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中原誠四段(当時)「どうも夜になるといけないようです」

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将棋世界1983年4月号、故・能智映さんの「寝る子は育つ」より。

 プロ棋士は、勝負のためとあらば、生活習慣をもがらりと変えてしまうこともある。―あの中原誠十段も、その例にもれない。うんと若いころの話だ。

 中原が奨励会の東西決戦で桐山清澄現八段を下して四段に昇段、一人前の棋士としてのスタートを切ったのは、昭和40年の9月10日だった。ご存知の方も多かろうが、そのスタートはかんばしいものではなかった。9月25日の第1戦では、宿命のライバルとなる米長邦雄現棋王に敗れ、29日の2戦目も山川次彦現八段(引退)に苦渋を飲まされている。

 山川に敗れたすぐあと、中原は師匠の高柳敏夫八段の前に呼び出されている。きびしい態度だったらしい。ずばりと核心を突いてきたと聞く。

「負けた原因を考えてみろ!」

 その剣幕に気圧された形だった中原だが、しばらく考えてから、こう考えた。

「どうも夜になるといけないようです」

 師匠の鋭い目がここでなごんだ。そして静かな口調で注意を与えた。

「その通りだ。わかっているなら改めなくてはいけない。これからは徹夜する習慣をつけ、後半に入ってから力が出るよう生活を改善しなくてはいけない」

 これは、高柳本人から聞いたエピソードだが、中原も後日、こうもらしてくれた。

「あの2連敗はこたえました。勝っていれば、その後すぐ対局がついたはずなんですが、負けてしまったので、その後約3ヵ月も対局がつきませんでした。それやこれやでちょっと悩みました。でも、高柳先生から注意を受けたことも含め、あの2連敗は結果的にはかえってよかったのかも知れません」

 その3ヵ月の休みがあったのもよかったか、どうやら中原はその間に”勝負師の眠り方”を身につけたらしい。そのあと中原は11連勝して堂々と大海原に船を漕ぎ出して行ったのだ。

 その中原の”朝寝坊”を証明する話はいろいろあるが、昨年の夏にわたし自身がきっかけを作ったエピソードは、話じょうずな内藤國雄王位がからんでいるだけに面白い。

 その数日前、内藤は弟のようにかわいがっている谷川浩司八段を容赦なくたたきつけて王位戦の挑戦者となっていた。七番勝負が近付くと新聞は1ページをさいた特集を組む。その中には両対局者が語る”わたしの抱負”が組み込まれる。

 この王位戦のときには、挑戦者決定戦と七番勝負第1局の間の日数がつまっていたので、わたしは中原、内藤の談話を電話で取ることにした。

 そしてまずもう立派な寝坊になっている中原が起きる時間を待って10時に電話してみたが、安子夫人が出て「すみません、まだやすんでますので―」とのこと。ならば、と今度は神戸の内藤宅へ長距離電話。しかし、その日はあいにく日曜日だったので「土曜の夜は呑み過ぎるだろうから、まだ起きてはいないだろう」とまったくアテにはしていなかった。ところがである。「はいはい、内藤ですが―」とご本人のさわやかな声が響いてきた。

 要件を告げると「で、中原さんはなんというとったですか?」と逆に聞いてきた。「こっちが威勢のいいことをブチあげても、相手のほうが控え目だったら、カッコ悪いからね」と内藤らしい細かい心遣いを見せる。

「いや、いま電話してみたんですが、中原さんはまだ寝てるんですよ」と答える。「なんや、弱ったね。でも、もう10時過ぎてんやないか」といい、そのあとに内藤流のユーモアあふれる言葉がとび出した。

「ほんまに寝とんのかいな。わしゃ、今朝5時半まで呑んどっても、いまちゃんと起きとるんやで。それなのに酒をあまり呑まん中原さんがまだ寝とるちゅうのは、ちょっとおかしいのとちがいますかねえ」

 神戸生まれの内藤の口からは、話すたんびにこんなイギリス風なウイットに富んだ名言がとび出す。

 そのジョークに感心して、大笑いして肝心の談話は「じゃあ、あとでいいですよ」と電話を切ってしまったわたしは、一体なにをやっているのだろうか。

 しかし、これは電話の向こう側で内藤がえらそうに話していたこと。話半分ぐらいに聞いていたのだが、それからすぐにこの二人の対照的な場面を見ることになろうとは―。

 その王位戦の1局目は長野県飯田市天竜峡の「龍峡亭」で行われ、内藤が勝った。みんなでがんがん呑みまくる。だが、さすがに中原は「ちょっと疲れたので―」と例によって11時ごろ自室にひっこんだ。

 残ったのは内藤と観戦記担当の芹沢博文八段、立会人の板谷進八段、そして神戸新聞の中平記者とわたしだった。なんだか知らぬが、滅茶苦茶に呑んで、バカをいい合った。しまいには芹沢と中平記者が「オレの気持ちがわかるだろ」などといって抱き合ってジャレ出す始末。

「ずいぶん、おそうなったな」と時計を見たら、なんと5時半。「あれっ、夜が明けてんのか」と正気に戻った内藤、「わしゃ、あした(?)早いんでちょっと仮眠してくるわ」と立ち上がった。それを見た芹沢と中平記者、抱き合ったまま「オレたちも、同じ車で帰るゾ」と声をかけながら、まだグイグイ呑んで「えーい、もう寝るのはよそうや」とわめいていたのだが―。

 朝7時、パッと目覚めた内藤が、最後まで二人がいた部屋に電話してみたが「だれも出てこんのや。わし一人で帰るで」と半ば怒って広島の講演に立っていった。

 あとで、昨夜呑んだ部屋をのぞいて驚いた。芹沢と中平記者は、洋服のまま同じふとんにもぐり込んで大いびきだ。そして、どういうわけか、二人の間に黒い電気コードが這い込んでいる。「スワッ、同性心中!」とまでは思わなかったが、念のために上掛けをめくってみると、ふとんの中に電話がもぐり込んでいる。

 騒ぎに目覚めた芹沢、寝ぼけまなこでこうボヤく。

「だれだ、朝早くから電話をかけてきたヤツは―。うるせいからふとんの中にひっぱり込んだのに、いつまでもジージー鳴ってやがって。ところで内藤はどこに寝てんだ?」

 つい2、3時間前の約束をもうすっかり忘れてしまっているのだ。そして続けていう。

「板谷はどこいった。アイツまた例によって素っ裸で大イビキかいているんだろうな」―あまり大声ではいえぬが、”板谷の寝姿”を見て「気持ちワルー」といった人も多い。

(中略)

「ほんまは、年寄りは寝ないもんやけどなあ」というのは中平記者だ。

「亡くなった北村さん(秀治郎八段)や角田さん(三男七段)なんか、麻雀をはじめると、3日でも4日でも寝ないんやで」

 弥次さん喜多さん、助さん格さんがどこでどうこんがらがってしまったのか、このキタさん・カクさんは「めしを食うのも見たことない」というように大ハッスルするという。

 それで思い出した。東のほうにも変なご老人がいる。明治41年生まれで、まだまだ精力いっぱいという感じの坂口允彦九段だ。

 ときに立会人などをお願いしても「まあだ、君らみたいなヘナチョコには負けんよ」とかいって、深夜遅くまで碁を打ち、麻雀に興じる。あまり遅くまでやっているので、われわれ呑兵衛グループは「勝手にやってくれ」とばかり自室に帰って呑むことになるのだが、パイの音はいつまでも消えない。

 何年か前、「羽澤ガーデン」でおかしなことがあった。例によって麻雀を楽しむ坂口らを残して、われわれは午前1時ごろ自室にもどった。もちろん水割り道具一式をかかえてである。

 呑むほうも呑んだが、あっちはあっちで延々と楽しんでいるらしい。そのうち、パイの音が消えたのには気付かなかった。芹沢だったか、「おい、もう4時だ。そろそろ寝るか」といい出した。こうなりゃ、当然ザコ寝だ。

 そのとき、わたしは小用をもよおしたので廊下へ出た。すると薄暗がりのなか、だれかが向こうからやってくる。「羽澤ガーデン」は元満鉄総裁の邸だっただけに廊下は「犬神家」のように長い。双方から音もなく近付いていくのは少々気味悪かった。間隔が5メートルほどになったとき、ゆかたがけの相手から声がかかった。

「やあ、おはようおはよう。君もずいぶん早いな。早起きはいいことだ」

 なんと坂口である。それにしても「おはよう」とはおかしい。「いや、ぼくはこれから寝るところですが―」といったら、「えっ、そうか。わたしは2時に寝て、いま起きたんだ」と平然としている。

「そうだった」。この人は「せっかく生きているのに寝ていたんでは、人生が短くなってしまう」といって、1日に2、3時間しか寝ないのだ。このときも、耳にイヤホーンをはめて、朝から音楽をたのしんでいるふうだった。そして妙なことをつぶやた。

「それは惜しいな。まだ起きてるんだったら珍しい声を聞かせてやるんだがなあ」

 その瞬間は眠いので、その言葉を気にとめなかったが、ふとんに入ってからハッと気付き「あの人、おじいさんのくせにますます元気。あれはやっぱりポルノのテープか」とモンモンと眠れなくなってしまったものだった。

 翌朝、それが話題になった。すると物知りの福本記者が吹き出した。

「みんな、あのテープ聞いたことないの?あれはね、実はカッパの声なんだ。わたしは聞かせてもらったよ。なんとも異様な声で貴重なものなんだってさ」

 ほんとうかどうかは、まだ確かめていないが、深夜の大邸宅のウシミツ時に、老人が一人、カッパの奇声を聞き、にたにたしていると思うと背筋にスーッと冷たいものが走る。

(以下略)

——–

以前はこのブログの記事は夜から深夜にかけてに書いていたのだが、最近は早朝に書くことが多くなってきた。

やはり、頭がすっきりとした時間帯に取りかかれば良いのではないかという考えからそうなってきたのだけれども、こうなると早寝早起きの習慣が身に付いてしまい、夜に書こうと思っても眠くて書けなくなるというスパイラルに突入してしまう。

朝型、夜型、それぞれ一長一短があり、どちらが良いのかは一生かかっても結論は出せないと思うが、自分の中では早く夜型に戻りたいと思っている。

——–

故・坂口允彦九段は佐伯昌優九段の師匠なので、中村修九段、北浜健介八段などのお祖父さん筋にあたる。

現在の将棋界に、このカッパの声を聞いたことがある人は何人ぐらいいるのだろう。

——–

昨日の王座戦第1局の控え室に中原誠十六世名人が来訪している。

最近のタイトル戦の控え室には登場することのなかった中原十六世名人と渡辺明棋王が揃って同じ場所にいるというのは、ものすごい迫力を感じる。

中原誠名誉王座来訪(中継ブログ)

先手ペース(中継ブログ)

 


関東奨励会VS関西奨励会の野球決戦

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将棋世界1984年6月号、銀遊子さん(片山良三さん)の「関東奨励会だより」より。

 野球シーズンである。奨励会にも今年から「キングスジュニア」というチームが発足し、練習もなしにいきなり試合をやるという暴挙に出たのであるが……。

 なにしろピッチャーの小林広明はストライクがせいぜい5球に1球というノーコン。たまに内野ゴロを打たせても、それを中田宏樹、小池英司あたりがうまくグラブに入れる確率は50%。そして取ったあと一塁にストライクを放れる確率は40%。仮に一塁にいい球が行ったとしても、ファーストの塚田貢司がちゃんと捕る確率といったら20%ぐらいしかない。外野はと言えば、いやもう書くまい…。

 とにかく、審判もあきれれば、相手チームも怒りだす寸前、という珍しい試合だった。たった5回で29点も取られれば、もうこりただろうと思っていたらそうではなく、早くも次の試合の相手を探しに走りまわっているそうである。初勝利はいつの日か。いや、それに付き合わされる相手チームがかわいそうになってくる。

——–

将棋世界1984年7月号、銀遊子さん(片山良三さん)の「関東奨励会だより」より。

 29対6という、記録的な大敗でスタートした、奨励会員中心の野球チーム「キングスJR」は、スコアこそ徐々におとなしいもの(それでも公表ははばかられる)になってきたが、まだ片目があかない。

 高徳監督も色々と苦心してオーダーを入れ替えているようだ。まず、青函トンネルの穴だって通さないだろうと言われる、常識外のコントロールを誇る小林広明は、当然ながらピッチャーは使えないということになって外野へ。外野なら、とりあえずホーム方向へ返球すれば一塁から三塁の間には球が来るだろうという鋭いヨミ。

 もうひとつのガンである、ファーストの塚田貢司(捕球率なんと20%足らず)は、せっかくミットを新調したところだがお引取り願ってベンチへ。かわって達が定位置を占めた。こんどは50%近い捕球率だからかなり期待できる。

 新エースには、高徳監督自らがマウンドに立つことになった。球速は50キロぐらい落ちるが、ストライクは入るらしい。(必然的に打たれる。結果は同じかな?)まあ、頑張って欲しいものだ。

——–

将棋世界1984年12月号、銀遊子さん(片山良三さん)の「関東奨励会だより」より。

 東西合同の2泊3日の研修旅行に同行取材した。そのネタだけで今月は大丈夫の予定でいたのだが、それは甘い考えだった。

 活字になってはいけない事件ばかりがわんさか起きたのである。

”真実を伝える”がモットーである当欄だが、放送禁止用語ばかりでは記事にならない。ほとぼりのさめたころに、なつかしい思い出としてご紹介するというのがスジというものだろう。もっとも、関西のマッチ氏がどういう態度に出るかは知らないが。

 しかし、I藤三段のカラミ酒には関西の方々も驚いていたなあ。T岡三段の◯◯◯◯絶叫酒もすごかったし、T幹事のオカマ追いかけまわされ事件も……いやいやこれ以上はやめておこう。奨励会の品位が疑われてはいけない。

(中略)

 スポーツの秋だ。先日行われた、関東奨励会キングスジュニア対関西奨励会シルバーズの野球の初対決は、7イニングをにぎやかに戦い、なんと17対16という猛スコアでキングスジュニアが逆転サヨナラ勝ちを果たした。見ている者を笑わさずにおかない好ゲームであったが、詳しいことは言わぬが花というものだろう。

——–

将棋世界1984年12月号、浦野真彦四段(当時)の「マッチの突撃レポート」より。

★夢の球宴

 時は、9月26日。所は神宮球場のすぐ近く。テニスを楽しむ女子大生達の隣で、東西対抗野球(シルバースVSキングスジュニア)が行われた。応援には、中井広恵二段、山田久美初段をはじめ、続々と集まり、将棋世界、マガジン両編集部からは、大勢の取材陣がやって来た。

 そして、いよいよ午後2時。審判の声が高らかに響いた。

★1回表、波乱の幕開け

 先攻は、シルバース。マウンド上は、キングスJr期待のエース小田切2級。その小田切投手、1番の神崎二段をキャッチャーフライ、2番の高木1級を三振に打ち取る見事な立ち上がり。続く野間初段に対しても、簡単にセンターフライを打たせ、ゆうゆうとベンチに引き上げようとした。ところが、何やら関西ベンチの方が騒がしい。振り返ってみると、野間君が走っている。「アレ?」なんと、センターポロリである。思いがけないピンチを迎えた小田切投手、気を取り直し、続く4番打者伊藤四段を、サードゴロに打ち取った!かに見えたが、しっかりとエラー。5番阿部二段のサードゴロも、一塁へ矢のような悪送球。

 こうなれば、押せ押せのシルバース。野田、森本のアベックホーマーも飛び出し、この回6点を挙げて、幸先のいいスタートを切った。

★1回裏、すかさず反撃

 思いがけない先制点をもらって意気上がるシルバースの先発投手は、脇六段。試合前「7点以内に抑えます」と豪語していた脇投手だが、いきなり1番中田三段にフォアボール。2番の泉四段は打ち取ったものの、3番の小池1級にもフォアボール。そして、4番高徳二段、5番達四段に連続タイムリーを浴び、たちまち3点を返されてしまった。尚もチャンスが続くキングスJr、バッターは島五段。見るからに強打者という感じの島先生だが、不思議とボールがバットに当たらない。気の毒に思った私は「もっと下半身を使いなはれ!」とアドバイスしてあげたのだが、あっさり三振に終わってしまった。しかし、続く7番伊藤5級がタイムリー。結局キングスJrはこの回4点。大乱戦必至となった。

★めったに見られない泥仕合

 稀にみる熱戦である。私がちょっと目を放し、テニスコートを見ているうちに、7回表を終わっていたが、得点は16対14でシルバースがわずかにリード。残すは7回裏のキングスJrの攻撃のみとなった。

★7回裏”放火魔”阿部

 最終回、シルバースのマウンドには、火消し役として阿部君が上がった。ところが、彼は、初球ストライクの後、11球連続ボール。アッという間に、一塁と二塁に、火を付けてしまった。しかも、バッターのカウントは、スリーボール。たまりかねた脇先生、マウンドに戻ったが、フォアボールでノーアウト満塁。こうなっては、もういけない。続くピッチャーゴロが悪送球を誘い、悪送球がエラーを呼び、なんと3人のランナーが次々とホームイン。17対16で、キングスJr劇的なサヨナラ勝ちとなった。

★終わって一言

”4打数3安打3打点顔ドロだらけ”で、見事MVPに選ばれた

高徳二段「なんで私が?」

敗戦投手阿部二段「えぇ、まあ、ひどかったですね……」

山田久美初段「こんな面白い野球二度と見れないでしょうね!」

中井広恵二段「脇先生がこけたのが、印象的でした」

”大地に向かって豪快におこけになられた”脇先生「イヤー、ナイスゲームでしたね―」

 両軍とも、お疲れ様でした!

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キングスジュニアの先発投手・小田切2級は、「こども将棋教室 棋友館」の小田切秀人指導棋士五段。

シルバースの火消し役のはずだった投手・阿部二段は、16歳の頃の阿部隆八段。

島朗五段が21歳、泉正樹四段が23歳、達正光四段が19歳、中田宏樹三段が20歳、脇謙二六段が23歳、伊藤博文四段が24歳、浦野真彦四段が20歳、野田敬三三段が26歳、神崎健二二段が20歳、野間俊克初段が20歳の頃。

試合中も試合後も、相当盛り上がったことだろう。

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I藤三段は、伊藤能三段(当時)、T岡三段は富岡英作三段(当時)、T幹事は滝誠一郎奨励会幹事。

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銀遊子さんも浦野真彦四段(当時)も書けなかった奨励会旅行がどのようなものだったのか、気になって仕方がない。

 

 

将棋関連書籍amazonベストセラーTOP30(9月5日)

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船で行く3泊4日「大山十五世名人と将棋の旅」

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将棋世界1983年4月号、「第3回名将戦まつり 洋上に駒音響く」より。

”アマプロ交歓””動く将棋大会””将棋ファンの親睦”の意味を持つ、第3回名将戦まつり「大山十五世名人と将棋の旅」が、2月10日から13日まで3泊4日の日程で行われた。

 近年この「将棋の旅」が盛んになって、毎年定期的に催されるのがいくつかある。名将戦まつりもその一つで、大山名人以下専門棋士と一緒に旅行して、存分に将棋を楽しむのは将棋ファンにとって嬉しい企画である。

 今回の名将戦まつりは関東班と関西・四国班と分け、関東班の場合東京港からカーフェリーで出港。途中徳島で関西・四国班と合流。九州の小倉に入港して、北九州を観光。長崎から飛行機で帰途につく予定。船中で2泊、ホテルで1泊する。

 参加者は約150名、そのうち関東から出発する80数名が、2月10日の午後3時半に千駄ヶ谷の将棋会館に集まった。

 何人かのグループで参加した人、単独で参加した人など様々である。以前の将棋の旅で顔見知りになった人が、あいさつをしている光景も見られる。50歳以上の年配の方も多く平均年齢は高いが、どの人も小学校の遠足の時のように浮き浮きしているのが印象的。

東京港から出発

 午後6時に東京港から7,700トンのカーフェリー”第11伊豆”で出発。いよいよ将棋の旅の始まりである。

 船旅と将棋をドッキングさせたのは、なかなかグッドアイデアと言える。長い船旅を将棋を指すことによって退屈しないですむ。しかも船内の広いスペースを利用して、陸と変わりなく将棋大会などを開くことができるわけだ。

 7時から開会式。参加棋士が一人一人紹介され、盛大な拍手を受ける。大山康晴十五世名人、荒巻三之八段、佐瀬勇次八段、石田和雄八段、前田祐司六段、宮田利男五段、奨励会の中田功1級、それと徳島で合流する有吉道夫九段が今回のメンバー。

 開会式の後、大山名人が現在挑戦している棋王戦第1局、対米長棋王戦を大盤で解説。この将棋は前日の9日に行われたもので、惜しくも大山名人の敗局。”負けはしたが、面白い将棋が指せた”という話に、みな熱心に耳を傾けていた。

 開会式、大盤解説をした所が、50坪あまりの広さのある船席で、将棋盤を常時置いて対局場となっている。夜中でも開放してあり、何時までも好きなだけ将棋が指せるわけである。

洋上の将棋大会

 二日目朝、船は紀伊半島付近を航行中。

”ゆうべは◯時まで将棋を指しました””私は□時です”というのがあいさつ代わり。昨晩少々船は揺れたが、幸い船酔いしている人はいないようだ(二日酔いは少々いる)。

 午前9時から、アマ名将戦トーナメント、一般将棋大会、専門棋士の指導対局といった催しが開始。

 アマ名将戦は、関東は32名のトーナメント戦。ここで勝ち残った人は、徳島で合流する関西・四国班のトーナメントで勝ち残った人と決勝戦を行い、アマ名将を決定する。

 一般将棋大会は、将棋道場のような手合いカードによる対戦。何局という制限はなく、一局の将棋が終わると新しい手合いをつけ、好きなだけ指しまくってもらう。その合間に希望者は専門棋士の指導が受けられる。

 指導対局は三面指しで、4、5人の棋士が並んでお相手をする。角落ちで勝利をあげた強豪もいたが、大体飛落ちから二枚落ちの手合い。大分、上手の勝率が良かったようだ。中田1級も指導対局で奮戦している。奨励会の連中は駒落ちでもとにかく下手を負かそうと指してくるので厳しい。中田君は今回の旅行の指導対局で1局しか負けなかったと話していた。

 これらの催しが進行するうちに、午後1時徳島港に到着。関西・四国班を拍手で迎える。すぐに将棋大会に加わり、船内は一層にぎやかになる。

 これより船は瀬戸内海を通って行くのだが、周りの景色が眼に入らないかのように熱心に将棋を指している人が多かった。

 関西・四国班のアマ名将トーナメント戦は16名。アマ名将戦に参加するのは腕自慢が多い。関東の方では元アマ名人の南川義一さん、関西では元朝日アマ名人の大田学さんの名が見える。

 アマ名将戦で勝ち残ったのは、関東は決勝で南川さんを破った、沼津の会社員、藤井祐輔さん。関西は徳島の強豪、石川哲也さん。アマ名将を賭けた一戦はこの二人で争われた。 

 先手藤井さんの四間飛車に後手石川さんが居飛車左美濃戦法。藤井さんの仕掛けがやや早かったようで、石川さんが鋭く反撃。熱戦の末、ちょうど100手で石川さんの勝ち。

 石川さんはアマ名人戦の徳島県代表に6回もなったことのある強豪。57歳で六段、徳島新聞社で観戦記者をしている方である。

 熱戦の後を物語るように紅潮した顔の石川さんは、優勝トロフィの他に大山名人書、香月作の盛り上げ駒を大山名人から手渡されて大喜び。回りにいた人が、駒を見て”変わった書体ですね”と言うと”私が書いたんですよ”と大山名人。思わず周囲から笑いが起こった。

 時間の関係で、この決勝戦に先立って、賞品授与式が行われていた。アマ名将戦で上位入賞した人。一般将棋大会では、対局数の多い人、勝ち星の多い人が表彰された。対局数では15局指した、沢田茂さんが最高。まずもってよく指したものだと、みな感心。

 後は抽選で賞品が全員に進呈された。棋書、将棋盤、色紙などを組み合わせたものだが、なかには定価18万円の名人戦全集が当たった人がいた。

雲仙温泉に泊まる

 12日朝6時半に小倉港に到着。1日半過ごしたカーフェリーに別れを告げた。おりから寒波が襲来していて”寒いなあ”というのが九州到着の第一印象。ただちに観光バス4台に分乗して出発。これからは北九州の観光が中心となる。

 博多で将棋盤店を見学し、大宰府を参拝と駆け足で回る。佐賀では昼食に有明海で取れる、ムツゴロウの料理を食べた。有明海沿いにバスは走り、雲仙へと向かう。夕方、白い湯煙が立つ雲仙温泉に到着。今夜の宿泊場所「ホテル東洋館」に入った。

 ホテル東洋館では、すでに板谷進八段対森信雄四段の名将戦が始まっている。これは名将戦まつりの企画の一つで、専門棋士の対局の様子を観てもらおうというもの。

 棋士が指すところを間近に観て、その真剣な表情に感嘆した様子だ。この将棋の模様は自由対局場に開放してある大広間に伝えられ石田八段、有吉九段が大盤で解説。

 7時からは、地元長崎支部の人などを交えて、立食パーティーの始まり。もうこの頃になると、みな打ち解けて、にぎやかに談笑している。パーティーもたけなわになると、様々な余興が飛び出して盛り上がった雰囲気。

 名将戦は難解な将棋であったが、板谷八段が攻め切ることができ、勝利をあげた。両対局者もパーティーに顔を出してあいさつし、盛大な拍手を浴びた。

 今夜が最後の旅の晩となると、指しおさめとばかりに、自由対局室に夜遅くまで駒の音が響いていた。

長崎空港から別れを告げる

 雲仙温泉は標高700メートルの高さにある。最終日の朝、今年一番の寒さに見舞われたこともあって、出発時にバスが1台ブレーキが凍って動かないというハプニングがあった。

 最終日は長崎市内を見学、長い坂を上がってグラバー邸に立ち寄る。そして西彼杵半島を通り、大村湾と佐世保湾を結ぶ針尾の瀬戸にかけられた西海橋を渡った。ここのうず潮は鳴門のうず潮と並んで有名だそうである。焼きものの町、有田に立ち寄り、大村湾をぐるりと回って長崎空港へと向かう。

 旅の終わりは妙にもの悲しいが、それをかき消すようにバスの中ではマイクを回して、歌謡大会が始まった。年配の方が多いせいか、浪曲なども聞かれる。ガマの油売りの口上をやった人がいて、やんやの喝采を浴びた。昨日から同行しているバスのガイドさんも、芸達者ぶりに感心した様子。

 歌を楽しんでいるうちに、名残惜しくも、大村湾に浮かぶ海上空港長崎空港に到着。

 各所で買った土産をいっぱい抱えて、午後6時半の飛行機で一路羽田へと帰路についた。

——–

名将戦は週刊文春に掲載されていた文藝春秋主催の棋戦。

船の中なので将棋三昧。

誰も家に帰らずに船の中に居続けるのだから、非日常の空間だ。

バスの中の光景などは、いかにも昭和の頃の風情だが、2015年、このような船の旅をやったらどうなるのか考えてみた。

  • トークショー
  • 講演
  • 席上対局+次の一手名人戦
  • 公開公式戦
  • サイン会
  • 将棋大会
  • 指導対局
  • 自由対局
  • 将棋横断ウルトラクイズ、将棋カルトQ
  • 洋上SHOGI-BAR
  • みろく庵出張酒場
  • レストラン イレブン試食会
  • バトルロイヤル風間さんの似顔絵コーナー

女性の将棋ファン、観る将棋ファンをメインターゲットとした形。

ゆっくり楽しむにはやはり船上に2泊はしたいので3泊4日コース、あるいは船上だけの2泊3日コールとなるのだろう。

営業的に成立するかどうかのシミュレーションは難しいが、今の時代、このような船の旅があっても面白いと思う。

 

観戦の「午前の部」「午後の部」「夜の部」

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将棋世界1983年3月号、中平邦彦さんの観戦随想「面白うてやがて悲しき」より。

 会社の昼休みに、さっさと3局も指す仲間からよく言われる。

「え、観戦記者ってのは楽だろう」

「楽なもんか。何しろ長いものなあ」

「長いって、2、3時間で済むんだろ」

「いや、大体10時間で、将棋によっちゃあ夜中の1時過ぎになる」

 すると相手の態度が変化する。ふむ、これは大変だという顔色になる。

 敵はこう考えている。観戦記者というのは文字通り”観戦”するのだから、10時間も12時間も盤側にいる。足もしびれるし、弱い頭で考えもする。こりゃあ大変だ。なるほど、しんどいだろう、と。

 この、盤側につきっきりという思い込みは貴重だから、決して真相は明かさない。そうだ、観戦記者は棋士と同じように朝から晩まで盤をにらみ、一局の労苦を共にするのだと思わせておく。

 だが、実態は大分ちがうことは棋士が一番良く知っている。記者の多くが、盤側よりも記者室でうろうろしたり、お茶を飲みに出かけたり、昼寝をしたりするのはお見通しだ。

 もっともこれだって一種の取材活動で、わかりもしないのに次の一手を考えるより、盤外のエピソードや棋士情報を得た方がずっと役に立つことが多いという見方も出来る。

 新聞や雑誌の将棋を読む人は、目で順を追い、頭の中で読む人が多い。盤に並べて研究する人はごく少ないと思う。だから長い変化手順を沢山書いても(これを書くのが一番楽だが)理解してくれないし、面白くもないだろう。手順を書くなら頭で追える長さにとどめ、むしろ何故その手を指したのかという棋士の心の動きを書いた方がいい(これを書くのが一番むずかしい)。

 芝居見物ではないが、観戦には「午前の部」「午後の部」「夜の部」がある。

 午前は序盤の駒組み段階で、棋士も気が楽だからおしゃべりに花が咲く。この話が面白いのだ。これがあるから観戦記がやめられない。毒舌が飛び交い、その場にいない者が茶化され、棋士の最新情報が伝わる。

 これを全部紹介したら面白いのだが、コードに引っかかる話が多過ぎてとても書けないのが惜しい。コードとは「さしさわり」があることで、とても字には出来ない。

 午後の部は長考になる。むずかしい中盤だから棋士の口数も減る。局面も動かないから要するに”暇”になる。記者は盤側から去って、そこらをうろうろする仕儀になる。これが長いので、ヘボ将棋を指したり、お茶を飲みに出る余裕が十分にある。

 が、最も肝要なのは局面によること。超急戦の場合は席を立てない。ある記者は近くの社から呼び出され、用を済まして帰ってみると、将棋はとっくに終わり、棋士もおらず、盤もなく、青くなった。そのあとどうしたかって?原稿用紙が涙でにじんでいた。

 夜の部はコワイ。うっかりものを言うと怒鳴られそうな気配となる。

 顔が仁王のように赤く染まる人、逆に顔面蒼白になる人。身体を揺する人。さまざまである。煙草が増え、ノド用のドロップや仁丹が盛んに口に放り込まれる。

 だが、そんな険しいやりとりの中でも、ベテランやサービス精神豊かな人は、観戦記者を労る余裕と優しさがある。東の米長棋王と西の内藤王位がその代表だろう。

 1図は名将戦決勝トーナメント。

内藤福崎1

 後手の内藤が銀を犠牲に9筋から攻め込んだきわどい局面だ。カナケなしで寄せられるのだろうかと目をこらしていると、内藤は少考して△8五桂と指した。

 福崎は△8五桂を見て一瞬目をつむった。意外な手だったらしい。そしてしばらく考えていたが

「失礼します」と手洗いに立った。なかなか帰ってこない。

 すると内藤は記者を見てニヤリと笑い、

「△8五桂はむずかしい所や。普通はこの桂で△9三香▲8八玉△9九飛とやるんやけどね」と言った。

 補足すると、△9九飛のあと▲8六銀と玉の逃げ道を作られてうまくいかない。だから△8五桂とした。この桂打ちを福崎は軽視していた。それで頭を冷やしに手洗いに立った。そんな心の動きが手に取るようにわかった。こういう親切をやってくれる。

 2図は王位戦七番勝負第4局。

内藤中原1

 九州博多での大きな勝負で、これに勝ってタイにした内藤が、このあと2連勝して王位を奪う。

 図の△8六桂はノータイムだった。内藤の駒台は空っぽだが、この桂一発で決まっている。控え室の動きがあわただしくなった。急ぎ、カメラマンが呼ばれた。観戦記者の一番いやな時間だ。

 重苦しい雰囲気がたれこめる対局室に、いやでも入らねばならない。最後の瞬間を見届けねばならない。

 対局室に入ると、内藤は廊下の陰のソファに座って姿が見えず、中原が一人、静かに考えていた。耳が赤く、顔は青白い。

 中原はもう負けを覚悟した。負けをどう収束するか考えている。平静で、表情も何げない風だが、痛ましい時間である。

「フーッ」と、深い、深いため息をもらし、それから記録係に棋譜用紙をもらい、じっと見る。何を見ているのだろう。悔恨か。

 それからふいに手洗いに立った。戻ってもすぐに席につかず、控えの間の窓際に立って遠くの博多湾を見ていた。長い時間に思えた。

 やがて席に戻ると、ゆっくりした手付きで▲同歩と取った。茶を立てるような静かな動きだった。

 ▲同歩に費やした時間は42分。そして5手後に投了した。その間、記者はツバを飲み込む音もはばかって、肩が張り、背中が痛んだ。負ける棋士はつらいが、それを見ている記者も負けずにつらい。

 観戦は鵜飼いを観るのに似ている。

 面白うてやがて悲しき……。

——–

この頃は、午前中、対局をしている棋士が対局相手あるいは観戦記者と雑談を交わすことがあった時代。

観戦記に盛り込めるかどうかは別として、観戦記者にとってはとても有り難い時間だ。

現代は、序盤から神経を使わなければならない展開なので、「午前の部」は「午後の部」に吸収合併されたような形になっている。

——–

「負ける棋士はつらいが、それを見ている記者も負けずにつらい」は、本当にそう思う。

 

 

佐藤康光八段(当時)の不思議な体験

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将棋世界1997年4月号、佐藤康光八段(当時)の連載自戦記「全体的に押される」より。

 ◯月△日 買い物に行くために車で渋谷に行く。ハチ公の交差点で赤信号のため停止していると突然助手席のドアが開き、見知らぬ女性が車に乗り込んできた。ドアのロックをしていなかった私も迂闊であったがさすがに驚く。

「足に怪我をしたので近くのデパート迄送って下さい。約束の時間に遅れるんです」と何かに訴えた目で見られる。

 この様な局面ではどう対処すれば良いのだろう。本当に怪我をしているのかどうかも分からなかったがとっさに判断をしなければならない。

 そこで信号が青になった。渋滞になってはまずい。とにかく乗せていく事にした。今流行のストーカーかとも思ったがどう考えてもおかしい。そしてよく見ると彼女はどう見ても女子高生である。

 2、3分で着くのだがその間彼女はずっと明るく喋り続けた。途中意味不明の表現も飛び出し、年代の差を感じざるを得ない。

 デパートに着くと「どうもありがとうございました」と突然丁寧な挨拶に変わって去っていった。どうもだまされたのか、親切だったのか、不思議な出来事ではあった。

(以下略)

——–

ハチ公前の交差点から車で2、3分の所というと、東急百貨店本店で女性が降りていったと考えられる。

突然若い女性がドアを開けてきたのだから、相当ビックリしたことだろう。

——–

このような場合、相手がどういう女性か分からないわけで、乗り込まれる男性の方も半分命がけだが、乗り込む女性の方も、運転しているのが凶悪な男である可能性もあるわけで、そのままどこかへ連れ去られるリスクも抱えている。

車の中の佐藤康光八段(当時)の顔を見て、「この人なら大丈夫」と本能的に思って女性は乗り込んできたに違いない。

——–

この頃の女子高生の独特の表現というと、「チョベリグ」、「チョベリバ」など。

——–

佐藤康光九段ほどではないにしても、私も一度、不思議な体験をしたことがある。

深夜のシフォンケーキ美女。

林葉直子女流五段(当時)「郷田先生に似ていたんですよ」

 

 

佐藤康光九段と行く松茸会席の旅

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将棋世界1984年3月号、神吉宏充四段(当時)の「神吉宏充の突撃レポート」より。

 今月から新たに奨励会ニュースを担当することになりました。

 奨励会員のエピソードを織りまぜて、なるべく現場の雰囲気を、面白く、お届けして行きますのでよろしくお願いします。

☆得意戦法

 奨励会員は誰でも得意戦法を持っている。しかも盤上だけではなく、盤外にまでおよんでいる。そんなエピソードを、好調組の中から紹介しよう。

(※編集部注・この文は多分に針小棒大の気味がありますのでそのつもりでお読みください)

 めっきり寒くなった今日この頃ここ関西将棋会館では、奨励会の対局が行われている。その中では◯◯三段と△△初段の一戦が行われていた。

 局面は、中盤にかかり、下手の研究手順通り、事が進められ、上手の必敗形。その対局を見ていた私は、そろそろこの上手の得意な盤外戦法が始まるのではないかと思っていた。

☆言葉巧みな伊藤

 その直後であった。いきなり◯◯三段は△△初段に向かって、話しかけて来たのである。

「さだまさしのあの歌知ってる?」とか「今やってるあの映画いった?」と、巧みに話を持ちかけたのである。

 これに驚いた△△初段、先輩から◯◯三段のこの恐ろしい必殺技の事は聞いて知ってはいたのだが対戦するのは初めて。ついつい話を聞きだしてしまったのだ。

 そしてこの将棋は、必敗であった◯◯三段の逆転勝ちとなってしまった。言葉巧みに話を持ちかけ、相手に時間を使わせ、勝負の感覚を狂わせ、廃人へと追い込んでしまう。そう、彼のことを我々は”終盤の話術師”と呼ぶ。

 彼の名は伊藤博文三段、その人である。

 彼は”話術師”の本領を発揮して、現在、9勝2敗で、四段昇段まであと4勝2敗でよい所まで来ている。しかしこの話術師封じを、企てている先輩会員達の、巻き返しがなるか、この1ヵ月を、注目して見守りたい。

☆奨励会随一の酒豪

 さて次に紹介するのはこれも若手奨励会員から恐れられている攻撃の一つで名付けて”二日酔い攻撃”この必殺技を使うのが、名古屋の雄、中山則男三段である。

 彼は級位者の時から有名で、3級当時には”スナック中山”と呼ばれ、現在は”行きまひょ中山”とか”二日酔い中山”とか呼ばれている。この3つのニックネームには全て酒がまつわり、彼の酒豪ぶりが伺い知れる。

 それでは”二日酔い攻撃”がいかなる攻撃か、リアルに、現場を再現してみよう。

 その日若手奨励会員の□□二段は、今日の対局で中山三段と当たりそうだなーという不安にかられていた。そしてその不安が現実となって現れた。

 奨励会幹事の東五段から手合が発表された。「中山三段と□□二段」この瞬間、彼は思った。「オレは世界一不運な男」だと。

 対局者の二人が座につき、コマを並べだした。その時からすでに”二日酔い攻撃”が始まっていたのであった。 

 中山三段のはく息は、酒のニオイで満ちあふれ、いかにも昨夜から今朝まで酒を飲んでました、といわんばかりで、中山三段の顔を見ると、どことなく目もうつろである。そうしていくうちに、□□二段もいい気分になってきた。そう、中山三段の酒のニオイに□□二段はホロ酔い気分になっていたのだ。そして□□二段は思った。「将棋などもうどうでもよい」と。

 将棋は序盤から□□二段の緩手が続き、中山三段の術中にはまってしまっていた。

 2時間が過ぎ、ハッと□□二段は我に返ったが時すでに遅し、局面は□□二段の必敗形になっている。「もうだめかー、また術中にはまったのか」□□二段は肩をガックリ落とし、もはや抵抗する気力を失っていた。

 ふと、中山三段の顔を見ると朝とは違って目はランランとし、コマを持つ手つきにも力がこもっていた。そう、これこそ関西奨励会の中で最も恐れられている必殺技の一つ”二日酔い攻撃”の実体であった。

 中山三段は、奨励会の前日、酒をあおり、対局に臨むのである。

 この技を会得するのに7年はかかりましたと彼は述懐する。こんな風に体をコントロールできるまでには彼は7年かかったのか。そういえば、数年前、一手指すたびに「ウエップ」といいながら、トイレに駆け込んでいた彼が思い出される。

 苦しい修行が、いま花を開いたのだ。

 そんな必殺技だけに防ぐことはできない。たった一つだけ防御策があるとすれば、それは彼以上に酒をあおり、”二日酔い返し”をする以外ない。ただ飲み過ぎて休会することは必至である。

 彼も6連勝と好調。前からの星も合わせると9勝3敗の星もある。

 あと4勝1敗か3連勝で昇段の規定に達するから、昇段の最有力といってよい。

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昨日、「佐藤康光九段と行く松茸会席の旅」が開催されることが日本将棋連盟のホームページで発表された。

・日程:2015年11月28日(土)~11月29日(日)
・場所:信州・高原の宿 スカイランドきよみず(松本駅から無料送迎バスあり)
・参加棋士:佐藤康光九段、澤田真吾六段、中山則男指導棋士六段
・参加費: 29,000円(1泊3食、指導料・松茸料理含む)

佐藤康光九段と行く松茸会席の旅(日本将棋連盟)

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先週の土曜日に、船で行く3泊4日「大山十五世名人と将棋の旅」の記事を書いたばかり。

現代にもこのような企画があれば面白いだろうと思っていたのだが、現地集合現地解散という点を除けば、まさにそのような雰囲気のある旅行だ。

現地では、盛り上げ駒を使用しての指導対局、佐藤康光九段のミニ将棋講座、棋士を交えた夜の親睦会・記念撮影、抽選会など。

松茸料理は、松茸の茶碗蒸し、松茸入り小鉢、松茸の釜飯、松茸の炊合せ、焼き松茸、松茸の牛すき鍋、松茸の天ぷら、松茸寿司、松茸の土瓶蒸しなど。

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「佐藤康光九段と行く松茸会席の旅」の参加棋士の一人である中山則男指導棋士六段の若い頃が、今日の記事の中山三段。

酔拳のような切れ味を見せる中山三段(当時)だが、豊川孝弘七段が四段になった時の話に中山則男指導棋士四段(当時)が登場する。

心温まる、とてもいい話だ。

豊川孝弘四段(当時)「人に情に燃えました」

結婚前の谷川浩司竜王(当時)が名古屋市内で現在の奥様とデートしているのを発見したのも当時の中山六段。

谷川浩司竜王(当時)のプロポーズの言葉

中山六段は、東海研修会の幹事も務めている。

「佐藤康光九段と行く松茸会席の旅」は、本当に楽しそうだ。

 

 

第27回将棋ペンクラブ大賞贈呈式のご案内(詳細)

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第27回将棋ペンクラブ大賞贈呈式が、以下の日程で開催されます。

日時:2015年9月18日(金)

18:00 開場  18:30 開演

(終了予定 20:30頃)

場所:スクワール麹町 (東京・JR四谷駅前)

会費:男性8,000円 女性6,000円

※将棋ペンクラブ会員ではない方の参加も大歓迎です。

※参加申し込みや予約は不要です。

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当日は、受賞された皆様がご出席くださいます。

将棋ペンクラブ大賞贈呈式は受賞者をお祝いする会です。多くの方のご来場をお待ちしております。

受賞者は次の方々です。

〔観戦記部門〕

大賞  大川慎太郎さん

優秀賞 藤田麻衣子女流1級

〔文芸部門〕

大賞 松本博文さん

優秀賞 今泉健司四段

〔技術部門〕

大賞 藤井猛九段

優秀賞 村山慈明七段

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[式次第]

・開会の辞

・審査員講評

・表彰式

・受賞者スピーチ

・乾杯

・ご歓談 (立食形式のパーティー)

※パーティのとき女流棋士による指導対局コーナーが設けられます。

指導棋士:熊倉紫野女流初段、渡部愛女流初段

※色紙や本などが当たる抽選会もあります。

※会の終了後、二次会も予定されています(別会費)。

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受賞作品

〔観戦記部門〕

◯大賞  大川慎太郎さん

第64期王将戦七番勝負第1局 渡辺明-郷田真隆(将棋世界)

将棋世界 2015年 03月号 [雑誌]

◯優秀賞  藤田麻衣子女流1級

第28期竜王戦1組2回戦 橋本崇載-行方尚史(読売新聞)

〔文芸部門〕

◯大賞  松本博文さん

「ルポ 電王戦 人間 vs. コンピュータの真実」(NHK出版)

ルポ 電王戦―人間 vs. コンピュータの真実 (NHK出版新書 436)

◯優秀賞  今泉健司四段

「介護士からプロ棋士へ 大器じゃないけど、晩成しました」(講談社)

介護士からプロ棋士へ 大器じゃないけど、晩成しました

〔技術部門〕

◯大賞  藤井猛九段

「角交換四間飛車を指しこなす本」(浅川書房)

角交換四間飛車を指しこなす本 (最強将棋21)

◯優秀賞  村山慈明七段

「矢倉5三銀右急戦」(浅川書房)

矢倉5三銀右急戦 (最強将棋)

 


神谷広志六段(当時)の歯に衣着せぬスタジオジブリ作品評論

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将棋世界1997年1月号、神谷広志六段(当時)の「待ったが許されるならば……」より。

 一昨年浜松に越して依頼、歯磨きと散歩がささやかな楽しみというきわめて退屈な毎日を送っている。

 当然ここに改めて書く程の面白い体験などとは無縁。どうすればいいのか困ってしまったがもう一つの趣味であるアニメを生かし、スタジオジブリの宮崎&高畑作品について私なりの批評というか感想をダラダラと書いてお茶をにごすことに決めた。アニメに興味のない方には読むだけ時間の無駄と思われるので即ページをめくることをおすすめする。

「風の谷のナウシカ」

 私をこの世界に誘ってくれた記念すべき作品。最初観た時は大変感動したものだが今の目で見るとなんだか全体的に力が入り過ぎている印象。それと主人公のナウシカばかりが強調されて他のキャラクターの存在感が弱い。強過ぎる女性は私苦手なんです。

「天空の城ラピュタ」

 私が最も好きな作品。これからの人生でどんな映画を観たとしてもこれ以上の評価をすることはあり得ないというくらいのものだ。ただしラストでシータとパズーがドーラ達と再会する場面だけはやや蛇足気味と思う。愛するシータがドラミちゃん(ドラえもんの妹)と同じ声優と知った時はかなりのショックだった。

「火垂るの墓」

 全体的に暗く、非常に味の悪い作品。

 ただし泣ける。せつこが死んでしまう場面はとにかく涙がボロボロこぼれて仕方がなかった。通夜や告別式に出てもほとんど泣いたことがない冷血な人間と自己評価していたので意外だった。

 二度と観たいとは思わないけれど。

「となりのトトロ」

”自然を大事にしよう”そう訴えたい気持ちはよくわかるのだがなんだかそればかりが全面に出ていささか鼻につく。

 そこをもう少しおさえてくれれば私も世間並みの評価をしたと思う。

 ただし猫バスのアイディアは抜群。

 誰もが一度はあれに乗ってみたいと思うことだろう。

「魔女の宅急便」

 ほめる所もけなす所もどこと言って浮かんでこない淡々とした作品。

 しかしどうしても気になるのは「宅急便」という言葉を使っていることや黒猫のジジが登場するなどヤマト運輸とのタイアップが全面に出ていること。

 まあこのくらいのことは世間ではよくあるのだろうがへそまがりのぼくにはどうも許せないと思ってしまう。

「おぼひでぽろぽろ」

 これも淡々とした作品だが「ラピュタ」を別格とすればその他では一番気に入っている。普段はたえこに甘い父が大学の演劇部に頼まれた出演を許さない場面を観るたび「うちの娘なら絶対に断らせたりしないのに」と思うのは単なる親馬鹿であろうか?

「紅の豚」

 なんだかアッという間に終わってしまう感じだが、これは元々30分ものを作る予定だったとのことなのである程度は仕方ない。ただ最後の決着のつけ方はどうにも納得いかない。ポルコもカーチスも飛行機乗りなのだからやはり決着は空中戦でつけるべきだろう。席上対局を見せるのに、千日手になってしまいジャンケンで勝負をつけるのを見て誰が喜ぶか。

「平成狸合戦ぽんぽこ」

 最悪。30分も観ないうちにカンベンしてくれと言いたくなった。映像自体は水準を保っているのにどうしてかと不思議だったがテレビで二度目を観ているうちにすぐ理由がわかった。とにかくナレーションがうるさいのだ。こうくどくど説明されては話自体がどんなに面白くとも白けてしまう。

「耳をすませば」

 私のような中年男には気恥ずかしくなってしまう内容だが若者に受けるのはよくわかる。雫と聖司が再会して結婚を誓う最後の数分間は大好きである。

 さて、今年の10月11日は「耳をすませば」がテレビに初登場した。あいにくその日は順位戦で郷田六段との対局があり朝予約録画をしてから出かけた(こういう余分なことを考えていたせいかあるいは実力か将棋は惨敗した)。次の日ドキドキしながらビデオを観ると無事映っているので一安心(よく録画を失敗するので)。ところが最後、一番好きな場面がいよいよこれからという所でいきなりビデオが終了してしまった。呆然としながらビデオを調べると標準を3倍に直すのを忘れている。昨年の夏に映画館で観て以来この日を待っていたのに何たる失敗。

 しかしここでハッと思い出す。念のために浜松にいる女房にも録画を頼んでおいたのだ。ところが女房も全く同じミスをしてやはり最後の場面がとれてないと聞かされ二度目の呆然。

 待った。待ったをします。あの日あの時に戻って3倍のボタンを押します。ただそれだけです。誰か誰か待ったをさせてくれ~。

——–

神谷広志八段らしいキャラクターが随所に現れている傑作エッセイ。

「席上対局を見せるのに、千日手になってしまいジャンケンで勝負をつけるのを見て誰が喜ぶか」などの表現は最高だ。

——–

私が観たことのあるスタジオジブリ作品は、「千と千尋の神隠し」と「コクリコ坂から」。

「千と千尋の神隠し」は人に誘われて、「コクリコ坂から」は主題歌の「さよならの夏」(1976年発売)という曲が好きだったから観に行った。

それぞれ、起承転結の結が希薄かなと思ったが、音楽を鑑賞するような気持ちで観るには非常に雰囲気のある作品だという感じがする。

神谷八段のこの2作品についての評論も聞いてみたいところ。

「さよならの夏」は今の季節にピッタリな曲。

 

谷川浩司八段(当時)「桐山さんには公式戦負けつづけでやっと勝ちました。ズルイ勝ち方ですね。ここまでくればいいという感じなのですが、そんな言い方ではいけませんか」

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将棋世界1983年5月号、毎日新聞編集委員の井口昭夫さんの「第41期名人挑戦リーグ最終戦 棋士の一番長い日・関西編」より。

大阪決戦は史上初

”大阪燃ゆ”―。第41期名人戦の挑戦者を決めるリーグ戦の最終日、関西将棋会館での2局が全国のファンの注目を集めることになった。中原誠十段、桐山清澄八段、谷川浩司八段と、3人の6勝2敗組がそろって大阪で雌雄を決することになったのは史上初である。

 中原十段と対戦する森安秀光八段は、今期は危うく陥落をまぬがれ、余裕をもって最終局に臨んでいる。もっともこの日の星の工合で次期4位から8位までの差が出てくるから、全力をあげることは目に見えている。桐山-谷川戦は、中原十段の結果では、勝者が即挑戦者に決まるので、大一番である。 

 江戸城御黒書院を模した対局室。上段の間に中原-森安戦、下段の間が桐山-谷川戦で全館この2局だけという配慮がされている。午前9時半、すでに毎日放送、NHKの両テレビ取材班が待ち受け、それぞれ記録係が丹念に駒をふいている。

開始前の静けさ

 9時45分、桐山八段、そして中原十段、谷川八段、森安八段とつづく。さすがにいつもより早い入室である。

「私一人ニコニコしてちゃ悪いでしょうね」と森安八段。前回、大内八段に勝って残留を決め、ホッとしている。

 テレビカメラは下段の間の二人に集中している。上段の間の中原十段「こっち、関係ないんでしょ?」と聞く。谷川、谷川で報道陣が騒いでいることを知っている。

「いや、こっちへも来ますよ」と私。

「お世辞でしょ」と中原十段。

 ところが本当にカメラは来なかった。

「普通は関係ないほうも撮るのに」と中原十段。チョッピリ、無視された気持ちが出る。

「遠慮したんでしょう」

「そうですか」と素直だ。

 仕切りのふすまを開けはなっているので助かる。下段の間はシーンと静まり返っている。以前ならカメラの回る音がしたものだが、今は小型ビデオで撮っているので静かだ。

対局室に入らない

 午前10時対局開始。東京での様子が頭に浮かぶ。二上-森戦は敗者が陥落なので深刻だろう。1時間後の午前11時。中原-森安戦は後手森安22手目の△4五歩まで。中原は▲8八玉から▲9八香として穴熊態勢、森安は中飛車から△4三銀~△4五歩。

 桐山-谷川戦は先手谷川のタテ歩取りで16手目の△5四歩まで早い進行だったが、ここで谷川の手が止まったまま。どちらも一言も口を利かない。普段から無口な二人がこの勝負だから当然だろう。

 テレビが対局室から引き揚げた。「ふすまを閉めましょうか」と聞くと、中原十段は「夜まではいいでしょう」と言う。こちらも助かる。往来が楽だ。対局者も時々、のぞきあっている。初めにふすまを閉めていると途中からは開けにくいものだが、開いていればどうということはない。それに、この日はみんな遠慮したのか、対局室へ入ってくる棋士はいない。

ミネラルの中原

 午後0時2分「休憩にしてください」と桐山八段。26手目を考慮中だったが、作戦の分かれ道だけに、じっくり考えたかったのだろう。休憩の定刻は10分からだ。

 この声に誘われたのか、同4分、森安八段が「休憩にしてください」と言う。こちらは38手目を考慮中で、随分早い進行。

 昼食はそれぞれ散ったので内容は定かでない。

 会館の1階にはレストランと喫茶店がある。このレストランでとんかつ定食を食べている棋士を時折、見かける。

 午後1時再開。同50分「東京は一つくらい終わりましたか」と森安八段。冗談とも本気ともつかない。

 午後2時、おやつの注文とり。

中原「ホットミルクとチーズケーキ、それにミネラルウォーター2本、フフフ」

森安「コーヒーとチーズケーキ」

桐山「ホットコーヒー」

谷川(少考して)「ケーキとレモンティー」

 中原十段はこのところミネラルウォーターを愛飲している。もっとも森八段の5分の1くらい。

(中略)

 午後11時頃、東京から大山、森がそれぞれ勝った、の知らせ。

「この駒台じゃ、のせ切れない」と嘆くほど持ち駒の多い中原十段が午後11時2分、勝った。やはり、森安八段は▲4六飛を見損じていたのだ。投了の局面を見ると、スレスレの勝負ということがよく分かる。

(中略)

 午後11時58分、桐山八段が投了した。

 検討のあと谷川八段は「きょう勝てると思っていなかった。大不調なので―。桐山さんには公式戦負けつづけでやっと勝ちました。ズルイ勝ち方ですね。ここまでくればいいという感じなのですが、そんな言い方ではいけませんか」

「勝った将棋は内容がよかった。負けた将棋も悪くなかった。自分の力を100%出せたので悔いはない。同率決戦にはすっきりした気持ちで全力をあげてぶつかりたい」

 こちらを取材している間に、中原十段と森安八段は消えた。で、中原十段の決意は聞きそこなった。

 リーグ戦での2つの黒星は対桐山と谷川。その二人が戦って一人が倒れ、残った相手と決戦する。運のいい展開になった。

 普通なら有利なはずだが、谷川感想に見られるように、若いのに肝が座っているから、この決戦、何とも予想がつかない。

——–

谷川浩司八段(当時)はこの後、中原誠十段とのプレーオフに勝ち、加藤一二三名人(当時)への挑戦を決める。

そして、4勝2敗で加藤名人に勝ち、今でも記録が破られていない史上最年少名人となる。

——–

「どちらも一言も口を利かない。普段から無口な二人がこの勝負だから当然だろう」とあるから、この時代は午前中に対局者が雑談をしないことの方が珍しかったことが分かる。

——–

「会館の1階にはレストランと喫茶店がある」とあるので、この頃の関西将棋会館の1階には「レストラン イレブン」と喫茶店があったのだろう。

午後のおやつは喫茶店からの出前だったと考えられる。

ホットミルクなどは喫茶店でなければ考えられないようなメニューだ。

——–

中原誠十六世名人の「ホットミルクとチーズケーキ、それにミネラルウォーター2本、フフフ」。最後のフフフが絶妙だ。

——–

昔の歌謡曲ファンの方なら誰でもご存知だと思うが、「じゅん&ネネ」という女性二人のグループ。

そのうちの一人の千秋じゅんさん(じゅん)が、結婚・引退後、喫茶店を経営していた。

たまたま職場がその喫茶店の至近距離にあり、来客があって打ち合わせをする時などは、千秋じゅんさんの喫茶店から飲み物の出前をとることも多かった。

出前は、ママである千秋じゅんさん自らが届けてくれるというもので、お客様からも喜ばれ、非常に人気が高かった。

歌手時代はボーイッシュな髪型や衣装だった千秋じゅんさんだが、喫茶店時代はずっと和服姿。

喫茶店からの出前というと、この頃のことを思い出す。

「じゅん&ネネ」は2003年から活動を再開している。

じゅん&ネネ オフィシャルウエブサイト

 

 

 

谷川浩司九段の日常での人智を超えた読み

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将棋世界1997年2月号、神吉宏充六段(当時)の「今月の眼 関西」より。

 先日、とある席上で俳優の丹波哲郎さんと会った。初めてお目にかかったにもかかわらず、丹波さんから「いやあ、どうもどうも」と声を掛けていただいて感激した。伺えば丹波さんは大の将棋ファンで、『将棋パトロール』等で私の事も良くしってくれてはるそうで「貴方のファンなんですよ」とは……ほんま嬉しい一瞬でした。

 その丹波さんがこんな話をされていた。

「タイトル戦や最高峰のプロの闘いを見ていると分かるんだが、これはもう人智を超えた闘い、守護霊と守護霊の闘いであって、神の領域なんだよね」

 う~ん、流石は『大霊界』の丹波さん、人智を超えたお言葉であった。

 11月23日は『ふたりっ子』の野田香子、岩崎ひろみさんの20歳の誕生日。夕方、食事にお誘いしたら「空いています!」と元気な声。で、全日プロの対局でも有名な大阪の料亭『芝苑』へ。すると偶然とは恐ろしいもので、そこには谷川夫妻が食事に来ていると言うではないか!しかも、谷川先生は、私と岩崎さんがここに来るのではないかと読んでいて、用意周到に誕生日の花束を持って現れたのである……。

 正に人智を超えた読み、流石は20年間の付き合いで、私の行動を熟知している谷川浩司だ。彼の読みと気配りに感謝しながら、せっかく岩崎さんと二人で遊ぼうと思っていた私は「竜王戦頑張りや」と眉毛ピクピクするのであった。

(この日から1週間後、守護霊決戦を制して竜王を奪取した谷川竜王。お、おめでとうございます)

——–

NHKで放映していた連続テレビ小説『ふたりっ子』の撮影が佳境の頃。

岩崎ひろみさんの誕生日に食事に誘うことができたのだから、神吉宏充六段(当時)はすごい。

大阪市北区にある『芝苑』は、ミシュランで一つ星を獲得している。

——–

丹波哲郎さんは、2000年代初頭のNHKの正月の将棋特別番組に何度か出演をしている。司会は神吉宏充六段。

 

連続テレビ小説 ふたりっ子 完全版 DVD-BOX 1

将棋関連書籍amazonベストセラーTOP30(9月5日)

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amazonでの将棋関連書籍ベストセラーTOP30。

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憧れていた女優と会うことができた島朗四段(当時)

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将棋世界1983年4月号、島朗四段(当時)の「棋士近況」より。

 昨年末、赤旗文化部の石黒米治郎氏の御厚意により、前から憧れていた牛原千恵ちゃんと会うことができました。

 まだ16歳の女優さんで、映画「ひめゆりの塔」で古手川祐子の妹役と言えば、ご存知の方も多いと思います。

 清楚なとても感じのよい少女で、年齢に似合わず落ち着いているのでびっくり。緊張のあまりろくに言葉もでない僕とは対照的でした。性格も素晴らしく、彼女には立派な女優さんになって欲しいと思いますし、またいつか出会うことができたなら、僕も情熱と想いを込めた将棋を創れる棋士になっているよう精進を続けていく所存です。

―十代のエピローグ―

——–

1983年のこの頃、「歩く週刊明星」と言われるくらい芸能界情報には詳しかった私であるが、牛原千恵さんという名前は2015年になって初めて知った。

昔のこととはいえ、「歩く週刊明星」がかなりいい加減であったことが判明したわけだが、気を取り直して牛原千恵さんのことを調べてみた。

牛原千恵さんは1966年東京生まれ。

お父さんは、日活アクション映画黄金時代に石原裕次郎、小林旭主演作品を手がけた映画監督の牛原陽一さん。

牛原千恵さんは、1979年に今井正監督の『子育てごっこ』の主役に抜擢され、注目を浴びる。

その後、テレビドラマ『優しさごっこ』で主役を演じ、『1年B組新八先生』にも出演し人気を得た。結婚後、芸能界を離れている。

牛原千恵〔Yahoo!検索(人物)〕

——–

『1年B組新八先生』は、1980年4月から9月まで放送されたTBS系学園ドラマで主演は岸田智史さん。

武田鉄矢さん主演で大ヒットした『3年B組金八先生』(1979年10月-1980年3月)の後番組ということになる。(舞台は同じ中学)

その後のこのシリーズは、

  • 1980年10月-1981年3月 『3年B組金八先生』(第2シリーズ)
  • 1981年4月-1982年3月 『2年B組仙八先生』 主演:さとう宗幸さん
  • 1982年4月-1983年3月 『3年B組貫八先生』 主演:川谷拓三さん

と続く。(『3年B組金八先生』は第8シリーズまで放映されている)

——–

『3年B組金八先生』の第1シリーズの頃が私が大学4年の時。

このシリーズは、嫌いなわけでは全くないのだが、ほとんど見たことがない。

金曜日の夜の放送だったので、いつも外で飲んでいてテレビを見ることができなかったから、というのが大きな理由だと思うのだが、不思議なことだ。

同じような傾向にあるものとしては『男はつらいよ』シリーズ。

テレビなどで見たことはあるし、面白いと思うのだが、不思議と能動的には見ていない。

すべてのテレビドラマを棋風で乱暴に分けると、東宝的、東映的、日活的、大映的、松竹的に分類されると思うのだが、私は松竹系が苦手ということができるのかもしれない。

 

勝浦修九段と西部邁さんの対談

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将棋世界1993年3月号、棋士交遊アルバム「我ら北国の同郷の志、共に酒を酌み語らん」より。勝浦修九段と評論家の西部邁さんの対談。

西部 将棋は妙に好きだね。テレビ将棋は、いつもじっと見ている。

勝浦 たまに指すことはありますか。

西部 学者という人間は単純でね、友達が意外と少ない。だから、将棋の相手もいないな。息子が小学3年生になった時、将棋を教えたことがある。しかし、負けてあげればいいのに勝っちゃった。それ以来、相手をしてくれないよ(笑)。

勝浦 NHKのテレビ将棋は、毎週欠かさず見るそうですね。

西部 そう、必ずね!どんなひどい二日酔いでも見る。仕事で地方に行っていれば、家族にビデオ録画をたのんでおく。とにかく、将棋に関してはミーハー。いや、のぞき魔かな(笑)。

勝浦 ありがたいことです。

西部 僕は酒を飲む以外に、趣味がなくてね。唯一の楽しみが将棋なんだ。せわしない男だけれど、将棋はじっと見ている。ある時、テレビの衛星放送で将棋の番組を無音で見ていたら、大学生の息子が”オヤジ音を出していいよ”だって。今や、将棋は家族公認の趣味です。

勝浦 テレビ将棋の魅力とは、いったい何ですか。

西部 そうだな・・・。将棋を通して、人間学を楽しむことかな。対局者や解説者の表情や仕種を見て、いろいろなことを考える。

勝浦 好きな棋士はいますか。

西部 テレビ将棋ではどちらを応援するか、瞬間的に決める。もっとも、形勢によって途中で変えることもあるけどもね(笑)。好きな棋士は、中原さんと加藤さん。二人とも、この人を好きにならないと、義にもとる。そんな感じだね。それから、あなた。勝浦さんの解説は好きだよ。寡黙でしゃべらないからね(笑)。

勝浦 意識しているわけじゃなくて、しゃべるのを忘れちゃうんです(笑)。

西部 勝浦さんと初めて会ったのは僕が東大をやめた頃だから、4年前かな。

勝浦 そうですね。新宿二丁目のPという酒場でしたね。ちょうどカウンターのとなり合わせになったんです。僕は討論番組の”朝まで生テレビ”をいつも見ていましたから、すぐに西部先生って、わかりました。しばらくして、サインをくださいとお願いしたら、先生の言葉には本当にびっくりしました。

西部 何をおっしゃる、私こそ。そう言ったのかな(笑)。なにしろ、僕の方だってテレビ将棋で勝浦さんのことを、よく知っていたからね。

勝浦 僕は北海道の紋別生まれなんですが、先生は札幌ですか。

西部 僕のジイさんは、富山の浄土真宗の坊主でね。父の代から北海道に住んだ。20年近く前かな。紋別には一度行ったことがあるんだ。友人があのあたりで漁師をしていてね。

勝浦 僕の実家は、駅前で旅館をやっています。

西部 そうだってね。じつは、その勝浦旅館の前を通ったら、友人が言うには、ここの旅館の息子は将棋指しとして有名なんだって。

勝浦 それは奇遇ですね(笑)。その友人の方は、どんな人ですか。

西部 唐牛健太郎。60年安保の時の、全学連の委員長だ。兄貴が北大時代に同級生だった。

勝浦 聞いたことがある名前ですね。たしか、先生の著書の”センチメンタルジャーニー”に、くわしく書いてありますよね。

西部 今は漁師だ。最近は魚がと獲りにくくなって、仕事がやりづらいらしい。

勝浦 オホーツク海に面する紋別は、接岸した流氷が離れていく季節が、一番きれいですね。

西部 それと、6月ごろの緑が淡くていいね。じつはね、東京暮らしがイヤになったことが一度あった。女房と相談して、網走に移住することを本気で考えた。ちょうどその時、網走で仕事があり、地元の人にそれを打ち明けたんだ。でも本気にしてくれなかった。あの時、間髪を入れずに返事があれば、言った手前、移らざるをえなかったかもしれないな(笑9.

勝浦 僕は中学は札幌で、師匠の内弟子をしていました。高校は東京でした。

西部 そうそう。あなたの高校時代の同級生で、渡辺っていう人がいるでしょ。

勝浦 そうです。一番仲がよかった友達ですね。

西部 その渡辺さんは、最近独立しましてね。編集プロダクションの会社をつくったんです。僕とは前からちょっとした縁があり、現在顧問になっています、昨夜も会って、2時まで飲んでいました。勝浦さんに明日会うと言ったら、ぜひ会いたいと言っていましたよ。

勝浦 なつかしいですね。彼とは一緒によく遊びましたよ。帽子を深く被って日活のロマンポルノを見たりして・・・(笑)。

西部 渡辺さんは律儀な人でね。僕がいらないと言っても、顧問料を毎月振り込んでくる。僕はそのお金を積み立てて、彼の会社のスタッフ全員との社内旅行に使おうと考えているんだけども、どう勝浦さん、一緒に行かない(笑)。東北あたりに。

勝浦 いい話ですね。僕もぜひ連れて行って下さい(笑)

西部 ナベちゃんから聞いたけど、あなたはすごい博打打ちなんだって・・・。

勝浦 ハハハ、そう言ってましたか。ほかにやることがないもんですから。

西部 僕もね、チンチロリンに夜な夜な明け暮れた時期があったの。貧乏人同士の金のむしり合いをね。60年安保の闘争が終わった頃かな。あの時は公判中で市民権もなく、茫然自失の感じだった。

勝浦 棋士の米長さんの三人のお兄さんはみんな東大で、そのうち一人は60年安保の時にデモで国会に突入したと聞きましたが、おぼえていますか。

西部 ウーン、その名前は聞かないな。接点はなかったようだね。東大には58年に入ったんだけど、授業はほとんど出なかった。もっぱら学生運動に専念していた。その当時は、反代々木系の走りの時で、民青とはしょっちゅうケンカをしていた。ある年、民主的なルールを破ってニセの選挙をやり、僕が自治会の委員長になった。代々木にはどうしても負けたくなかったんだ・・・。

勝浦 いろいろなことがあったんですねェ。僕は先生の本の中で”過去に学ぶ無形の形”という伝記が好きですね。

西部 でもね、勝浦さん。言葉の世界は多少デタラメでもいいんです。あとで言い逃れがきくからね。その点、将棋ははっきりしていていいね。それと、言葉はきついね。僕が酒場に行くと、必ず誰かがちょっかいを出して論争を挑んでくる。

勝浦 ”朝まで生テレビ”では、いつも大論陣を張りますね。

西部 あの番組に初めて出たのは、大学をやめた4年前。原発がテーマで、僕なりの意見を言ったら、担当プロデューサーと意気投合しちゃった。それから月1回だけ出ています。

勝浦 先生は人気があるから、ほかのテレビ番組からも、出演をたのまれませんか。

西部 クイズ番組なんかの誘いもある。でもね、人間、ケジメをつけないといけないと思う。タレントじゃないんだ、やってられるか、という感じだね。やっぱり、テレビは将棋だよ。

勝浦 最後はそこにたどりつきますか。

西部 僕にとっては、教育テレビの将棋がすべてだなあ。ちなみに、あの局には将棋じゃなくて、教育講座の講師で出たことはあるんだよ。

勝浦 僕は最近勝たないので、テレビ対局はあまり出ません。

西部 結果は気にしなくていいですよ。しょせん、将棋じゃないですか。そして、しょせん政治、学問です。僕のようなテレビ将棋を通して人間学を楽しむファンもいるんですから、勝浦さんは自分らしい将棋を指せばようのですよ。

勝浦 今日は、いろいろと貴重なお話をありがとうございました。

西部 どうです。二次会は、二丁目に繰り出しましょう・・・。

——–

西部邁さんは保守派の論客。

現在も著作やTOKYO MX『西部邁ゼミナール』などで活躍されているが、この頃は『朝まで生テレビ!』にも出演している。

西部邁さんは学生時代は共産主義者同盟に加盟、東京大学自治会委員長、全学連の中央執行委員も務め、1960年には安保闘争に参加している。

しかし翌年、左翼過激派とは決別し、その後は保守思想を基軸にした評論活動を活発に行うようになる。

——–

 

対談は、品の良さそうな割烹風居酒屋で行われている。

「新宿二丁目のPという酒場」と出てくるが、新宿二丁目にあった「あり」と思われる。

——–

10年ほど前、「あり」で西部邁さんとカウンターでとなり合わせになったことがある。

西部さんは非常に温厚で話も面白く、ずっと一緒に酒を飲んでいたくなるような雰囲気を持っていた。

その次に「あり」へ行った時、ママ(初代)は、「西部さんのお嬢さんがとても綺麗で優しい方なの。そうだ、◯◯さんとお見合いなんかしたらどうかしら」と言っていた。(◯◯さんは棋士)

その少し後、初代ママは引退してしまったので、お見合いはセッティングされなかったのかもしれない。

 

三浦弘行九段が少し心配したこと

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今日放送されたNHK杯戦、佐藤天彦八段-郷田真隆王将戦の観戦記を書かせていただきました。10月16日発売のNHK将棋講座11月号に掲載されますので、ぜひご覧ください。

今日は、観戦記に盛り込むことができなかった控え室でのエピソードを。

——–

始めに、NHK将棋講座2015年9月号、後藤元気さんの「渋谷系日誌」より。

 いつからだったか、NHK杯戦の控え室には2、3枚組の資料が置かれるようになりました。
 これは『ら抜き言葉に気をつけましょう』という注意書きで、将棋の収録に限らずNHKの番組全般に対して、視聴者の方から「ここのところ、ら抜き言葉が多いのではないか」というご意見が届いたためなのだそう。

——–

対局前の控え室、解説の三浦弘行九段は、「このような資料ができたんですね」と言いながら『ら抜き言葉に気をつけましょう』の資料に目を通していた。

研究熱心な三浦九段なので、プロデューサーなどと雑談をしながらも、資料をかなり深く読み込んでいる。

そのうちに、話題が、NHKでは放送で商品名や商標は基本的に使わずに、一般名称を使うということに移っていった。

たしかに、NHKでは「東京ディズニーランド」とは言わず、「浦安にある大型遊園地」のような表現を使っている。

すると、三浦九段が思いつめたような表情になって、

「例えばですよ、僕が清水さんから群馬県について聞かれた時に、『ぐんまちゃん』いう言葉を使っても大丈夫なんでしょうか?」

三浦九段は、司会の清水市代女流六段から解説の時に、三浦九段が住む群馬県のことを聞かれると想定して、入念な準備をしてきていたのだろう。

三浦九段が真剣な表情でぐんまちゃんと言うのが可笑しいのと、群馬県から一気にぐんまちゃんに飛躍するのも可笑しいのとで、私は笑いをこらえるのが大変だった。

このようなところも、三浦九段の魅力の一つだ。

ぐんまちゃん』は群馬県のゆるキャラで、2014年の「ゆるキャラグランプリ 2014」ではグランプリを獲得している。

NHKのニュースで、『ぐんまちゃん誕生日にあらいぐんまちゃん登場』と報じられたこともあったようなので、自治体に密着したゆるキャラは大丈夫のようだ。

司会の清水市代女流六段は、控え室の外の打ち合わせコーナーで、郷田真隆王将に事前取材をしているので、この話の間、控え室内にはいない。

——–

対局が始まると、序盤から指し手が早く、力のこもった大熱戦。

大熱戦であったため次々と指し手の解説が続き、清水女流六段から群馬県や三浦九段の私生活についての質問が出ることはなかった。

三浦九段の手の見え方が冴えた解説だったが、もし三浦九段が群馬県について聞かれていたらどのような話をしてくれていたのだろうと、今でも気になっている。

 

 


「棋士と一緒の空気を吸っているだけで将棋が強くなる」

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NHK杯戦、佐藤天彦八段-郷田真隆王将戦を観戦した翌日のこと。

郷田真隆王将、佐藤天彦八段、そして解説の三浦弘行九段という、超がいくつも付くほど強い棋士3人と控え室で同じ空気を吸っていたのだからと、あることを試してみた。

将棋ウォーズでのネット対局。

これは、「棋士と一緒の空気を吸っているだけで将棋が強くなる」という説があるのだが、この理論がどれほど正しいのか試してみようと思い立ったのだった。

始める前、将棋ウォーズで三段、達成率30%台。(100%になると昇段する)

そして、指し始めると、鬼のように勝ち出し、なんと達成率が95%、四段の目前まで進むことができた。

私が四段から三段に降段したのは昨年の12月30日のこと。仙台へ向かう新幹線の中で将棋ウォーズをやっていたら、トンネルがいくつか続くところで接続切れ負けが続き、アツくなって仙台に着いてバスに乗ってからも将棋ウォーズ。しかし、そこでも負けて、三段に降段。降段すると下の段の達成率20%からスタートすることを初めて知り、かなりショックを受ける。それから正月中将棋ウォーズをやったものの復活ならず。

それが、四段復帰の一歩手前まで来ているのだ。

「棋士と一緒の空気を吸っているだけで将棋が強くなる」というのは本当だ、と強く感じた。

気分転換に郵便物を見に行くと、バトルロイヤル風間さんの『オレたち将棋ん族』〈エピソード1〉2005-2009が届いていた。

とても楽しみな本だったので、すぐに読み始める。

途中、声が出てしまうほど笑う局面が何度もあり、期待以上に面白い本。1時間半ほどで一気に読み終え、将棋ウォーズを再開する。

あと2勝か3勝で四段復帰。

・・・しかし、そこから不思議と急に勝てなくなり、気がついたら達成率が30%台と逆戻り。『オレたち将棋ん族』を読んだら、異次元の頭になってしまったのか急に勝てなくなった。

せっかく降ってきた郷田・三浦・佐藤天パワーが私の中から急に消えてしまったとは考えたくなかったので、『オレたち将棋ん族』の負のパワーがそうさせたのだろうという私の中での結論になった。

将棋で勝ち続けていた状態を急に逆の方向へ持っていくほどの強いパワーを持ったバトルロイヤル風間さんの『オレたち将棋ん族』。

スターウォーズで言えば、棋士のパワーをフォースとすると『オレたち将棋ん族』のパワーはダークサイド。

笑い過ぎて、将棋を指すのに適さないバイオリズムに変わってしまったとも考えられる。

——–

数日後、郷田王将へ電話取材をした。

取材終了後、試しに将棋ウォーズで一局指してみた。

すると、なんと相手が10数手で投了!

急に用事ができたのだろうが、それにしても、なんと強力なパワーなのだろうと、あらためてビックリした。

(この翌日に佐藤天彦八段に電話取材をしているが、さすがにすぐに原稿に向かわなければならない状況だったため、取材終了後、将棋ウォーズでは指せていない)

——–

似たようなことは、20年前にも経験している。

棋士のご利益

——–

『オレたち将棋ん族』〈エピソード1〉2005-2009 『オレたち将棋ん族』〈エピソード1〉2005-2009

 

渡辺明六段(当時)「A級の先生は皆強いと思います。ただし、届かないと思ったことはありません。追いつくまでは大変だとは思いますが」

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近代将棋2004年12月号、相崎修司さんの「渡辺明六段竜王戦挑戦直前インタビュー」より。

竜王挑戦編

―竜王挑戦が決まりました。おめでとうございます。

 あ、どうも。ありがとうございます。

―昨年の王座戦に引き続いてのタイトル戦出場となりましたが、如何でしょうか。

 ファンの皆さんに忘れられない前に、再び大舞台に立てたのが良かったと思います。

―王座戦後もコンスタントに勝っていたので、忘れられるということはないと思いますが。

 そうでもないですよ。イベントで地方に行ったりすると、一線級の先生方の知名度と自分のそれの差を思い知らされます。

―2度目のタイトル戦ですが、去年と比べると慣れていると思いますか?

 多少は。ただ、2日制であることと、封じ手が気になります。

―2日制の対局は初めてですが、対策などはありますか?

 2日制のリズムをなるべく早くつかむようにします。

―海外対局に向けての準備などは?

 2年前に指導で上海に行っているので、パスポートはありますから他には特にないです。あ、カップラーメンは持っていこうかな(笑)。

―ランキング戦から挑戦者決定戦に至るまでで、印象に残った将棋があれば教えて下さい。

 やはり森下九段との挑戦者決定戦ですね。あと、子どものころ憧れだった谷川棋王に勝てたのはとても嬉しかったです。

―森内竜王との対戦成績は1勝2敗ですが、竜王の将棋をどのように感じますか?

 そうですね、あまり派手な手はないと思います。堅実なタイプでしょうか。

―では、ご自身の将棋はどのように分析されていますか?

 自分自身の将棋は特徴がつかみづらいです。

プライベート編

―長男の柊君が誕生しました。出産に立ち会われたそうですが、生まれた瞬間は如何でしたか?

 うれしかったです。無事に出てきてホッとしました。「男の子だ」とちょっとビックリしましたね。女の子だと聞いていたので。

―「柊」という名前はお父さんとお母さんのどちらが付けましたか?

 2人で選びました。

―名前の由来などがあれば教えて下さい。

 特にないです。なんとなくしっくり来たのでつけました。

―将棋は教えますか?

 教える予定はありません。柊に任せます。親から強制という形にはしたくないので。プロ棋士よりはプロ野球選手になって欲しいですね。

―では、親子で野球ですか?

 やりたいですね。まずはキャッチボールから。僕は小学生のときに野球をやっていましたので、まだ多少はいけると思います(笑)。

―奥さんとは将棋をやりますか?

 全くやりません。嫁さんはたまに詰将棋を解くくらいです。

―今一番やりたいことは?

 柊が大きくなってから家族旅行に行くことですね。

―Web上で更新されている「若手棋士の日記」。書き始めるきっかけなどがあれば教えて下さい。

 HPが冴えんから何かやろうという話が発端です。管理人が何もやらなくて(笑)。

―インターネット中継されている対局では掲示板によく書き込まれるようですが。

 ファンのための掲示板ですから、何かの足しになればと。

一般将棋編

―デビュー当時と比較してどのように将棋が変わったと思いますか?

 根本的な考え方は変わっていないと思います。実力は伸びたと思いますが。上にいる先生と指すことで伸びるスピードがアップしたと思います。

―では、明らかに強くなったと胸を張れる点があったなら教えて下さい。

 う~ん、全体的に底上げされたという感じで、特化して強くなったと思える点は無いですね。

―多くの研究会に参加されていますが、序中盤の研究は大事ですか。

 必要最低限は大事だと思います。あからさまな研究負けはしたくありませんし、それで負けるのはもったいないですから。

―竜王戦では阿久津五段、橋本四段と当たりましたが、この二人を含めて同世代の棋士の将棋をどう感じますか?

 そのうち大舞台に出てくると思います。いまでも、もうちょっと勝てるんじゃないかと思っています。本戦入りした程度で満足してはいけないのではないかと。

―羽生世代の強さをどう見ます?

 A級の先生は皆強いと思います。ただし、届かないと思ったことはありません。追いつくまでは大変だとは思いますが。

―最後に、竜王戦に関してファンに一言お願いします。

 せっかくのタイトル戦なのであっさりとおわらず、いい将棋を指せるよう努力したいです。雰囲気にびびらないように考えています。ネット中継に加えてBSでの放映もありますので是非ご覧になってください!

——–

昨日、竜王戦挑戦者決定三番勝負第3局が行われ、渡辺明棋王が永瀬拓矢六段を破って糸谷哲郎竜王への挑戦を決めた。

今日の記事は、渡辺明六段(当時)が森内俊之竜王(当時)への挑戦を決めた直後の頃のインタビュー。

まだ11年前のことなのに、とても感慨深く感じられるのは、それだけ渡辺明棋王の進化がめまぐるしかったということだろう。

——–

NHK将棋フォーカスの10月からの講座は、渡辺明棋王の「渡辺流 勝利の格言ジャッジメント」。

この講座では、多くの格言を集め、その有効度を現代的な視点で判定していくという。

明日発売されるNHK将棋講座10月号に、「勝利の格言ジャッジメント」の第1回から第4回までの内容が載っている。

それぞれの格言の有効度の判定も興味深いが、実戦例を通して現代将棋の考え方を自然と学べるような構成となっており、3級の方なら初段に、初段の方なら三段にステップアップできるような、非常にためになる内容だと感じた。たとえ話なども面白く、私ももうちょっと強くなれるのではないかと思っている。

それから、巻頭の渡辺明棋王と伊藤かりんさんの対談もなかなかの面白さ。

竜王戦での糸谷哲郎竜王との対決とともに、10月からの放送も楽しみだ。

NHK 将棋講座 2015年 10 月号 [雑誌] NHK 将棋講座 2015年 10 月号 [雑誌]

 

佐藤康光八段(当時)「新年早々気分が悪い」

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将棋世界1997年3月号、佐藤康光八段(当時)の連載自戦記「勢いに勝った一局」より。

 やや旧聞になるが、毎年年末の恒例行事として「駒音コンサート」が催されている。昨年で丁度10回目だった。将棋好きの音楽家の方々とのイベントだが私も2年振りに参加させて頂くこととなった。

 演奏あり、歌あり、将棋ありといった楽しい企画だが今回で3回目になる私はバイオリンの演奏をさせて頂いている。

 習い始めたのは将棋より早かったのだがいかんせんこの道に入ってからは全くなっていない。出場の度にホコリがかぶっていないかどうか楽器が心配なくらいなのである。これでは上達は望めないが困るのが新年早々にファンの方から頂く年賀状である。「あなたは将棋は強いが演奏はどうも……」というのを数通頂く。下手なものは仕方がないが新年早々気分が悪い。よし!今回こそと思い2ヵ月前より先生にレッスンを受けて準備万端。いざ本番に臨むこととなった。

 いよいよ出番である。ステージに立つなり皆の視線が集まるのがわかる。とたんに頭が真っ白になり以下は訳の分からぬうちに終局。今回も同じ失敗を繰り返すこととなった。やはりアマゆえの悲しさである。やはり何事も普段が大事。

 1月号の高橋和嬢の「継続は力なり」というお言葉を身にしみて感じるのみだ。

 それから後日、テレビを見ていたらCMで似たシーンに出くわした。

 それは広末涼子嬢扮するピアニストがコンクールで緊張してしまう場面で観客をじゃがいもに置き換えれば大丈夫というもの。次はその手を使ってみよう。

——–

広末涼子さんのこの時のCMを探し当てることに成功した。

NTTドコモのポケベルのCM。

下のYoutubeの映像の1分ちょうどの辺りから、佐藤康光八段(当時)が書いているCMが流れてくる。

じゃがいもについてもポケベルについても書きたいことはあるが、とりあえず今日はこのCMだけで。

 

第63期王座戦第2局対局場「ウェスティンホテル大阪」

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羽生善治王座に佐藤天彦八段が挑戦する王座戦、第2局は大阪市の「ウェスティンホテル大阪」で行われる。→中継

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ウェスティンホテル大阪」は、アメリカ合衆国で最も伝統あるホテルチェーン「ウェスティンホテル&リゾート」日本第1号として1993年にオープンされた、大阪のランドマーク、新梅田シティの中心にあるホテル。

 〔ホテル内のレストランの昼食向きメニュー〕

ホテル内のレストランの昼食向きメニューは次の通り。

レストラン「アマデウス」

・ホテル特製カレーライス(ビーフ/シュリンプ/野菜)1,900円
・ホテル特製ハヤシライス 1,900円
・オムライス(トマトソース/ハヤシソース)2,000円
・ドリア(シーフード/ビーフ)2,000円
・ピラフ(シーフード/ビーフ)2,200円
・スパゲッティ(ナポリタン/ミートソース/シーフード/カル   ボナーラ)1,900円

・ミックスサンドウィッチ 1,550円
・クラブハウスサンドウィッチ 1,750円
・ビーフカツサンドウィッチ 2,600円
・アメリカン ピッツァ 2,000円
・オリジナル黒毛和牛ハンバーガー 2,500円

(パスタランチ 各1,000円)
・スパゲッティ ベーコンと茄子のアラビアータソース モッツァレラを添えて
・リングイーネ サーモンとエリンギ 水菜のクリームソース

(シェフランチ 各2,100円))
・黒毛和牛ハンバーグステーキ フォアグラバターとデミグラスソース
・ノルウェー産サーモンステーキ 焦がし醤油のレモンバターソース
・有頭海老フライ タルタルソース
・ビーフステーキ フィレ100g 週替りのソースで[+400円]
・ビーフステーキ リブロース150g 週替りのソースで[+400円]
・牛タンと黒毛和牛ばら肉の赤ワイン煮込み 淡路島産皮付き玉ねぎのベイク添え[+400円]
・野菜とお魚のスペシャルプレート[+400円]

中国料理「故宮」

・五目チャーハン 2,800円
・海鮮チャーハン 2,800円
・五目チャーハン カレー風味 2,800円
・福建風あんかけチャーハン 3,000円
・蟹身と卵白入りあんかけチャーハン 2,800円

・五目野菜入り焼きそば 2,700円
・五目野菜と海老入り焼きそば 3,000円
・五目野菜入り焼きそば カレー風味 2,700円
・蟹味噌入り玉子麺の煮込み 2,700円
・チャーシュー入り玉子麺の煮込み 2,800円
・葱と生姜入り煮込みそば 2,500円
・五目野菜入りとろみそば 2,800円
・チャーシューと白葱入り汁そば 2,800円

〔ウェスティンホテル大阪での食事実績〕

 将棋棋士の食事とおやつのデータによると、ウェスティンホテル大阪での昼食・夕食実績は次の通り。

2014年王座戦

羽生善治王座王座
昼食 シーフードピラフ
夕食 おにぎりセット(鮭・梅・ちりめん山椒)

豊島将之七段
昼食 玉子とじうどん
夕食 おにぎりセット(鮭・梅・ちりめん山椒)

〔昼食予想〕

羽生善治王座は昨年に続いて昼は洋食系、佐藤天彦八段は、第1局の昼食がちらし寿司で、まだ千駄ヶ谷でも寿司系を頼む頻度が高いので、昼食は寿司系、夕食は第1局と同じくサンドイッチ系と読みたい。

羽生善治王座

昼食 オムライス(ハヤシソース)

夕食 おにぎりセット(鮭・梅・ちりめん山椒)

佐藤天彦八段

昼食 にぎり寿司

夕食 クラブハウスサンドウィッチ

 

「最も実戦の数が少なくて奨励会に入った」棋士と「最も実戦の数をこなして奨励会に入った」棋士

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近代将棋2000年1月号、武者野勝巳六段(当時)の第12期竜王戦〔藤井猛竜王-鈴木大介六段〕第2局観戦記「故郷へ錦を飾った一局」より。

「藤井猛」命名の由来はボクシング世界チャンピオン

 藤井猛竜王は群馬県沼田市の出身なので、私の同県の後輩に当たるのだが、不思議なことに彼が奨励会に入る直前まで存在を意識したことがなかった。

 私は群馬県に住むレッスンプロだから、年に何度も県の大会やイベントに出席する機会がある。そこに将棋の強い少年が参加してくれば、当然「おっ、こんな有望な少年が現れたか!」と気づくハズなのだが、そういったことがなかったのだ。

 群馬県は日本将棋連盟の支部活動が盛んなところで、支部会員100人を超える支部が4つもある。沼田支部もその一つで、それゆえ指導者とぶつかり稽古の相手にはこと欠かないのだが、藤井少年はそうした大会や道場にはあまり顔を出さず、だから市の代表として県大会に進出することもなかったのだという。

 昭和61年に名人戦の対局が群馬県伊香保町で行われ、大盤解説会の会場で初めて「あの子が沼田の藤井猛君といってね。プロを目指して頑張っている少年だよ」と教えられたのだ。そのときの藤井少年の眼光は異様なほど鋭くたくましさは覚えたが、地元の高校への入学が決まっているという。私は「ふじいたけしって、そんな名前のボクサーがいましたよね」と、ハワイ移民者の英雄である世界チャンピオン藤猛の名前を出して、さりげなく話題を変えた。

 東京では同じ年の羽生善治という天才が、四段としてデビューし勝ちまくっていた頃で、いかに脳天気な私でも、「それはいい。ぜひ奨励会に入るお手伝いをさせてください」などとは、とても言えない状況だったからだ。

 後になって知ったことだが、藤井は昭和45年9月29日生まれで、9月27日生まれの羽生とはわずか2日!しか年が離れていない。しかもお父さんはボクシングファンで、猛少年命名の由来は本当に!藤猛チャンピオンだったのだ。

父の希望を叶えた棋士・鈴木大介

 鈴木大介六段は東京都の出身で、お父さんは高名なイラストレーターの鈴木康彦氏。以前は将棋雑誌にもよく挿し絵を描いていたから、ご存知の方も多いだろう。この鈴木氏が大内九段の教室にも通う熱心な将棋ファンで、大介という命名はもちろん大内九段の延介という名にちなんでいる。

 この大介少年は「息子がプロ棋士になってほしい」と希望するお父さんの手ほどきで将棋を覚え、大内教室でおとなに混じってプロの個人指導を受け、さらに将棋会館道場に通って実戦を重ねるという恵まれた環境で将棋を勉強した。

 将棋イベントでは康彦氏と楽しむ息子さんの姿をよく見かけたから、私も大介少年のことは注目していたが、将棋は「有名人子弟の習い事」という域を出ず、小学生大会で目立つのは傍らに立つにこやかな康彦氏と、大介少年の早指しばかり。そんなわけで大会開始から5分くらいで投了し、わずかな時間で会場を去っていく…そんなむなしさをまだ感じない幼稚な存在だったのだが、研修会での厳しい競争が、遊び盛りの少年を負けず嫌いで勝負に辛い存在に変えたようだった。

棋界の梁山泊!? 研修会

 こうして藤井と鈴木が出会ったのが将棋会館における研修会だった。研修会は奨励会予備軍の少年少女を集めて月2回の日曜日に開催するもので、プロを目指す子供たちに、本格的な将棋修行の機会を与える目的で設立された。

 先の藤井少年のように、将棋との関わりが遅いケースではプロ入りを勧めるのをためらってしまうが、月に2度の日曜を将棋に費やすだけなら入会を勧めやすく、親御さんの負担も軽くてすむ。また将棋界としても、試験本番に弱かった丸山八段のように、年に1度の奨励会試験では埋もれてしまう逸材も発掘できるという効果もある。胃が痛くなるような勝負の場を求めていた鈴木が、研修会入りしたのも当然だった。

 その鈴木は昭和49年7月11日生まれだから藤井より4歳年下だが、この研修会は同時期の入会で、藤井が抜群の成績で奨励会編入が許された2ヶ月後、鈴木も藤井の後を追って奨励会6級となっている。

 この機会に当時を振り返ってみると、この頃の研修会には二人のほかに丸山忠久八段、三浦弘行六段、行方尚史六段……など、地方出身で個性的な棋士がそろって在籍しており、エリートの奨励会に対抗する梁山泊のような存在だった。

対照的な二人の修行方法

 藤井は地元の名門・沼田高校に通いながら将棋の修行をしていた。町の道場へ行くのが気恥ずかしく、ひたすら新聞雑誌に掲載されるプロの棋譜を並べ、詰将棋を解いて勉強した。実戦といえば、月2回の研修会での対局のみだが、自分の棋譜を何度も並べ返し、負けた将棋を反省しては工夫を加え、勝った将棋にスキがなかったかをチェックする。こうした繰り返しで、徐々に藤井の頭の中には必勝システムが築き上げられていった。

 今こうして研修会員・藤井の日常を紹介すると、読者は漠然と「なるほど」程度に受け止めるだろうが、この昭和60年代初めは、中原・米長の40代の牙城に、谷川を筆頭とする20代の若手が次々と挑んでいった頃で、「居飛車党に非ずば棋界の覇者に非ず」が常識で、「矢倉は純文学」とさえいわれたのだ。

 加えて振り飛車に対しては、居飛車穴熊という難敵が登場して猛威をふるっていた。そうした状況で奨励会にも満たない一少年が、「四間飛車ひと筋で必勝システムを作ろう」と決意するなどは笑止千万のこと。だからこそ、この常識はずれを温かく見守った師匠・西村一義九段と、「矢倉を指せといわれたら将棋をやめていただろう」という藤井の強い意志がより光を放ってくる。

 鈴木も「四間飛車が自分の性に合っているな」と感じ始めていた。この頃に出会ったのがアマ強豪の内田昭吉氏で、現在『棋道指導員』として将棋普及に務める内田氏の教室に通うようになったのが、鈴木にとって飛躍のきっかけだった。

 内田氏は勝又清和五段、高野秀行四段、佐藤紳哉四段らを育てた教え上手で、ここでの修行は「ぶつかり稽古が主」だったそうだが、ライバルの存在も刺激になって効果てきめん。鈴木はたちまち小学生名人の栄誉に輝いたのだ。プロになった今でも、鈴木の修行方法は早指しの実戦で直感力を磨くのが主体で、「10秒将棋の達人」として恐れられている。

指し手の後ろにある物語を楽しむ

「最近のプロの将棋は数学的でおもしろくない」という声を聞くことがある。そういえば本誌でも団鬼六氏が「升田、大山時代が懐かしくなる」という表現で、指し手の後ろにある物語が見えてこないことを嘆いていたようだ。

 確かに升田、大山には内弟子時代からのエピソードが多く語られ、ファンはそれぞれの勝負に「この手には内弟子のときにいじめられた怨念がこもっている」なんて因縁を思い浮かべ、指し手の後ろにある物語を想像したものだ。

 そうしたことが少なくなったのは事実だが、しかしそれは「最近のプロの将棋に物語がなくなった」という表現とイコールではない。次から次と輩出される棋界のスター群に、エピソードの供給が追いつかないだけなのである。

 プロの間では、新人王戦や早指し新鋭戦で比類なき強さを見せる藤井の評価は高く、「数年のうちに必ずタイトルを掌中にする人」との観測が定着していた。だが、多くのマスコミは藤井の竜王奪取を「予想外の快挙」と報道した……

 豊富な実戦経験に裏打ちされた鈴木の勝負術や、高い勝率も棋界の話題だったが、残念ながら「鈴木の将棋は見ていて楽しい」ことを知っていたファンはごくわずかだった…

 このようにエピソードの供給が少なかったのは事実だが、「最も実戦の数が少なくて奨励会に入った」藤井と、「最も実戦の数をこなして奨励会に入った」鈴木。4歳ほど年の離れた二人は研修会時代から積み重なった因縁があり、それぞれの人生の糸が織りなす物語のクライマックスとして、この檜舞台を迎えたのだ。これからは、二人の指し手の後ろにある物語を楽しむ人も確実に増えてくるだろう。

一年前にあった陰の竜王決定戦

 藤井が高校を卒業して上京したとき、これまでの実戦不足を解消するべく、さっそく研究会に参加した。メンバーは同時代の奨励会員4、5人で、その中に鈴木もいた。

 こうした若いときの勝負を数えるとキリがないが、将棋連盟に残っている、二人がプロ棋士になってからの対戦成績は

9年NHK  鈴木四間飛車 鈴木◯
9年竜王  相振り飛車 鈴木◯
9年早新鋭 相振り飛車 藤井◯
10年竜王  鈴木三間飛車 藤井◯
11年新人王 相矢倉 藤井◯

これに先の第1局が加わるわけだ。

 それぞれの戦型を見ると実に興味深い。ともに四間飛車党なのだが、どちらが飛車を振るか…の駆け引きが高じたあまり、お互いが居飛車に進路を定め、このなりゆきの結果、相矢倉の戦型となってしまったものまである。

 そうした中でまず見ていただきたいのは平成10年に戦われた竜王戦の一局で、これは挑戦者を決める決勝トーナメントの1回戦だった。若手棋士には、この対局を「陰の竜王決定戦」とささやく者もいた。この二人の勝者が挑戦者になり、竜王も取るだろうという大胆な予想である。

 将棋はそうした予想に違わぬ大熱戦となり、迎えたA図で藤井は△3五銀という勝負手を放った。

藤井鈴木1

 双方1分将棋。頼るのは自分の直感のみという局面だが、藤井のあまりの勝負手に動揺した鈴木は「▲3六桂と飛車を取るのは、△2七歩▲同玉△2六香で負け」と即断し、泣く泣く▲3五同馬△同飛▲3六歩△3四飛▲1五歩と局面を長引かせたのだが、局後の感想戦で仲間から、「A図で▲3六桂と飛車を取るとどうなるの?」と問われた鈴木。この瞬間にすべてを悟り「あーっ!」と顔を崩して天を仰いだ。4四馬が後手玉をにらんでいるので、△2六香とはできない!それは即、藤井の負けを意味しているのだった。

 お互いの勘違いが交錯したが、これは主張の通った藤井に理するところとなり、▲1五歩以下は△7六角▲3九金△4九銀……と大駒の集中砲火を浴びては、鈴木の勝てない将棋になってしまった。

 若手棋士の大胆な予想どおり、この勝負を制した藤井は勝ち進んで挑戦者となり、4-0で谷川を破って竜王になった。そうして藤井のいない今年の決勝トーナメントで、鈴木は勝ちまくって挑戦者に躍り出た。

「陰の竜王決定戦かあ」1年前にあった深夜の激闘を、私は不思議な心持ちで思い出すのだった。

(以下略)

——–

1999年11月下旬、どこかの書店で近代将棋のこの号を買って、どこかで飲んで、そこそこ酔って家に帰ってきた夜のこと。

この観戦記を読んで、理由はわからないが、涙が出てきた。

翌年の将棋ペンクラブ大賞一次選考会で、私はこの観戦記を推薦した。

最終選考まで残ったが残念ながら受賞にはならなかった。

私は、深夜、酔いながら観戦記を読むと、涙が出てくる癖があるようだ。

故・原田康子さんが書かれた観戦記もそうだった。

原田康子さんの観戦記

——–

今月初旬に発行された将棋ペンクラブ会報秋号には、将棋ペンクラブ大賞を受賞された方々の「受賞のことば」が掲載されている。

技術部門大賞受賞の藤井猛九段の受賞のことばのタイトルは「12歳の頃の僕へ」。

「12歳の頃の僕へ」を読んで、この観戦記のことを思い出した。

「12歳の頃の僕へ」も、夜、酒を飲みながら読んだら、絶対に涙が出てくるだろうなと思った。

——–

明日は将棋ペンクラブ大賞贈呈式。

将棋ペンクラブ会員ではない方の参加も大歓迎です。

皆様のご来場をお待ちしております。

※受賞者の「受賞のことば」が載っている将棋ペンクラブ会報秋号は会場で750円で販売しています。

第27回将棋ペンクラブ大賞贈呈式のご案内(詳細)

 

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