のときだった。なんの拍子か、中原が先輩の内藤に話しかけた。

「内藤さんだって、ライターに書いてもらうってことはあるでしょ。でも、あれはけっこう時間やテマがかかるんですよね。研究したあとに、しゃべって、書いてもらったものを読んで確認するんですよね。その上に図面まで書かされちゃうんじゃあ、自分でやったほうがよっぽど楽だと思うんだけど―」

 忙しい棋士たちだから、これはやむを得ないと思う。内藤の思考をとめて「そりゃ、そうや」と深くうなずいた。しかし彼らは時間のある限り書いている。ほんとうは自ら書いてファンに訴えたいのだ。

毎日一本

 決して不満気にいった話ではない。中原が「ふっふっふっ」とふくみ笑いしながらもらしてくれた古いエピソードを披露させてもらいたい。

 中原は小学4年の秋、塩釜市から単身上京して高柳敏夫八段の内弟子となったことは、将棋ファンならだれでもご存知だろう。

 筆の立つ芹沢や中原を育てあげた高柳は、自身よく本を読み、能筆家だ。芹沢のペンネームが「鴨」なら、師の高柳は「又四郎」の名で王座戦などの観戦記を永く書いている。ところが、これが幼い中原を泣かせることになる。

 とにかく筆が遅いのである。例外はあっても普通、観戦記者は原稿を一局まとめて書く。そのほうが筆に勢いがつくし、同じようなことを二度書く心配もない。わたしなども”担当記者で将棋が一番弱い”こともあって遅いほうだが、だいたい4、5時間で一局分は仕上げてしまう。だが、この高柳は貴族的といおうか、まことにもって悠長だ。当の本人からも最近きいた。「だいたい1日1譜ですね。それも締め切りが迫ってこないとやる気が起こらないんですよ」

 それもいい。そういう書き方のほうがていねいな文章ができるかもしれない。「でもねえ」というのは弟子の中原だ。ある意味で、なつかしさもあるといった顔つきだ。

「先生は若いころ、身体をこわされていたこともあったんでしょうが、寝そべってマクラの上で原稿を書くんですよ。しかも、締め切りぎりぎりのを1譜ずつですからね」

 たくさんの俊英を育てた高柳だから、当然弟子思いだ。それでも「短気な面もあるから、相当に乱暴だよ」と一番弟子の芹沢がいうから確かだ。―どの世界でもそうだが、芸の道では”師匠といえば親も同然”、いや親以上である。高柳が寝そべって書く”平安ムード”の中にも、弟子に対するきびしい姿勢は厳然とあった。芹沢が「内弟子をしているころ”生意気いうな!”って果物ナイフを投げつけられたこともあった」というから、それは火のようなものだ。芹沢は続ける。

「中原はまだいいよ。オレは先生の若いころに内弟子生活を送ったが、中原は先生が余裕を持った時代に内弟子になった」

 師匠を尊敬しながら、茶化してみたい芹沢はよくいう。「オレと反対の教育をしたら、中原ができあがっちゃったんだ」。文才がなければいえないせりふだ。

 だが、中原にだって”果物ナイフ”は飛んできた。―米長が当時の中原についていう「眼鏡をかけたかわゆい坊や」、その姿が目に浮かぶ。

……東北地方から出てきたばかりの少年が一人、省線(国電=昔はそういった)に乗っている。神宮の森が見える。後楽園球場が視界から消える―。その小さな手に茶封筒がにぎられている。いったい、どこへ行くのだろうか。あとは中原自身の話をきこう。

「高柳先生の観戦記を日経新聞社まで届けに行くのがわたしの仕事の一つだったんです。それが、まとめてならいいんですけど、毎日一本ずつなんです。あれにはまいりましたね」

 内弟子生活というのは相当にきつい。普通の子と同じように学校の勉強をしなくてはならないし、将棋の勉強もしいられる。さらに中原には渋谷の高柳道場を手伝う仕事もあった。―その上での原稿届け、いわばお使いさんみたいなものだから、少々腹が立ってもおかしくはない。

 つらかったのか、おかしかったのか。これは将棋界では相当に有名な話になっている。つまり中原があっちこっちでしゃべってしまったということにもなる。あとで田中寅彦七段にきいたら「ぼくもその被害者です」とか。宮田利男五段、大島映二四段ら内弟子経験者はみな、そうらしい。

 師弟、つまり親以上。「くっくっくっ」と笑いながら、親しみを込めて話すエピソードは、どっかゆとりがあって楽しめる。

 ちょうど、この原稿を将棋会館で書いているとき、こんどはわたしが中原に”果物ナイフ”を投げつけられた。その日、王位戦の観戦もやっていた。

 書いて見て疲れた。「呑みたくなったなあ。対局者(田中七段)に頼んで、あした感想をきこうかな」とつぶやいたら、そこに中原がいた。最近はいたずらっ気が多い。「そりゃずるい。それどこかに書いちゃお」

 いつもわたしが中原のことを書きまくっているのへしっぺ返しだ。

将棋から碁へ

 まったく”ふるーい”「将棋世界」を複写する。昭和40年11月号だ。”棋界のエリート”という記事。これが若い中原をうまく表現しているので、何回か引用させてもらった。樋田昭夫氏、いまはあまりお目にかかれない名だが、実はこれ、河口俊彦五段の古いペンネームだ。さわりだけ紹介させてもらう。

「毛なみのよさは、人柄や生活態度だけでなく、将棋にもっともよくあらわれていると思う。秀才らしく、指し手に渋滞がなく、攻めのねらいにくるいがない。いわゆる本格的な、玄人受けのよい将棋である」

 おそらく、中原がまだ日経新聞社通いをしていたころ、四段になったばかりの彼を実にうまくとらえ、将来までを見抜いている。

 その河口、いろいろなペンネームを持つ。本誌と姉妹誌の「将棋マガジン」で人気ナンバーワンの読みもの「対局日誌」の執筆者も実は河口で、それをまとめて「勝ち将棋鬼の如し」(力富書房)という本も出した。軽快な筆致の裏には、努力もある。

 あの「対局日誌」を書くためだろう。とにかく河口はよく将棋を見ている。わたしも週に2回ぐらいは会館に行くが、そのときには必ず河口がいる。それも深夜までだ。

 普通の場合、夜中までとぐろを巻いているやからは”呑み友だちを待っている”と思っていい。わたしなど、そのたぐいだ。しかし、河口は違う。対局室と記者室を往復して、若手棋士の意見をきちっときいている。

 こんな緻密さが、いい文となって出てくるのかと思う。興味がペン先を動かすといってよかろうか。

 妙な場所で河口に会った、なんと囲碁の日本棋院だった。河口は連盟でも屈指の打ち手だ。だから碁打ちの友人も多い。―遊びに来ているのかと思ったら、きいてみると違うのである。「囲碁の観戦に来たんですよ。新人王戦の観戦記をずうっと書いているんです」。そしてあとに出てきた言葉がふるっている。「将棋の観戦記を書くよりもずっとおもしろいですよ」

しつけがうまい

 やっぱり最後には”帝王”の大山のことを書かねばなるまい。4年ほど前だったか西日本新聞夕刊の随筆を50本ほどお願いしたことがある。とにかく忙しい人なので、入手がむずかしいかと思っていたのだが、そこはきちょうめんな人、すいすいと入ってくるのにはかえって拍子抜けした。

 しかも字がすばらしくきれいなのにも驚かされた。それをいうと、大山はニコッと笑って本当のことを話してくれた。こちらもタイプライターだ。

「いや、女房(昌子夫人)に書かせているんですよ。わたしがだいたいのことを話しておくと、けっこううまくまとめて、4、5本作っておいてくれるんです」

 忙しい大山だから、こうでもしなければ50本もの原稿は書けまい。それにしても大山といい、芹沢といい、将棋指したちは”奥さんへのしつけ”がうまいものだと感心せざるをえない。

——–

たしかに、佐藤大五郎八段の著書は多かった。

その中でも無敵四間飛車 (1985年)は非常に好評だったという。

私が子供の頃は、清野静男七段(当時)の著書が多く書店に並んでいたと思う。

——–

河口俊彦八段が初期の頃に樋田昭夫というペンネームであったことは、将棋世界2015年6月号、田丸昇九段の「盤上盤外一手有情」でも書かれている。

河口八段のその後のペンネームは川口篤。

将棋マガジンである時期まで「対局日誌」の筆者は川口篤だった。

——–

高柳敏夫九段(又四郎)の観戦記は好きだった。

午前1時頃、酔っ払って家に帰って、日本経済新聞夕刊の観戦記欄に目を通して、何度か涙が流れてきたことがあった。

酔っ払いながら観戦記を読んで涙を流す私の癖は、又四郎から始まっているのだと思う。

 

佐藤康光八段(当時)に降りかかった危機

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将棋世界1997年5月号、佐藤康光八段(当時)の連載自戦記「森下システム復活か」より。

 先日、今年の初ラウンド。メンバーは理事も務められている滝七段と職員でありながら詰将棋作家としても有名な角さんと3人。

 3人共腕前はほぼ同じ、いい勝負で滝先生には既に永久スクラッチ(平手)を宣言されている。

 寒い冬のスタートだったが私は快調に行く。しかし徐々に乱れスコアが拮抗する。そして9番ホールで事件発生。

 ティーショットが終わり、2打目地点へカートで向かう。

 丁度となりのホールの組と交わる道になり、すれ違った瞬間、ガチャッといやな音が。運転していた私はいやな予感がした。何かと思えばとなりのホールの人のクラブのシャフトを折ってしまったのだ。

 さすがに初めての珍事で青ざめる。

 恐る恐る相手の顔を見るが親切な若いカップルで一安心。ちょっと間違えば大変なことになる所だった。

 後はおどおどする私を尻目に最近一段と交渉、話術に磨きのかかる滝先生と甘く、やさしい声で平身低頭される角さんに助けられ無事収まりホッ。

 ただしスコアはその後乱れたのは言うまでもない。

 そして2週間後、送られてきた請求書を見ると「サイン付きで」とあった。どうやら身元がバレていたらしい。

 とにかくお二人には深謝深謝である。

——–

もし相手がその筋の人だったなら、なかなか厄介なことになっていたわけで、佐藤康光八段(当時)の運は悪くなかったと言えるだろう。

ここに出てくる角さんは、後の将棋世界の編集長で、現在は詰め将棋書籍の編集・発行等を行っている角建逸さん。

愛嬌のある営業部長といった感じの滝誠一郎七段(当時)と温厚な紳士の角さんの組み合わせなら、このような状況では盤石だ。

——–

ゴルフ場内のカートは、運転免許を持っていないと運転ができないルールとなっている。(法的なものではなくローカルルール。免許を持っていない人が運転をして事故が起きた場合、保険不適用となる)

1990年代、電動カートのあるゴルフ場へ行ったことがあるが、運転免許を持っていない私は確実に運転をしていないはずだ。ボールが小刻みにか飛ばない(転がらない)ので、優雅に移動することなどは一度もなく、常に走りっぱなしだったから。

——–

私は運転免許を持っていないくせに、車を運転する夢をたまに見る。

運転はそこそこうまくいっているのだが、無免許運転をしているという後ろめたさが、夢を見ている間中続いている。

夢の中なのだから全然気にしなくていいのに、と思いながらも背徳感を抱え続けているわけで、夢を見終わった後、とても損をした気持ちになる。

もう一つ、私は泳げないくせに泳いでいる夢もたまに見ることがある。

泳いでいるんだからこれは絶対に夢だ、と自覚しながらも、夢の中で牛歩のようなスピードで川や海を泳ぎ進んでいる何の変哲もない夢。

もっと楽しい夢がローテーションに入ってくれると良いのだが。

 

 

井上慶太八段(当時)「あれはないですわ。精神があきません」

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将棋世界1997年12月号、神吉宏充六段(当時)の「今月の眼 関西」より。

 ゴルフが一向に上達しない。始めて14年目、そろそろテレビで見たような格好いいフォームでパシッと飛ばしてビシッと寄せたいが、よく飛んでも次がチョロだったり、2オンしても4パットって事もある。

 アメリカ人なら「ノウ~!!」と叫んでしまうミスショットに、やはりこちらも上達度?パーセントの谷川浩司竜王・名人は「ゴルフなんてやめてやるブツブツ」と言っている。まあ、この「やめてやる」宣言はいつものことなので良しとして、14年前とほとんど変わらないスコアには、なんで上手くならへんねやろ?とお互い嘆く日々。

 ところがその謎が遂に解けたのである。私の場合、名古屋の中山則男四段曰く「プレー中、ずっとウケ狙いのギャグばっかりやっとるからですわ。急に歌い出したり、キャディーさんを笑わしたり……気合なんて入らんでしょう」だそうである。そう言われてみれば、プレー終了後は喉が痛いし、どこをどう回ったか記憶にない。うーん、こればっかりは私の性格やからなあ……。

 谷川浩司竜王・名人。井上慶太八段曰く「兄弟子はあきません。だってこの前ゴルフ回ったとき、ボールみたら巨人のロゴマークの付いたのを使っとったんですわ。なんぼもらったから勿体ないて言うたって、大の阪神タイガースファンのくせに、あれはないですわ。精神があきません」とバッサリ。そや、それやったらそのボール私に分けてんか!(あんたも阪神ファンやろ! 慶太)

(以下略)

——–

恋人や妻子や両親の写真がプリントされたされたゴルフボールがあったとしたら、心理的・道義的にとても打てないと思う。

ゴルフボールの場合はこの辺の解釈が難しく、谷川浩司竜王・名人(当時)が大好きな阪神ではなく、宿敵・巨人のボールを使っていたのは、それはそれで理にかなっているように思えるのだが、これは私がゴルフが下手だからそう感じるのかもしれないわけで、なかなか難しい。

 

2015年9月将棋関連新刊書籍

くいちがった升田説と内藤説

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将棋世界1983年5月号、石田和雄八段(当時)の「将棋相談室」より。

問 どちらが正しい?

相談室1

 1図から升田九段の「升田流新戦法」では”▲7七角△8二飛▲8三歩△3二飛▲8八飛で先手有利”と書いてあります。しかし内藤王位の「石田流穴熊破り」では”▲7七角△8二飛▲8三歩△5二飛▲8八飛△7二金となって、攻め切るのは容易でない。だから1図では▲8八飛とする”と書いてあります。

 どちらが本当なのでしょうか。

(愛知県 Oさん)

 当代一流棋士の見解がこうもわかれているのでは、あなたが疑問をもたれるのはもっともだと思います。

 私がその間に入って明快な結論を出すということは僭越かもしれませんが、なんとかがんばってみましょう。私も時間をかけて調べてみたのですが、1図以下▲7七角△8二飛▲8三歩△3二飛▲8八飛(2図)でよしとする升田九段の説には首をかしげます。

相談室2

 内藤王位の言われるように、この局面は角を手放したぶんだけ先手が苦しいように思われます。

 ここはやはり▲8八飛(3図)とぶっつけるのが正着だと思います。

相談室3

 飛車交換になれば、飛車の打ち込み場所の多寡、玉の固さからいって後手は絶対的な不利に陥ります。

 そこで後手は△8七歩と打ちますが、▲9八飛△8八角▲7八金△3三角成▲7七角△8二飛▲8六歩(4図)から、△8七歩を取るねらいで指せば先手有利と思います。

相談室4

 これは内藤王位の著書に書いてあったかもしれませんが、見解のわかれる1図の局面では▲8八飛とぶっつけるのが正解とする内藤説に私は賛成します。

——–

升田式石田流の変化局面。

私も1図と似たような局面で▲7七角△8二飛▲8三歩と指して、その後苦しくなった記憶がある。

▲7七角△8二飛▲8四歩と指したこともあるが、△3三桂(△3三銀だと▲8八飛△7二金▲3三角成△同桂▲8三銀がある)と指されて、ウッとなったこともある。

なるほど、1図からは▲8八飛が正解なのかと、個人的には20年以上持っていたモヤモヤ感が取れた感じだ。

 

 


第63期王座戦第3局対局場「龍言」

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羽生善治王座に佐藤天彦八段が挑戦する王座戦、第3局は新潟県南魚沼市の「龍言」で行われる。→中継

上杉景勝・直江兼続ゆかりの坂戸山ふもとにある六日町温泉「龍言」は、越後の豪農屋敷や庄屋屋敷を移築してきた建物を使っており、大庭園は約4000坪の広さを誇る。
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〔龍言の料理〕

龍言では、懐石風の料理はあえて避けており、鮎、岩魚、ヤマメ、川鱒、きのこ、山菜など、豊かな地元食材を生かした郷土料理および日本海の海の幸を主体とした料理を中心としている。

通常の食事は部屋での夕食・朝食となるため、タイトル戦の昼食は特別メニュー。

〔龍言での昼食実績〕

将棋棋士の食事とおやつのデータによると、龍言でのタイトル戦戦昼食実績は次の通り。(一日目、二日目あるいは昼食、夕食)

2013年王座戦
羽生善治王座 ひつまぶしセット、おにぎりセット ◯
中村太地六段 ひつまぶしセット、親子丼 ●

2012年竜王戦
渡辺明竜王 カレーライス、お刺身定食 ◯
丸山忠久九段 もち豚の味噌焼定食、ぶりかまの照り煮定食 ●

2008年竜王戦
渡辺明竜王 カツカレー、天ぷらうどん ◯
羽生善治名人 カツカレー、カツ丼 ●

2008年王座戦
羽生善治王座 いくら丼セット、おにぎりセット ◯
木村一基八段 天ざるセット、バナナ・ヨーグルト ●

2006年竜王戦第7局
渡辺明竜王 天ぷらうどん、わかめうどん ◯
佐藤康光棋聖 天ぷらうどん、素うどん+おにぎり2個 ●

2004年竜王戦第7局
森内俊之竜王 天ぷらうどん、カレーライス ●
渡辺明六段 きつねうどん、きつねうどん ◯

〔昼食予想〕

羽生善治王座はこの辺で奇手を放ってくると予想したい。佐藤天彦八段は鰻系で。

羽生善治王座

昼食 もち豚の味噌焼定食

夕食 天ぷらうどん

佐藤天彦八段

昼食 ひつまぶしセット

夕食 おにぎりセット

 

山崎隆之六段(当時)のパラダイス

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近代将棋2005年2月号、村山慈明四段(当時)の「定跡最前線特捜部」より。

 横歩取り△8五飛戦法の対策として一世を風靡したのが「山崎流」と呼ばれる8筋に歩を打たないで角交換する型である。山崎流に対して中座真五段が指した新手が優秀で、今では全くといっていいほど山崎流は指されなくなった。

 が、山崎流の生みの親である山崎隆之六段はまた新しい作戦を生み出してきた。今月はその「新山崎流」について解説したいと思う。

(中略)

山崎1

 基本図の先手の陣立てが新山崎流の骨格である。見ての通り居玉であるが、その分桂馬の活用が早い。ここが主眼である。基本図ではすぐ仕掛ける△8六歩と、駒組みを進める△7四歩に分かれる。まずは△8六歩から調べてみよう。

基本図以下の指し手
△8六歩▲同歩△同飛▲3五歩△8五飛(1図)

 △8六歩の仕掛けは若干早いような感じもするが、先手の右辺が壁になっているので有力な手段である。▲3五歩と飛車の横利きで受けるのはこの形での常套手段。後手はすかさず3五の歩を狙って△8五飛と引く。ここで通常の中住まいならば▲3三角成~▲3四歩と攻め合いに行く手も考えられるが、この形では直後の△8九飛成が厳しすぎてさすがに無理だ。

 では、△8五飛にはどう対応するのが良いだろうか。無論▲8七歩のような弱気では△3五飛で不利となる。

山崎2

1図以下の指し手
▲7七桂△3五飛▲2五飛△同飛▲同桂△1五角▲6五桂△2九飛(参考1図)

山崎3

 ▲7七桂と活用するのは有力な指し方の一つ。△3五飛までは▲山崎-△山本戦の実戦例があり、その将棋は▲3六歩△3四飛▲6五桂△8四飛と進み後手が勝っている。

 ▲3六歩が疑問で、▲2五飛が優るというのは山崎六段本人から直接聞いた話。飛車交換直後の▲6五桂と跳んだ局面にて、玉が6八~7七と逃げる様を指でなぞり「パラダイス」と表現していた(なかなかユニークな発想だ)。パラダイス拒否の△2九飛(これも絶好打である)と打った参考1図はどうだろうか。先手玉は大駒2枚に睨まれ、かなり危険な格好である。

 しかし参考1図で▲2三歩△同金▲2四歩と攻めると後手は△同角と取るしかなく、だいぶ先手玉が楽になる。以下▲8二飛と打ち込んで先手が少し良さそうだ(△2五飛成なら▲5三桂成△同銀▲2二角成で先手良し)。

(中略)

 新山崎流ははっきり言って本人以外に指す人が少なく、それゆえ実戦例も少ないので未開拓の分野が多い。しかし今回僕が実際に指した感じだと、居玉も指し方によってはしっかりしているし、早めに右桂を活用しているため攻撃力もある、なかなか有力な作戦という印象だった。

 先ほど解説した山崎-村山戦の感想戦で、山崎六段は残念そうにこう言っていた。

「昔の角交換するのはみんな指してくれたけど、これ(新山崎流)は誰も真似してくれない……」

 僕の講座を読んで「新山崎流」を指す人が増えるかもしれませんよ。

——–

先手玉が6八から7七と逃げるのを「パラダイス」と表現するのは、玉の薄い将棋を得意とする山崎隆之八段ならではのユニークな感性。

日本語に訳せば「楽園」ということになるのだろう。死地から逃げ出すことができれば、そこがどのような環境であれ楽園だ。

人によっては穴熊や美濃囲いに入城してパラダイスと思うこともあるだろうし、美濃囲いではまだまだダメで銀冠になってようやくパラダイスを感じる人もいるだろう。

私は昔から石田流本組に組めた時が「パラダイス」と感じているので、なかなか強くなれないのかもしれない。

 

ブログを少し変更しました

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この連休中に、このブログのSSL化(http://からhttps://に変える)を行いました。

SSL(Secure Socket Layer)は、インターネット上でやりとりされるデータの「盗聴」「改ざん」「なりすまし」を防止するための暗号化プロトコルで、最近ではGoogleがSSL化を推奨しています。

お金の動きが伴うECサイトではないし、Googleでの検索順位にも現段階ではあまり影響しないということなので、SSL化を急ぐ理由もなかったのですが、レンタルサーバサービス会社がSSL導入の割安キャンペーンを始めたので、ついつい手を出してしまいました。

URLはhttp://shogipenclublog.com/blog/からhttps://shogipenclublog.com/blog/に変更になりますが、http:からhttps:へのリダイレクトを行っているので、このブログを見に来ていただく方には特に操作上の変更点などはありません。(Windows XPや、かなり古いバージョンのブラウザからは見ることができなくなります)

また、スマホからご覧いただく場合、

「セキュリティ警告 このサイトのセキュリティ証明書には問題があります。×サイト名と証明書上の名前が一致しません」

というメッセージが出ることがありますが、これは全く気にしないで先に進んでください。

——–

この連休中はSSL化に悪戦苦闘して、丸2日は時間を費やしたと思います。

ようやく完了したか、と思っても次から次へと襲ってくる問題。

多くの方々の自戦記を参考に、ようやくどうにかなったように見えます。

特に、以下の記事には本当に助けられました。ありがとうございました。

インターネットがあったからこそ、困った時にこのような記事を迅速に見つけることができた、と思う反面、インターネットがなければこのような苦労はせずに済んでいるとも言えるわけで、なかなか微妙な気持ちでもあります。

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大山康晴十五世名人「ヌードの玉は所詮助からない運命」

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大山康晴十五世名人らしくない将棋と自戦記。

将棋世界1983年3月号、大山康晴十五世名人の連載自戦記〔棋聖戦本戦トーナメント 対谷川浩司八段戦〕「ほっと一息が敗因」より。

 谷川さんと対戦するたびに、昔土居市太郎名誉名人(故)と初めて平手戦を指した頃を思い浮かべる。年齢の差という点で、まことに似ているからだ。

 当時は話題の一つでもあったし、私は体のふるえる緊張感にとりつかれていた。土居先生のつらそうな表情も頭の中にのこっている。ところが、いまの私と谷川さんには、そんなフンイキは全くない、といってもよい。

 年齢差などの感覚は、つけ入るスキもないほど、対局が多くなったせいでもあろう。

 その上勝負の世界には、”非情”の二字あるのみ、の心理状態がふつうになってしまったことも、大きく手伝っているようだ。

(中略)

 △4二銀で△3二銀なら、四間飛車指向。

 また△3二飛ならズバリ三間飛車である。

 三間飛車は、ちかごろよく指す。とくに中原さんのときが多い。なのに、谷川さんには”中飛車がまえ”の振り飛車でいきたくなった。それで△4二銀の形にしたわけだ。私は相手によって、いろいろな形の振り飛車を指してきた。成功も多いが、はずかしいような失敗もある。しかし、その成功と失敗の中に新発見を求めるのが好きだし、プロとしての一面の使命とも考えている。

 谷川さんの▲5八金右には、得意の急戦作戦が感じとられた。ワリワリやってくるのが若手棋士のよい一面である。

(中略)

大山谷川1

1図からの指し手
△4五同歩▲2四歩△8八角成▲同銀△2四歩▲7七角△2二角(2図)

 ▲2五歩、△3三角、▲4五歩で、急攻開始となる。

 ”いらっしゃいますか”といえば、”ハイ、いきますよ”と簡明率直にやってくるおおらかさに、洋々たる期待感があふれでる気持ちだった。△4五同歩では、△3二金の待ち、△4二飛の迎えうちも考えられるが、どちらも”気合負け”を感じさせる指し方。

”気合い”というのは、合理性に欠く言葉だが、決められた時間内の勝負には、かなり物をいう。よい手や、ミスなども、気合いから生まれる場合が少なくない。

 △4五同歩は、気合い負けを警戒したのである。つづく△8八角成で、△2四同歩は、▲3三角成△同桂▲2四飛△2二歩▲4四歩で、次に▲4三角を見られるから、谷川作戦図星になってしまう。

 ▲7七角は、抜け目のない一手。その抜け目ない効果がすぐ現れてくる。

 △2二角は、ぜひなき応手。△2二角で△3三角は、▲同角成△同桂▲2四飛で、前述同様私の方がわるい。

 それにしても、若い谷川さんの上手なかけひきには、”出来上がり”さえ感じられた。

大山谷川2

2図からの指し手
▲2四飛△7七角成▲同銀△2二歩▲2三歩△3二金▲2二歩成△同金▲4四歩△同銀▲4三角△3三銀▲5二角成△同金▲2二飛成△同銀▲3二飛(3図)

▲2四飛、△7七角成、▲同銀。この形になれば、▲7七角打が、抜け目のないプラスの手であったことがよく解る。

 ▲8八銀はカベ銀といって、わるい形の見本の一つ。それがつごうよく▲7七銀のよい形になり、しかも▲2四飛は、こわい攻めゴマになっている。しかし、谷川さんはホホをゆるめない。心技ともに充実している感じであった。

 ▲2三歩では、すぐに▲4四歩も考えられるが、私の陣形をひっかき回してから▲4四歩を断行するネライの▲2三歩であったようだ。少々作戦にすぎる指し方ではあるが……。すんなりと、飛車を成り込ませるわけにはいかない。ましてと金をつくられてはかなわないので、乱れを承知で△3二金から、△2二同金と、しんぼうした。

 ▲2二歩成で▲4一角は、△2三歩で谷川さんがおもしろくない。△2二金の悪形を見て、谷川さんはネライの▲4四歩を放つ。

 △4四同銀は絶対。となれば▲4三角から△5二同金までは、議論の余地ない進行といってよい。

 ▲2二飛成は無理に見えるが、谷川さんとしては、この強攻に望みをかけ、花を咲かせる自信を持っていたにちがいない。

 私も▲3二飛と打ち込まれたとき、瞬間、”やられたかな”の気持ちにとりつかれた。

 あばれん坊の若大将は、昔からとかく恐い力持ちといわれているからだ。

大山谷川3

3図からの指し手
△4二飛▲同飛成△同金▲6二金△7一角▲同金△同玉▲5一飛△6一飛▲同飛成△同玉▲3七桂△2九飛▲4五桂△5二玉(4図)

 △4二飛は、これしかない。金銀どちらをとられても、負け形になる。が、玉から遠くはなれてゆく金をながめて、心細くなった。

 ▲6二金。こんなに早くから、玉の胸板にドスをつきつけられる。

 あぶない、と内心ビクビクものだったが、”若さって、いいなあ”と若大将をうらやむ気持ちも湧いてきた。△7一角はコマぞんだが、ぜひもなし。

 ▲7一飛をあたえては、それまでとなる。

 ▲5一飛から、私の玉は中央に引っぱりだされる。隠れ家も、空き家になった。

 後にこの空き家に侵入されて、私の玉はひどい目にあう。△6一玉を見て、裁きの白洲に引きだされる感じになる。

 しかし、谷川さんは一息つくように、▲3七桂と応援の桂を攻めに使うネライに出る。

 鮮やかな大岡裁き、とはいかなかったようだ。

 反攻のチャンス。△2九飛と打ち下ろしてこんごどんな動きになろうとも、一手を争う、キワドイ勝負になること疑いなし。

 一方的に寄り切られる心配がなくなった、の安堵感のようなものがこみあげてきたが、それが、軽率につながって、△5二玉と危険な手を指す。

 △5二玉で△2三飛成なら、有利な展開になったと思う。

 勝つまでは、ホッとしてはいけない。相手の持ちゴマが盤上にちらばったときにホッとすればよい。この言葉を数えきれないほど、自分で、自分に言い聞かせてきた。

 それでも、また”ホット”がでた。苦笑するほかはないのである。

大山谷川4

4図からの指し手
▲8二角△4六角▲5七銀△3七角成▲9一角成△4六歩▲8二馬△4七歩成▲7二馬△5八と▲4四香△5一金▲8二飛(5図)

 ▲8二角と、空き家に侵入されて弱った。

 弱ったでとどまれば、まだよいのに、焦りに変わった。速度負けはならじ、と攻め合いをいそいで△4六角と次に△7九金をねらったが、△4六角では△9三香▲7一角成△6一金のしんぼうもあった。

 昔はそういうしんぼうが好きだったのに、ちか頃は勝負づけをいそぐ気持ちが強くなった。体力のせいかもしれない。

(中略)

 谷川さんの▲8二飛はきびしい追い打ち。しかし、こんな土壇場になると、かえって気持ちが落ちつくものである。

大山谷川5

5図からの指し手
△6九飛成▲8八玉△7八金▲9七玉△6四馬▲7五銀△7七金▲7三馬△6二銀▲同馬△同金▲4二香成△同玉▲6二飛成(6図)

 もう受けは効かない。たとえ、効いたとしても、攻めるべきは、攻めておくのが定法というものだ。私は定法にしたがって、△6九飛成から▲9七玉と玉を追い上げ、△6四馬の王手は、つごうよく、また気分よしの攻めである。

 調子のよさに、あぶない形の自分の玉も忘れるほどであった。

 (中略)

 谷川さんは、▲7三馬の攻めに希望をのせて、▲7五銀とがんばったわけだ。自玉は詰まない、と確信して、私は△7七金と銀をとった。次に△8七金以下の詰みをにらんでいる。

 また▲7七同桂なら、△9九竜で、私の勝勢である。

 どうやら、むずかしい終盤戦を勝ち抜けたのかな、と思ったとたんに△6二銀の敗着を打ってしまう。△6二銀で、△6二金打と守っておけば、むずかしい変化はあっても勝ち味は十分のこされていた。

 詰めるのに都合のよい銀を渡す形になっては、苦心も水の泡になってしまった。

 当然と思える▲6二同馬に、谷川さんは6分も考えている。

 意外な宝物が目の前に出されても、すぐとびつかないんだから、心理的な勝負術も憎いほど心得たものである。

 それでも、▲6二同馬をやめるわけではなく、慎重に読んでからの▲6二同馬以下の寄せは迫力満点であった。

大山谷川6

6図からの指し手
△5二香▲5一銀△4三玉▲5二竜△4四玉▲5五金△同馬▲5三竜△4五玉▲5五竜△3六玉▲4六竜△2七玉▲1六角△2八玉▲1八金(投了図)まで、105手で谷川八段の勝ち。

(中略)

 ▲5一銀は、本当に憎かった。前述したように、△6二銀の守りを△6二金打に変えていたら、▲5一銀はなかったはず。

 にくい、にくい、と見ているうちに、自分も、谷川さんも、ついでに憎くなった。

 勝負生活50年でも、煩悩の火は消しえないようである。▲5二竜ができては、もう詰み筋のコースである。

 ▲5五金も、うまい打ち捨てにちがいないが、プロの感覚からすれば、いわゆる筋なのである。どうやら△2七玉までは逃げのびたが、ヌードの玉は所詮助からない運命。

 ▲1八金で、トドメをさされた。△2九玉と逃げても、▲2六竜△3九玉▲3七竜までである。敗因は”ホット”の一言につきる。

大山谷川7

——–

谷川浩司八段(当時)の1図から3図にかけての攻めが、本当に若々しい覇気に溢れている。

その中に含まれている▲7七角のような相手の力を利用して壁銀を解消する老獪な技。

——–

この自戦記は、「あばれん坊の若大将」、「玉の胸板にドスをつきつけられる」、「裁きの白洲に引きだされる感じになる」、「鮮やかな大岡裁き、とはいかなかったようだ」、「ヌードの玉は所詮助からない運命」など、どちらかと言えば、大山康晴十五世名人らしくないケレン味溢れる表現が多い。

大山康晴十五世名人はこの頃、日本将棋連盟の会長も務めてかなり忙しかったわけで、大山名人が骨子のみを語って、あとはライターが肉付けをしていたとも考えられる。

どちらにしても、なかなか個性豊かな表現だ。

 

将棋関連書籍amazonベストセラーTOP30(9月26日)

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メンズショップの高校生棋士トリオ

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近代将棋1988年2月号、「棋界mini情報」より。

 先日、パンパンにふくらんだ紙袋をいくつもかかえて、将棋会館に現れた塚田王座と島六段。

 その中身はというと、バーゲンで買い込んできた洋服だらけ。

 この両名が12月某日、高校生トリオ〔羽生・佐藤(康)・森内〕を含む若手を引き連れて、メンズショップ巡りをして”男のおしゃれ”を教えたとのこと。

 はたして、若手の服装のセンスが向上したかどうかは、諸兄の判断におまかせするしかない。

—–

渡辺明棋王は竜王のタイトルを取った頃、中川大輔八段にスーツを選んでもらったことがあるという。

中川大輔八段も昔からかなりお洒落だ。

NHK杯戦の解説の時には、ネクタイと同系統のポケットチーフを胸に入れている。昨年の秋と今春、中川八段はNHK杯戦で解説を務めており、その2度とも観戦記は私だったので、とても強く覚えている。

——–

佐藤天彦八段がお洒落なのは広く知られていることだが、私が感心しているのはネクタイピン。

ネクタイピンは1980年代頃からオヤジっぽいと敬遠されてきており、若い人がネクタイピンをすることは珍しいのだが、佐藤天彦八段はネクタイピンをうまくコーディネートしており、お洒落さをさらに増幅させている。

私は2013年の春と今年の夏、NHK杯戦で佐藤天彦八段の対局の観戦記を担当させていただいているが、2回とも佐藤天彦八段はネクタイピンをしていた。

——–

新宿の酒場で偶然遭遇した時の勝浦修九段も非常にお洒落に感じた。

何気ないポロシャツを着た近所に出かけるような普段着で一人カウンターで飲んでいるのだが、なぜか格好いいのである。

将棋界で「七人の侍」をやるとしたら、久蔵(宮口精二さんが演じた)役は絶対に勝浦九段だと思う。

 

錯覚いけないよく見るよろし

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升田式石田流の序盤、1図のような局面になることが多い。

雑感1

ここから▲2二角成△同銀▲8八飛(2図)と、飛車をぶつけるのが定跡。

雑感2

▲8八飛。この手を何度指したことだろう。

石川陽生七段は、将棋世界2009年12月号、勝又清和六段の「突き抜ける!現代将棋 -果てしなき石田流ロマン-」で「羽生将棋を真似するのはプロでも難しい。 だけど、歩を2回突けば升田将棋を真似できる。 早石田の魅力はそれでしょう」と語っている。

▲8八飛。指すたびに石川七段の感動的な名言が頭の中に浮かんでくる。▲8八飛はまさに升田流の一手で、指すたびに升田将棋の真似ができていると実感できる一手。

しかし……

ネット将棋では、非常に稀に、1図からの▲2二角成に△同玉(3図)とされることもある。

雑感3

まさか相手が△2二同玉と取るなどとは全く考えられないことなので、相手陣を確認せずに「これが升田将棋だ!」と独り言を言いながら▲8八飛(4図)。

雑感4

……3図では▲7七角の王手飛車ができたわけで、先入観からの▲8八飛。

別に先手が悪くなったわけではないが、チャンスを逃した精神的ダメージは大きい。

——–

先日、この棋譜のような間違いをしてしまった。

9月19日(土)、私は用事があって仙台へ行かなければならなかった。

ところがこの日から連休中の4日間、人気グループの「嵐」が仙台市に隣接する利府町でコンサートを行うことになっており、新幹線などは非常な混雑が予想された。

嵐の宮城コンサートに悲鳴 宿が満員「平日やって」(東スポWeb)

仙台までは新幹線でどんなにかかっても2時間、最悪立ちっぱなしでもどうにかなる距離だが、座れるに越したことはない。

前夜の将棋ペンクラブ大賞贈呈式のパーティーの時にG藤元気さんにこのことを話すと、「超満員で阿鼻叫喚の車内で立つようになるか、あるいは隣の席に嵐ファンの素敵な女性が座るか、それは日頃の森さんの行いによるでしょうね」と、G藤さんは少し酔っ払いながらもいつもの落ち着いた声で言っていた。

日頃の行いか…

9月19日(土)は15時10分頃に東京駅に着いた。15時台は仙台に向かう新幹線が意外なほど少なく、やまびこ57号(15時36分発)があるのみ。

自由席の乗り場に行くと、並んでいる人は思ったよりも少なく、確実に座れそうだった。

これで隣に素敵な嵐ファンの女性が座ってくれれば、G藤理論によると、私の日頃の行いは良かったということになる。

まあ、そんなに世の中は甘くないだろうから、座れただけで良しとしよう、などと考えている間に発車時刻が近づきドアが開いた。

すると、私が並んだ列の人達ではなく、隣の列の人達が乗り込んでいる。

全身から血が引いていくような感じがした。世の中はもっと甘くなかった。次発列車(15:52発の北陸新幹線はくたか569号)のところに並んでしまっていたのだ…

私はあまりこのような失敗をした経験はないのだが、

  • 通常、先発列車の列の方が次発列車の列よりも多くの人が並んでいる。
  • 嵐のコンサートがあるから仙台へ向かう新幹線自由席に多くの人が並んでいるはずだ。

ということから、ノータイムで長い列の方に並んだのだった。

並んでいた人達が乗車し終わってから自由席を見ると乗車率110%ほど。仕方がないので6号車(指定席)のデッキに立ち続けることにした。

日頃の行いか…

立ちながらやった将棋ウォーズでは負け続け、さらに気分はブルーになった。

 


NHK杯戦の優勝カップ

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将棋世界1983年5月号、NHKプロデューサー(当時)の沢みのるさんの第32回NHK杯争奪決勝戦〔中原誠十段-青野照市七段〕「中原十段、三回目の優勝飾る」より。

 NHK杯戦の優勝カップは純銀製である。盃の外側に王将の駒と将棋盤の目が浮き上がっているデザインが評判いいが、何しろ30年以上前に作られた由緒ある品物だ。今回の決勝戦の放送のタイトルバックでは、この優勝杯をゆっくり回転させながらアップで写してみた。第1回の木村義雄名人以下、歴代の優勝者の名前が全部台座に彫りこまれている様子がおわかり頂けたろうか?

 過去31回の優勝記録は大山名人の7回、加藤(一)名人の6回が群を抜き、升田九段、丸田九段の3回がこれに続く。そして今期、中原十段が青野七段を制して3回優勝組に名を連ねることになったのである。しっかりと優勝杯を手にした中原十段の笑顔はあくまで晴れやかだった。ゆったりとした和服姿がまたひとまわり大きく見えた。

(以下略)

——–

NHK杯戦の優勝カップは間近で見たことがあるが、重厚感溢れる本当に見事な優勝杯だ。

それとともに、古さを感じさせないデザインなので、1983年時点で30年以上前に作られたと聞くと、そんなに古かったのかと意外な感じにさせられる。

考えてみればNHK杯戦は1951年度から始まっているので、64年前に作られたものなのだ。

——–

この後、大山康晴十五世名人は1回、加藤一二三九段も1回、中原誠十六世名人は3回優勝している。

現在までNHK杯戦で優勝した棋士は次の通り。

羽生善治名人 10回
大山康晴十五世名人 8回
加藤一二三九段 7回
中原誠十六世名人 6回
升田幸三実力制第四代名人 3回
丸田祐三九段 3回
森内俊之九段 3回
灘蓮照九段 2回
佐藤康光九段 2回
(1回)
木村義雄十四世名人
塚田正夫名誉十段
米長邦雄永世棋聖
渡辺明棋王
郷田真隆王将
谷川浩司九段
原田泰夫九段
大友昇九段
有吉道夫九段
内藤國雄九段
大内延介九段
田中寅彦九段
丸山忠久九段
久保利明九段
三浦弘行九段
先崎学九段
前田祐司八段
山崎隆之八段
櫛田陽一六段

——–

準優勝の棋士は次の通り。

加藤一二三九段 4回
羽生善治名人 3回
升田幸三実力制第四代名人 3回
中原誠十六世名人 3回
米長邦雄永世棋聖 3回
内藤國雄九段 3回
灘蓮照九段 3回
二上達也九段 3回
大山康晴十五世名人 2回
塚田正夫名誉十段 2回
糸谷哲郎竜王 2回
渡辺明棋王 2回
森内俊之九段 2回
佐藤康光九段 2回
森雞二九段 2回
島朗九段 2回
(1回)
郷田真隆王将
大野源一九段
丸田祐三九段
花村元司九段
加藤博二九段
山田道美九段
関根茂九段
大内延介九段
青野照市九段
真部一男九段
中村修九段
南芳一九段
塚田泰明九段
先崎学九段
村山聖九段
屋敷伸之九段
丸山忠久九段
久保利明九段
行方尚史八段
中川大輔八段
鈴木大介八段
伊藤果七段
堀口一史座七段

 

 

 

 

木村一基新四段と小林裕士新四段誕生の日

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将棋世界1997年5月号、真田圭一五段(当時)の「第20回奨励会三段リーグ最終日 秤の中央で」より。

 三段リーグ最終日―。

 私は四段昇段以来、全くと言っていい程この日には連盟に顔を出していない。

 中途半端な気持ちで観戦に行ってはいけない、という思いが強かったのだ。

 今回、取材を頼まれた私は、自分が対局するつもりで臨んだ。十分に睡眠をとりスーツを着て、緊張感を持って、いよいよドラマの待つ将棋会館へ到着である。

 私はまず、3階の事務局に行き星取り表を見ながら状況を把握する。

 まず一番手の木村は1勝すれば決まりだから二番連続昇段がかかっている。

 二番手は小林だが、一局目に三番手の佐藤紳との直接対決があり、小林がこれに勝てば昇段、佐藤が勝てば自力が生じて二局目に勝てば佐藤の昇段となる。

 この3人を下野と大平が追うが、二人とも2連勝が絶対条件の上、大平は昇段確率が64分の1だとかで非常に厳しい状況と言える。ともかく昇段の可能性のあるのはこの5人のみであり、彼らの表情を追う事になった。

 4階に行き、さて―と思った時に声を掛けられた。声の主は木村で、今日は何ですか、と聞かれたので「君の所の取材だよ」と言った。彼とは同郷で気心が知れているが、その態度同様に将棋も余裕十分なのかはまだ分からなかった。

 私は大広間へ行き、中村修・小林宏両幹事に挨拶する。流石に普段は明るい両幹事も今日ばかりは引き締まっている。

 私は小林幹事に三段陣が対局している部屋を聞くと、いよいよ立ち上がった。

 そして、対局室に乗り込む覚悟を決めた。そんなに大変な事なの、と思われる向きもあるかもしれない。

 そう、これは大変な事なのだ。この点についてはいくら強調してもし過ぎる事はないと思っている。

 私が三段だった頃の話だ。一つの部屋で10数人が対局する。当然、対局中には洗面所や、お茶を入れに席を立つ者が出る。人の出入りはあるが、これが同じ三段であれば気にも留まらない。

 それが、対局者以外の人間が入って来ると、見なくても気配で気付くのだ。

 何かこう、違う”気”を感じる。それが背後で見えない位置であってもだ。

 それくらい張り詰めているのだ。

 ここ数年、三段リーグのドラマ性に注目してか、マスコミやテレビで取り上げられる事もあるようだ。大いに結構な事だが、一方で無神経、無配慮の面もあったと聞く。命懸けの舞台なのだ。

 私はそんな事を考えながら、対局室に足を踏み入れる。すぐに小林-佐藤紳戦が目に入った。まだ序盤で、優劣は論じられないが、両者の強い気がぶつかり合っている事だけは感じられた。

 この部屋で昇段争いの対局はこの一局だけ。私は5階へ足を向けた。5階では2部屋に分かれて行われていた。左側の部屋から入ると、下野-池田戦がスローペースで進んでいた。そして隣の部屋では木村-松本戦と大平-佐藤和戦が行われていたが、序盤早々、木村の所が大変な事になっていた。

奨励会1

 1図の△5五角と松本が指した局面が目に入ってきたが、この手はもうはっきり良し悪しをつけようという手だ。

 私は直観的に、木村勝ちと判断した。

 一目無理筋だし、この大事な将棋で敵の攻めを呼び込める木村の指し口に、安定感を感じたのである。私はすぐに部屋を出たが、次に見に来る時ははっきりしているだろうと思った。

 私は4階へ戻り、初段・二段陣の対局する部屋へ向かった。奨励会全体の雰囲気を掴んでおきたかった。

「必死さ」や「悲壮感」といった要素は昔も今も変わらないのだろう、ひしひしと肌に伝わってくる。だが、それとは別に、割り切れないモヤモヤとした心情の流れがある事も私は敏感に感じ取っていた。組織の体質を指摘する言葉に、上から下を理解しようとすると3年かかるが、下から上は3日で見える、というのがある。現状の体制には不備が多過ぎるから不満は必然的に発生するが、だからこそ自分とどう折り合うかが大切だ。

 私が不思議に思っている事の一つに、「年齢」に関する報道のあり方がある。

「若ければ何でもいい」的な若さに対する無制限な評価が、反動的に「若くなければもう駄目」という論調を生み、当然それにブレーキをかける意見が出るのかと思ったら、全て右にならえである。

 ごまかしがきかず、完全に実力が反映される将棋というゲームの魅力であり、その爽快さに、見る側も、戦う側も価値を見出している筈である。

 若い人とそうでない人(とマスコミが分類する)がやる気を持ち、必死に努力し、しのぎを削った結果、どちらが生き残るかという事について、一体どれだけの覚悟と責任を持って論じているのであろうか。本当に、こんな馬鹿馬鹿しい事で振り回されるのは勿体ない。

 後輩達にはこんな事で自分を見失って欲しくはない。

 私は大広間へ戻り、少し時間を置いてから、小林-佐藤紳を見に行くが、事件になっている。

奨励会3

 2図の▲7五角で決まったかとも思える局面。ここに至る詳細な手順は記さないが、この将棋は完全に「間合い」を失っていた。こういう直接対決の場合、その緊張感から、両者全く手が出ない超スローペースになるか、ガードを忘れた殴り合いになるかのケースが多いが、この場合は後者だった。2図以下、△8二飛▲5三角成△6二角▲同馬△同金と進んだ。目隠しをしてボクシングをしている状態である。佐藤としてはこの数手のやり取りで非常に悪い精神状態に追い込まれた。▲7五角でパンチが入ったかに見えるが、実は急所を外しており小林はダメージを受けていない。

 苛立ちに近い佐藤の心理が、この直後の敗着を生んでしまう。その手順は小林の四段昇段の記を参照して欲しい。

 小林の早指しもあって、周りと比べて展開が早く、下野-池田、大平-佐藤和の所より先に終わりそうな展開である。私は木村の所へ足を運んだ。これで小林・木村と勝てば自力二人がすんなり昇段であり、ここ数期続いている大波乱は起こらないという事になり、”劇的”を期待する気楽な外野はがっかりするだろう。

奨励会2

 少し戻って、1図(再掲)から木村は▲3七桂と指し、以下△同桂成▲同銀△同角成▲同金△4五桂▲4九桂△3七桂成▲同桂となり先手優勢である。途中、△3七同角成の所で△4五桂は▲4六銀△同角▲同歩△3九銀▲2一飛成△4八銀不成▲7六歩で先手玉は捕まらない。

 また最終▲3七同桂の局面で、△2七歩は▲同飛△5九銀▲5八玉△4八金▲6九玉△5七飛成の時に▲2四角の王手飛車がある。やはり木村は△5五角の局面で受け切れる事を見切っていた。

 十分に相手を引き付けてパンチを出させ、ボディががら空きになった所で自然に倒す。相手と自分の距離が計れるだけの余裕が木村にはあった。前期、前々期と地獄を見た木村はその経験を生かし切っていた。後は終盤で転ばない事だけだ。大平-佐藤和の所は大平が苦しい。

 下野-池田は相変わらずスローペースで駒がぶつからない。だが、両者の可能性は時が経つにつれ薄れていった。

 小林と木村は、見に行く度に勝利に近づいていた。私は幹事に努めて低い声で形勢を伝えたが、その後すぐに幹事は消えた。上がる者が出れば上がらない者も出る。その両者から逃げる訳にはいかないのが奨励会幹事という立場の辛さで重たい空気に耐えかねる気持ちは察するに余りある。

 間もなく小林が勝った。周りは一局も終わっていない。私は感想戦が行われている事だけを確認してすぐ部屋を出た。

 それから30分後、木村が勝った。

 私はここでもちらっと見てすぐ退室した。これで全てが決まった。

 4階へ戻ると、感想戦を終えた佐藤と目が合った。私が掛けるべき言葉は、無論ない。今ここで書く事があるとすれば「俺も同じ目に遭ったよ」というぐらいだ。私は最終18回戦に勝てば上がりという一局を負け、その半年後に昇段を決めた。私はこの経験が、棋士人生のバックボーンになっていると位置づけている。人生の中で、天国と地獄とを両端に乗せ、その秤の中央に立つという機会が何度も訪れる訳ではない。

 ただこの極限状態の中でこそ、何が真実で何が嘘なのかを見極める事が出来ると、私は思っている。

 二局目が終わり、小林は関西のメンバーと打ち上げに消えた。私は木村の打ち上げに参加した。昇段者と同時に、退会者も出る。これがこの日の特徴だが、私には辞めていく人の事を書くだけの力量も心の整理もついていない。

 二次会にも付き合い、朝まで飲んで最後には木村と二人になった。

 生涯最高の一日で笑顔の彼と別れ、駅に降り立った私に、まだ冬の寒さの残る風が吹きつけてきた。

——–

心を打つ真田圭一五段(当時)の文章。

”人生の中で、天国と地獄とを両端に乗せ、その秤の中央に立つという機会が何度も訪れる訳ではない”、”「若ければ何でもいい」的な若さに対する無制限な評価が、反動的に「若くなければもう駄目」という論調を生み、当然それにブレーキをかける意見が出るのかと思ったら、全て右にならえである”なども印象的だ。

三段リーグ最終日の朝の時点で12勝4敗が木村一基三段(1位)、小林裕士三段(5位)、佐藤紳哉三段(7位)、11勝5敗が下野貴志三段(22位)、大平武洋三段(25位)。

木村三段、小林三段とも四段昇段を決めた後の第2局も勝って、それぞれ14勝4敗としている。

木村一基新四段23歳、小林裕士新四段20歳。

——–

将棋世界同じ号の小林宏六段(当時)の「東西奨励会成績」より。

 3月10日の最終日、木村と小林が1局目を勝ち、2人共最終局を待たずして四段昇段を決めている。

 前期10勝で次点の木村は最終局も勝って14勝。2ケタ勝利は何と7期連続で、その間の平均勝数は11勝を超えている。客観的にみても順当な昇段だ。三段リーグは13期目。新三段の時は17歳だった。聞いてみると二段は15歳だと言う。これが奨励会というところである。ただし、その分はこれからいくらでも取り返すことができる。とにかくおめでとう。

 小林は競争相手の佐藤紳に勝っての昇段。この一局は結果的に四段決定戦となっており、実に大きな勝負だった。全力を出し切った後だったのだろう。勝った小林が青白く、敗者のような顔をしていたのが印象的だった。佐藤紳は次点に終わったが、最終盤での直接対決で負けたのだから仕方がない。

 関西からは久々の新四段。それにしても「こばやしひろし」とはいい名前だ。おめでとう。

(以下略)

——–

下の写真は、将棋世界1997年5月号掲載の当日の木村新四段の打ち上げ会の模様。

左から、3日前にB級1組へ昇級を決めている丸山忠久六段(当時)、木村一基三段(当時)、野月浩貴四段(当時)、真田圭一五段(当時)。

撮影は中野英伴さん。

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木村一基四段(当時)「あの恥ずかしく悔しい思いは、今も忘れることができない」

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将棋世界1997年5月号、木村一基四段(当時)の四段昇段の記「やっと」より。

 前期上がれなかったのは悔しかった。愚かなことに開幕5連勝してもう昇段も同然、と思ってしまった。恥ずかしいことにのぼせ上がっていた。

 僕の子分であるN月君(仮名)がそれまで不調で「まだまだこれからじゃん、頑張ろうぜ」なんて余裕のあることを言っていた。自分が後半大崩れしてまさかこの男に頭ハネを喰らわされてしまうとはこの時夢にも思わなかった。

 残念だったね、と慰めてくれている沼師匠の前で溢れ出てくる涙を抑えることができなかった。あの恥ずかしく悔しい思いは、今も忘れることができない。

 さて今期、開幕4連勝した。前記のことがあったので油断することもなく、4番負けたものの全体的にまあ満足できる内容だった。

 図は昇段を決めた対松本三段戦の投了図。ふるえちゃうかもしれないなあ、と思っていたけれど最終日は自分でもびっくりするほど落ち着いて指せた。

 

 ああ、やっと上がった。

 奨励会に入ったのが昭和60年、それから11年と数ヵ月。6級から2年半で二段になったまでは良かった。がそこから三段になるまで2年半、そこからさらに6年半もかかってしまった。長く、そして苦しい奨励会生活であった。

 奨励会、もっと端的に言ってしまえば三段リーグを指すようになってからの苦しみ、伸び悩んで棋士になれないかもしれないと思う不安感は原稿用紙が何枚あっても書ききれないくらいだ。

 でも、四段になって、自分が長年目指してきたことが達成できて、本当に良かった。

 とは言ってもまだ棋士としてのスタートラインに立ったばかりだ。少しでも上位に行けるように、努力を続けて頑張っていきたいと思う。

——–

木村一基四段(当時)は、三段リーグで溜めた力と思いを一気に放つかのように、、四段昇段後から猛烈に勝ち続け、『高勝率男』と呼ばれるようになる。

——–

「残念だったね、と慰めてくれている沼師匠の前で溢れ出てくる涙を抑えることができなかった。あの恥ずかしく悔しい思いは、今も忘れることができない」とあるのは、前期三段リーグ最終日のことと思われる。

佐瀬勇次名誉九段が亡くなって以来、沼春雄六段(当時)が木村一基三段(当時)の師匠代わりだった。

1996年三段リーグ最終局

——–

この四段昇段の記の木村一基四段(当時)のプロフィール欄に、趣味は映画と書かれている。

映画といえば、実は私は最近、ようやくと言うか初めて、故・黒澤明監督の映画の面白さを知った。

大学生の頃、黒澤明監督の「羅生門」を見て途中で寝てしまったのがきっかけだったのか、黒澤明監督作品=難解そうと思い込んで長い間敬遠をしていた。

ところが、先日、試しに「七人の侍」を見てみたところ、これが面白くて面白くて、続けて「天国と地獄」まで見てしまったほど。

黒澤明監督作品=難解ではなく、黒澤明監督作品=丁寧な作りの王道のエンターテインメント作品、という思いに変わった。

年をとって黒澤作品の面白さを理解できるようになったのか、あるいはもともと面白かったのか、を試すために、近いうちに、学生時代の私を眠らせた「羅生門」に挑戦してみたいと思っている。

 

千日手規約を変えるきっかけとなった一局

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将棋世界1983年5月号、米長邦雄棋王・王将(当時)の第41期名人戦・挑戦者決定リーグ戦〔対谷川浩司八段〕自戦記「さわやか流返上の一局」より。

 A級1年生の谷川君は、名人リーグ6勝1敗と好調で、挑戦者レースを独走の感があり、テレビや週刊誌も彼を追っていて、この対局当日もTBSが朝から終局まで詰めっきりで対局風景などを撮っていた。

 こちらは3勝4敗で、降級の可能性が無いわけではなく、まさかという状態を憂慮しながら対局に臨むことになった。

 早朝将棋会館へ着くと、1階でバッタリ谷川君と顔を合わせたので、「ガンバレヨ」と一言声をかけておいた。

(中略)

千日手1

8図からの指し手
▲7八銀△同金▲同銀△同銀不成▲8八金△6七銀打▲8七銀△7九金(9図・8図と同一局面)  

 8図で▲7四馬がダメなので、①2八飛と浮く手を考えた。

 しかしそれも△8六角▲同銀△8七歩で、▲7八金△同銀不成▲同飛△同金▲8七玉△8八飛▲9六玉△9五金▲同銀△同歩で詰まされて負け。

 次に②▲2七飛を読んだが、やはり△8六角▲同銀△8七歩で寄せられる。△8六角の時に▲6七飛とするのも△8九銀不成▲同金△9七角成で負け。

 ③▲2八飛打や④▲2七飛打を読んでみたがどれも面白くない。

 それで8図で▲7八銀と取り、8手後に8図と同一局面に戻った。

 この間に12分を使い私の残り時間は8分となった。(谷川君の方は残り17分)

9図からの指し手
▲7八金△同金▲同銀△同銀不成▲8八金△6七銀打▲8七銀△7九金▲7八銀△同金▲同金△同銀不成▲8七銀△6七銀打▲8八金△7九金▲7八銀△同金▲同金△同銀不成▲8八金△6七銀打▲8七銀△7九金▲7八金△同金▲同銀△同銀不成▲8七銀△6七銀打▲7八銀△同銀不成▲8七銀△6七銀打▲8八金△7九金▲7八銀△同金▲同金△同銀不成▲8八金△6七銀打▲8七銀△7九金▲7八銀△同金▲同金△同銀不成▲8七銀(10図)  

 9図からの手順は千日手模様だが、現行ルールの『同一手順3回』という規定からすると千日手にはならない。

 同一局面は現れても、途中の手順を少しずつ変えてあるので、千日手にはならないのだ。とすると似たような手順の繰り返しで、いくらでも考えることができる。

 この一局はどうしても勝たねばならない将棋なので、記録係に「50秒」だけ読んでもらって、50秒までは千日手を解消する諸々の手順を読み、50秒と言われると千日手模様の手を指すことにした。

 そうして10図まで1時間近く同一局面を繰り返して時間を稼ぎ、いろんな筋を読んだ。

 9図から5手目の▲8八金の1分は記録が「50秒」を読み忘れたために消費したものだ。

 私は③▲2八飛打か④▲2七飛打に打開の順があるのではないかと読み直してみたが、③▲2八飛打は△8六角▲7九飛△同銀不成▲8六銀△8八銀成▲同飛△7六銀成で負け筋だ。

 ④▲2七飛打も似たりよったりで、飛車を手放すと負けらしいのが分かった。

 普通に読むのと違って、「50秒」と秒を読まれながら手を読むのは物凄く疲れる。

 うっかりすると同一手順3回で千日手になりそうなところで、あるいはうっかり同一手順を3回繰り返して千日手になった方がいいのかもと思ったりした。

 9図から31手目に”▲8八金△7九金”の手を交換しないで▲7八銀と取ったので、いままでの千日手模様の手順が総て精算され、これでしばらくは”同一手順3回”を気にしなくて読めるようになった。

 この千日手模様は、現行ルールでは対局者に千日手にする気がない限り、死ぬまでやってもどうどう巡りとなる。必死に読んでようやく結論らしきものが出かかってきた。

 打開の手順で一番有望なのは、9図の局面から▲7八銀△同金となった時に、単に▲8七銀(参考E図)とする手で、これに対し△6九銀は▲同飛と切って△同金がソッポなので勝てる。

千日手4

 参考E図では△8八金と取り▲同玉となるが、そこで△8六角は▲同銀△7八銀打の時▲8七金(▲8七歩は△8九銀成▲同玉△7七歩で負け)と打って残せる。

 谷川君の指し手の勢いからしてこうきそうな気がして、これは勝ちだと思ったが、△8六角でなくじっと△5六銀成とする手が好手で、容易でないのに気付いた。

  △5六銀成には▲7四馬△6六成銀▲8五馬(参考F図)となるが、ここで①7七歩②6八銀③6七金などがある。

千日手5 

 △7七歩と来そうだと思い、そこで①▲1四桂△同歩▲同歩としてトン死筋をねらう手と、②▲7九桂③▲7九金④▲6九金⑤▲6八金など受けに回る手がある。

 それを整理して、参考F図から△7七歩▲7九桂△6八銀▲5八金と読んだが、どちらが勝ちなのか全然分からない。

 ようやく勝ちになったのなかと思った矢先の千日手模様だし、年も違うし(向こうが若くて体力がある)、千日手指し直しとなれば勝てないのではないかと思ったので、とにかくこの順で打開するよりないと思っていたところ……

千日手2

10図からの指し手
△8九銀不成▲同飛△7七銀▲7四馬△7八金▲8五馬△8九金▲7七銀△6九飛▲7八銀打(投了図)まで181手にて先手勝ち

 あまりにさわやかではない私の指し手にイヤ気がさしたか、10図で谷川君が突如手を変えてきた。

 しかし△8九銀不成▲同飛△7七銀に▲7四馬が絶妙の一着。これに対し△6六銀成ときても▲8五馬で受かる。本譜の△7八金に対しても▲8五馬が決め手となった。

 谷川君の方から手を変えたのは、同一手順が続いてイヤ気がさしたのか、あるいは千日手模様は私に打開されて負かされるとみたのか、それとも勝ちと思って打開してきたのか、その3つのいずれかだろうが、局後そのことについては触れずじまいで、とても聞けなかった。終局は午前1時16分で、局後の検討には仲間やテレビ局の人が多勢集まり、千日手模様を続けた私は、被告席に立たされた感じがした。

 『将棋マガジン』の『対局日誌』の取材で川口篤氏が来ていたので、「さわやか流は返上でしょうか」と聞いたところ、観戦者全員から「当然本日にて返上です」という返事が返ってきた。現行規定をフルに利用して時間を稼いで、打開の道をみつけようとしたものだが、今になってみると、なるほどさわやかな感じはしない。

 この将棋は、現行のルールに対して、問題を提起した一局といえるだろう。

千日手3

——–

谷川浩司八段(当時)が手を変えたのは、これで指せると思ったからだそうで、▲7四馬を見落としていたという。

谷川八段はこの対局(順位戦ラス前)で敗れたものの、最終戦および中原誠十段とのプレーオフに勝って加藤一二三名人(当時)への挑戦を決め、更には名人位を奪取する。

——–

将棋世界1983年7月号、「千日手規約改正」より。

 これまでの千日手規約は『同じ手順を互いに3回くりかえすと”千日手”で無勝負となる。ただし連続王手である場合は攻めている方が手を変えなければならない』となっていました。

千日手6

 だがA図において▲6三銀△7一銀▲7二銀成☆△同銀▲6一銀△7一銀▲7二銀成☆△同銀▲6三銀△7一銀▲7二銀不成★△同銀▲6一銀… 

と進んだ場合、同じ手順とはならず意とするところは千日手であるのに千日手不成立でした。これでは不備であるということで、武者野四段らの提案により棋士総会で以下のように改正することに満場一致で決まりました。

 同一の局面を4回繰り返すと「千日手」で無勝負となる。ただし連続王手である場合は攻めている方が手を変えなければならない。附則 同一局面とは、盤面上の駒の配置、持ち駒、及び手番のすべてが同一のものをいう。

 この改正案ですとA図からの手順において☆印のところで同一局面が出現しますので、★印の時点で同一局面4回となり、本来の精神どおり千日手が成立します。

 次にB図から▲8一飛△6一飛▲同飛成△同玉▲3一飛△5一飛▲同飛成☆△同玉▲9一飛△6一飛▲同飛成△同玉▲4一飛△5一飛▲同飛成☆△同玉▲7一飛…

千日手7

という進行ですが、今までの規約ですと飛車を打つ場所を巧みに変えれば千日手にならない無限手順ですが、改正案の局面でサイクルをとらえる考え方ですと、これも同様☆印で同一局面が出現しますので連続王手の千日手。つまり攻めている方が手を変えなければなりません。

 この局面でサイクルをとらえる考え方はチェスの規定を遵守したものですが、将棋にはチェスと違って持ち駒制度があります。万一、持ち駒制度による盲点で改正案に不備が発生した場合を考えて、日本将棋連盟では暫定措置としてプロの公式戦に1年間新規約を採用し、その後の棋士総会で正式採用をするつもりでおります。

 ファンの皆さんもこの規約を遵用して頂き、新規約の不備発見、もしくは疑問発生の場合は御一報願えれば幸いです。

日本将棋連盟

——–

当時の若手棋士であり理事でもあった武者野勝巳四段(当時)などの提案により、千日手規約が改正されている。

武者野四段は理事時代に、千日手規約の改正、研修会の設立という非常に大きな仕事を成し遂げたことになる。

——–

将棋ウォーズをやっていてビックリしたのは、千日手自動判定機能がついていたこと。

相当難しいロジックなのかもしれないが、有無も言わさずに引き分けにするところに非常に好感が持てた。

 

「谷川の心臓には毛が生えており、それは日本髪を結えるほど」

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将棋世界1983年8月号、毎日新聞の加古明光さんの「史上最年少の谷川浩司新名人誕生!」より。

 自身が主催紙の一員としておかしいかもしれないが、6月16日付の各新聞にはびっくりした。箱根山中から東京に帰り、各紙を読んでみたら、いずれも「谷川新名人誕生」を破格のスペースで扱っている。ウチ(毎日新聞)が社会面トップの記事にするのは当然だが、他紙もそろって4、5段の大記事、中には、主催紙顔負け(?)で、一面と社会面に扱い、トップ記事のところもあった。驚いた、おったまげた。

 将棋界のニュースが、マスコミでこんなに派手に取り上げられたことは稀有ではないのか。かつて升田-木村の対決、大山-升田のライバル、加藤八段登場の「神武以来の天才」という言葉の流行など、社会面をにぎわしたことはある。今回の新名人誕生は、それを上回るにぎやかさであろう。

 フィーバーはさらに続き、17日の朝刊各紙一面下のコラムも、ほとんどが谷川を取り上げていた。この記事量を将棋界のPR代に換算したら、何億円、いや何十億円になるか。

 しかし、新名人誕生の余震が静まってくるにつれ、この騒動もむべなるかな、と思われてくる。新聞には、他社ものを小さく扱う「セコい」ところがあるが、史上最年少名人を生んだ第6局は、歴史的に、社会的に、セコい垣根をとっぱらうほどの意味を持っていた。現行制度が続く限り、21歳名人が生まれるには、ギリギリ16歳で四段になっていなければならない。昇降級リーグ(順位戦)で一度も遅滞が許されない上でのことだ。しかも谷川は、21歳と71日で名人位を手にした。空前にして、おそらく絶後であろう。

 タイトル戦初登場で最高位の「名人」をつかんだ谷川。人柄そのままに、周囲から温かい拍手を受けている。「コージ・コール」はまだ続いている。居並ぶ先輩を押しのけて一気に最高の座へかけ昇った谷川の大詰めの一局、第6局は―。

 谷川を見て感じたのは「この棋士、しゃかりきになって名人を取りに行くつもりなのだろうか」という気持ちだった。1、2、3局をストレートで勝ち、熊本で迎えた第4局では「一度やってみたかったので」という理由だけで無理な仕掛けに出た。第5局でも「夕食時には駒得していていいと思ってたんですがねえ」とあっさり言う。内面はともかく、表情に悔恨とか、疲労こんぱいというものが伺われない。

 観戦記の中で「谷川の心臓には毛が生えており、それは日本髪を結えるほど」と書いたが、負けてもひょうひょうとしている。ひょうひょうさに、図々しさ、生意気なところが伴っていないのがいい。無欲活淡なのだ。

(以下略)

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谷川浩司九段は中学3年で四段となり、初年度だけ足踏みしたものの、その後は順位戦で連続昇級をしてA級1年目で挑戦権を得て、21歳で名人位を獲得する。

中原誠十六世名人は18歳で四段となり、毎年順位戦で昇級をしてA級2年目で挑戦権を得て名人位を獲得したわけで、二人とも6年という超スピード。

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「心臓に毛が生えている」は、江戸時代には「肝に毛が生えている」と言われていたらしい。

「肝が座っている」や「肝だめし」という言葉があっても「心臓が座っている」や「心臓だめし」とは聞かないので、やはりこのような分野の言葉は昔は心臓よりも肝の方が本家だったのだろう。

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1980年代頃までは、

「きもい」=「肝い」=重要な、大事な

の意味で使われていたが、平成になってからは、

「きもい」=「キモい」=気持ち悪い

に主流が変わっている。

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ランブータンという南方の果物がある。

目玉に毛が生えているように見える果物で、味はライチに似ている。

初めて見た時は、キモいまではいかないが、水木しげるさんの描く妖怪にこのようなものがあったのではないか、と思ったほどだった。

スリランカでいただける”くだもの”:ランブータン(地球の歩き方)

 

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